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まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

わが子の心をおもんばかる

2011年10月07日 | う゛う゛ー
 私がベランダから、家族にいってらっしゃい!と手を振ることは、すでに過去に何度か書いたブログでご存知かもしれません 
 手を振っていた相手は、最初は小学校の制帽であるかわいいフエルト帽をかぶった男の子や女の子でした。その子達がいつしか千切れるように笑顔で手を振り返す子どもから、ちょっと困ったように手を挙げるティーンエイジャーになり・・・今は一人減り、職場へと急ぐキャリアウーマンになりました

 つい先日も、いってきます!と玄関を出た娘に、いってらっしゃい!と声をかけたあと、私はベランダに急いで移動しました。
 慌て者の娘は、よく携帯を忘れた!とか、パスモを忘れた!とか言って自宅に戻り、ベランダで待つ私は待ちぼうけをくらいます
 じゃあ、もうそんなことなら、すっかり大きくなった子のために、2度もいってらっしゃいをする必要なんてないでしょう と笑われそうですが、習慣になったこの行為を止めるのは、なかなか勇気のいるものでねえ・・・
 長年、少し遠いところから子ども達の歩いている姿を眺め、息子や娘の「内面」を見てきた気がします。

 子どもが幼児期を過ぎると、お互いに面と向かって話す時には、結構「構えて」話すようになります ちょっと元気がないかな?などと思い、思い切って「どう、元気なの?」「学校、いつも通り?」などと聞いたところで、彼らの答えはたいてい「うん、元気!」とか「変わりないよー」という返事・・・
 けれど、ベランダから彼らの姿を見ると、トボトボ・・・だったり、陰鬱そうな足取りだったり・・・

 彼らの悲しみや辛さを知ったところで、母親が直接何かをしてやれることはありません。じつは、それが幼稚園、保育園の子どもでも、同じかもしれませんね。
 親子であっても、幼児であっても、彼らが「一人の世界」「子どもの世界」にいる時には、親の力なんて非力で、届かぬものなのですから

 でも、私は長い間、意気揚々と歩く姿を見る時にはホッと胸を撫で下ろし、私まで良い気分になり・ ・・下を向き、足取り重い時には、ひたすら「がんばれ!がんばれ!」と念じ、エールを必死に送る・・・それが、身についた習慣になりました

 そう、そのつい先日。
娘が中庭に姿を見せました。その日は、忘れ物もなく、スムーズに出発できた日のようでした ぱっと目に入ってきたのが、ベージュとオレンジの中間色のようなバッグでした
 玄関で送り出した時には体に隠れて見えなかったのでしょう。その日、娘が履いていたショートブーツの色とマッチしていた、ということもあるのでしょうが、とても印象に残る素敵なバッグでした きっと、新しく買ったものだと思いました。
 バッグが好きな娘は、いろいろとこだわいりがあり、なかなか「買う」という行為に至りません。「買った」というだけで、それがいかに娘にアピールしたものか、どんなに気に入ったものか、ということがうかがいしれました

 ああ、玄関で気づいて、「いいねえ!」と言ってやれば、朝から元気が出たかもしれなかったのに・・・私はすぐにそう思いました。
 そこで、私は携帯を手に取ると、娘宛にメールを書きました。
 「玄関では気づかなかった。バッグ、買ったの?いいねえ!とっても素敵」と。
 すると、2,3分でメールが返ってきました。
 「そうそう、買ったの!いい色でしょ。良かった
 短いメールでしたが、彼女は、間違いなく満員電車の中で、大変な思いをして返してくれたものでした。

 彼女の会社は、最寄駅から徒歩10分程度。電車を降りてから返事を書いても良かったはずです。なのに、どうして彼女は敢えて満員の通勤途中の電車から返事を返してきてくれたのか?
 娘は、私の思いをキャッチしたのでしょう 
ここのところ、ちょっと仕事でスランプに陥っている娘を知りながら、根掘り葉掘り聞かない母親・・・新しいバッグに気づき、「素敵!とほめることで、精一杯のエールを送ってくれている・・・娘は、そのことに気づき、母親への最大級の感謝の思いを込めて、敢えて、混雑した電車の中で返事を書いてきてくれたのです

