まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「粗末にしては、いけません!」

2007年10月09日 | にこにこ
 先日、ある年長児に・・・
  「あなたは、どんな時にお母さんに叱られますか?」
と質問をしたら。
  「はい、ものを粗末にしたときです
という答えが返ってきました。

 私は、とっても久しぶりにすがすがしい気持ちになりました 「すがすがしい」というと、???と思われるかもしれませんね。でも、こういう答えを5,6歳児から聞いたのは、本当に久しぶりだったからです
 「兄弟げんかをした時です」とか「お友達とケンカをした時です」のような答えの場合はさておき、今回のような答えは、家庭生活の中での「躾」の部分ですから、子ども達の答えは「良い、悪い」「正しい、間違っている」という尺度の判断外、です。
 ただ、最近では、躾の類に関する子ども達の答えでは、圧倒的に、「人に迷惑をかけた時です」という場合が多く、「ものを粗末にする」という答えが返ってくることは稀でした
 もちろん、子ども達の答えに、「粗末にしたとき」という答えが返ってこないからと言って、今どきのご家庭が、子ども達に「ものを粗末にしてよい」と教育なさっている、とは思っていません

 辞書で「粗末」という言葉を引いてみると、名詞としては「作りが雑なこと。品質が劣っていること。また、そのさま。」とあり、「粗末にする」と動詞に的に使うと「扱いがおろそかなこと。大切に扱わないこと。また、そのさま」とあります。
 
 それにしても・・・私は、この「粗末にしたとき」に叱られる、と答えた子ども、その家庭が、妙にキラリンと光って見えました
 お母様におたずねすると、その日の朝、その子があまり食べたくないものが食卓に上り、それを残す・・・という一連のことから、このご注意になったのだそうです。
 この子にとって、私の「どんな時にお母さんに叱られますか?」という質問が、まさに叱られたすぐあとで、記憶として新しい、ということで、間髪をいれずにこの答えが返ってきたわけですが、それにしても「粗末にする」といういまどきのご家庭では、あまり使われなくなった言葉を、5歳の子どもが神妙な顔をして語ってくれたことを、私は大変うれしく思いました

 私は、このブログの中で、以前に何度か書いたことがありますが・・・
飽食の時代に生きる近頃の子どもは、食べ物に対して、また、食べられるということに対して「感謝の思い」がほとんどありません
 クラスの中で・・・
  「ねえねえ・・あなた達がいつも食べてるご飯ね。どれだけの時間をかけて、どれほどたくさんの人が、一生懸命になって作られたものだかわかるかな?」という質問をすると、子ども達は総じてキョトンとするものです
 確かに、こんなことは、都会に暮らしていて、スーパーで袋詰めになった2キロや5キロのお米しか見たことのない子ども達に尋ねたところで、実感がないのが当然でしょう。
 最近では、「自分達でお米を作ろう」というような企画で、郊外の田んぼに行って田植えを自ら経験し、秋になると、自分で田植えをした田んぼに再び行き、実った稲穂を刈り取り、脱穀してもらって、自分で作ったお米を食べる・・・というような経験をする子ども達も増えました 何にもも知らず、ご飯が何からできているものなのかを全然知らない、というよりも、それはそれは意味のあることです しかし、やはり、田植えと稲刈りだけでは、「稲作の真似事」にしか過ぎません
 
  空梅雨の空を仰いで、元気のない青い稲を心配そうに眺める毎日・・・
  雑草や害虫から稲を守り、育てる苦労・・・
  刈り取る間際、実った稲穂を見守りながら、近づいてくる台風情報に目を凝らす時間・・・
 本当に、それを生活の糧として、稲作をしている農家の方々のご苦労を、私達大人も、それほど「身近に感じること」もなく、毎日、当たり前のようにご飯をいただいています

 食卓に上る多くの食材・・・
いったい、どのようにして、この食卓にたどり着いたのか?どんな人たちの苦心の上に、私達の食事があるのか? 
 大人も、親も、真剣に考えてみなければ、本当の意味での、心に響く、子どもへの「性根の入った言葉かけ」などできないかもしれません

 クラスのあと、子ども達が持ってきた折り紙を見せてもらうと、私が子どもの頃には想像もできなかったような、美しい折り紙を持っています
 両面に色がある、というようなものは当たり前の時代で、裏表が違う柄だったり、グラデーションだったり・・・
 でも、そんなきれいな折り紙を、案外、子ども達はささっと折るだけで次の折り紙を出し、ひどいときには捨てて帰ってしまいます
 それを見ていると、「何か違う・・・」と感じてしまう私です。古い・・・と笑われてしまいますが、私が子どもの頃は、折り紙一枚も、本当に大切にしました よく、新聞に挟まってくる広告の紙を使って、私の祖母などは折り紙を教えてくれたものです。紙飛行機などは、チラシで作るのが当たり前でした

 ビュッフェスタイルのレストランも、高級な折り紙も、決して悪いものだとは思いません
 たくさん並んだ美味しいお料理は、人の心を豊かにしますし、さまざまなものを知り、食べることは、健康にも大切なことです
 きれいな色の折り紙で折る鶴はやはりきれいですし、明るい色を見ていると、幸せになりますね

 でも
「食べ物を粗末にしてはいけません!」「紙を粗末にしてはいけません!」という注意を、親も、躾の上での慣用句として上っ面だけをすべるように伝えるのではなく、性根の入った注意としてしっかり伝えられるように、そして、それを聞いた子どもも、粗末にすることの罪悪感を、肌で感じられるようになるために、それが「自分達の目の前に届くまでの」ことに思いを馳せる機会が、定期的に必要なのではないか?と思いました
コメント
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