 お互いの思いをキャッチできる関係・・・書くことは簡単ですが、実際にはなかなかそういう理想の関係を築くことは難しいものです 親子だからと言って、相手が思い通りの動きをしてくれるわけではありません。
 
 わが子が小さい頃には、ついつい親は、「この子は自分の思い通りになる。だって、私はこの子をこんなに愛しているし、私の言っていることは正しいのだから!」という確固たる「錦の御旗」を振りかざし、子どもに相対しているものです
 その証拠に「なんであなたはママの言うことを聞かないの!」と怒鳴るでしょう?この言葉の裏には「ママの言うことを聞いていれば、間違いはないのよ!」という意味が含まれています。自分の言うことを聞かないわが子に憤っている!

 でもね、時には、「この子は、どう考えているのだろう?」「どうして、こんな行動(言動)に出たのだろう?」と考えてあげることも必要ではないでしょうか?

 幼いなりに、子どもは「何らかの思いを持って」行動をしているものです それを上手に言葉では表現できなくても(私は、子ども達に、一生懸命に自分の思いをパパやママ、お友達に言葉で伝えなさい!と、繰り返し教えています)原因があって、そこ結果としての行動、言動があるのです。
 それを無視して、「言うことを聞きなさい!」と繰り返し続けるだけでは、そこには「あ・うんの関係」は育ってはいきません

 私は長い間、娘に悲しい思いをさせてきました。
私自身にはそんな意識はありませんでしたが、娘はずっと「私は2番手。ママはお兄ちゃまが一番大事なんだもん」と思い、大学までの10数年を過ごしてきたのでした。
 そんな娘の心を知った時の私の驚愕・・・私のショック・・・巻き戻すことのできない10数年の時間。事実はどうあれ、幼かった娘が、ずっと悲しい思いをしてきた時間は、もう消し去ることはできないのです

 そのことを知って以来、私は自分に「まずは、娘の思いを慮る(おもんばかる)こと」を課してきました。すると、自然とたくさんの娘の思いを五感から感じられるようになったのでした 当然、娘との関係は、驚くほど「あたたかいもの」になりました。
 まだ、たった3,4年のことです・・・

 たとえそれが幼い我が子であったとしても、子どもの思いを無視し、「親が正しい」という理由で、子どもの思いに聞く耳を持たなければ?そこには何も生まれません
 怖いことに、親はそのことに気づかず、親子の愛情は、無条件にそこに「存在するもの」だと思っているのですねえ・・・

 今日も娘は、あの素敵なバッグを肩にかけ、出かけていきました そしてやっぱり、ベランダから見送る私に、笑顔で手を振ってこたえてくれました・・・ 



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三宅島で考えたこと

2011年08月29日 | う゛う゛ー
 週末にお休みをいただき、三宅島に行ってきました
金曜日の夜に竹芝桟橋を出航し、翌朝の5時に三宅島に到着する・・・という船の旅です。その船は、その後、3時間半の航行を続け、八丈島が最終目的地です。
 
 伊豆諸島航路・・・28年ぶりです。昔は、揺れもなーんにも気にならず、ぐっすりと熟睡できたのに 、年齢のせいでしょうか、今回は2段ベッドの4人の船室で、お友達4人、ほとんど眠れませんでした 夫はお隣の船室で、心地よい宴会のあと、爆睡したそうです・・・さすが、学生時代の夏休み、ずっと沖縄や与論、石垣で過ごした海派の強者だけあります。
  
 今回の旅の目的は、土曜日の午後スタートのトライアスロン大会でした 私は応援。選手ではない船旅は、とてもお気楽で、応援の後はちょっとした観光を・・・そんな気持ちでした

 でも、船が岸壁に着岸し、夜が明けて、島の様子が見えてきたとたん、私の思いは一変しました
空を向いてにょきにょきと立つ木々は、すべて灰色で、葉っぱは一枚もありません。麓の島内一周道路から見える山全体は、そういう立ち枯れの木々がいーっぱい立っていて、その様子は、さながら前衛芸術のモニュメントのようで・・・私はその異様さに息を飲みました

 恥ずかしいことですが・・・
今回は、スポーツ観戦、レースの応援・・・そのつもりの休日でしたので、何も事前の準備もなく、インターネットで島内観光のサイトさえ見たことがありませんでした。
 もし、私が「旅行」のつもりでガイドブックを読んだり、観光サイトをチェックしていたら、少しは予備知識もあり、心づもりもあったでしょうが・・・
 朝食後、夫を含むお仲間達が自転車で下見に出かけた間、幸いにも宿から5分で行けるところにあった村営の観光協会に出かけました。そこで私が聞いたお話・・・

 東京都三宅村。人口、2700余名。島民は今でも、毎日、火山ガスの二酸化硫黄の恐怖とともに生活をしています。
ちょうどお話をお聞きしている途中にも、屋外の屋外拡声支局(電柱状のものに設置されたスピーカー)を通して「ただ今、〇〇地区に、レベル1の注意報が発令されました。高感受性者の方は・・・」とアナウンスがありました。
 私があまりに驚いた様子を見せたのでしょうね お話し相手をしてくださった観光協会の女性は・・・
 「大丈夫ですよ レベル1ですし、この地区じゃありませんからね ああして、村役場から火山ガスの注意報や警報が出るんです。村内には45か所、同じような屋外拡声支局と呼ばれるスピーカーが設置してありましてね。レベル1からレベル4まで、火山ガス注意報や警報が出る仕組みになっているんです。私達は、4年半の全島避難を終えて、島に戻ってくる時、火山ガスと共存すること、そのリスクを納得して帰島したんです
と教えてくださいました。

 一緒に外に出て、実際にそのスピーカーを指さしてもらうと、1本の高い柱に、四方を向いたスピーカーが取り付けられ、その下には青(レベル1)、黄色(レベル2)、緑(レベル3)、赤(レベル4)の回転灯がありました。この屋外拡声支局には、スピーカーだけのものと、レベルに応じて点灯する回転灯がついているものと、2種類あるのだそうです。住宅地の中に立つ屋外支局には、たいていが回転灯がついている、とのことでした。

 アナウンスの中にあった「高感受性者」とはどういう人のことなのですか?との質問には、「ぜん息などの呼吸器疾患の患者、または心臓病の患者等、新生児、乳児、妊婦等若しくは三宅村が実施する健康診断において、二酸化硫黄に対する感受性が高く、比較的低濃度で影響を受けやすいと判断された人達を指すのです。」とも教えてくださいました。

 私は、すっかり腰を落ち着け、そこでいろいろと三宅島の噴火、島の現状等、お聞きすることにしました

 1983年の大規模な噴火で、島の中心地区であった阿古地区400戸が、雄山から流れ出る溶岩に飲み込まれていく映像は、今でも目に焼き付いています ゆっくりゆっくり流れ、徐々に住宅や役場に迫って行くどす黒い溶岩の流れ・・・この時、溶岩に飲み込まれた役場は、今でもそのままの様子で残されています。
 阿古地区の住民はその時、溶岩の流れとは反対側の、船の北側に避難したのだそうです。

 しかし、その後も島民はその不幸にも負けず、力強く生活を復興させます
噴火もだんだんと治まります。雄山の外輪山はハイキングコースになっていて、火口内は湿地帯で、貴重な植物も数多く育っていたとか また、雄山山頂には「雄山サウナ」という噴気孔があり、お話をしてくださった女性も、お子様が小さかった頃は、よくそのあたりに出かけ、子ども達はそこに顔を向けて目をつむり、「サウナだー!サウナだー!」と言って遊んだそうです。8合目あたりには牧場もあり、のどかな山頂あたりの風景だったとのことでした
 太古の昔から噴火を繰り返す三宅島には、200以上の神社があり、噴火は神の御業(みわざ)だと崇められ、その恐ろしい甚大な被害を与える神の怒りを治めるために、人は祈りを捧げた・・・三宅島の人たちは、まさに、長い長い間、雄山の噴火とともに生きてきたのでしょう。

 しかし、その1983年のマグマを吹き上げるマグマ噴火から17年後の2000年、次の大噴火が起こります 今度の爆発は、溶岩が流れ出るような噴火ではなく、火山ガス噴火でした
 緑に覆われていた外輪山は大きく陥没し、そこからは高濃度の二酸化硫黄が吹き出し、島中に火山灰を降らせました。この二酸化硫黄によって、島の6割の植物が枯れたと言います 雨が降ると火山灰は泥流となって麓の町を襲いました。

 その後、4年半にわたる全島避難の詳細は、たまたま子どもも楽しめる夏休みの映画として公開された、今話題の「ロック」という映画を観るとよくわかる、と観光協会の方々が笑顔で話してくださいました

 生前、マザーテレサが語られた名言はたくさんありますが、その中でも最も有名な言葉は、「無関心」に関する言葉だと思います。
その中の一説に「愛の反対は憎しみではない。無関心である。」という言葉があります。
 私は、1時間近くご親切な女性からお話をお聞きし、観光協会を出ました。

 暑い陽射しを受けて、真っ青な海が広がっていました 鬼が島をイメージするような「三本岳」が見えました。
 午後からはトライアスロンの競技が始まりますが、私はぜひ、今回は応援だけで終わらせることなく、横浜に帰ったら、必ず、「東京都三宅村」について、紹介をしようと思いました。

 1983年、2000年、私は、毎日報道されるニュースやワイドショーを見て、「三宅島、大変だねえ・・・」「お気の毒ねえ・・・」などと話したものです。その時は、真剣にニュースを見て、真剣に考えていた、はずです。
 でも、4年半もの長期にわたる全島避難のことも・・・
 火山ガスと共存する帰島のことも・・・
 いまだに一部の地区は、高濃度地区として指定され、特別の許可なくしては住むことができないということ・・・
すべて、知りませんでした
 報道が徐々に少なくなり・・・私の記憶の中の三宅島は「伊豆七島の中のひとつの島」というものに戻ってしまっていたのです・・・
 
 私は、立ち枯れの木々眺めながら、炎天下、宿に戻る道を歩き、マザーテレサの「愛の反対は・・・無関心」という言葉を思い出していました



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子ども、いろいろな顔

2011年08月04日 | う゛う゛ー
 当然のことながら、「大人と同じように」子どもにはいろんなタイプの子どもがいるものです。

 たとえば。
  初対面から打ち解け、人懐っこくどんどんと話してくるタイプ・・・
  ニコニコはしていても、少し遠くから眺め、まわりの様子を観察し、自分がどのように接していこうか?と考えるようなタイプ・・・
  まったく無関心を装い、実際には全身を神経のようにして、何とかうまくその場に入っていく方法を考えているタイプ・・・
  完全に自分のまわりにバリアを張りめぐらし、まるで自分がそこにはいないがごとくしようとするタイプ・・・

 どの子が「良い子」なのか?なんて、まったくの愚問であることはご理解いただけるでしょう
 ただ、そこにあるのは「親として、我が子がどんなタイプの子どもであって欲しいか?」と考えているか?どのように振る舞う子を「親として良い子と定義づけているか?」ということだけ、です。
 もちろん、子どもながらもその場がどういう場であるかを理解し、最低限「~~な振る舞いはダメだろうなあ・・・」ということは理解してほしいとは思います

 いずれにしても子どもは、短いながらも2年、3年、4年と、両親の家庭教育のもと、それまでの人生を送り、その子の「人柄」が形成されているわけです。
 そして同時に、よほど特別な事情がない限り、父親と母親のDNAを受け継きこの世に誕生し、そのDNAが子どもの思考や行動の柱となっているのですね

 でも・・・
ついつい親は、子育てに一生懸命になればなるほど、そんな基本中の基本である「自分達のDNA」のことも忘れ、「自分達が毎日育ててきたこと」も忘れ、「どうしてあなたはこんな子なの?」と嘆いたり 悲しんだり 腹を立てたり するものなんですねえ・・・何て子どもってお気の毒なんでしょう・・・

 子どもが家庭内にとどまらず、保育園や幼稚園のように、親とは離れたところで過ごす時間が出来てくると、必ず、子どもには「親の知らない顔」が生まれます
 概ね、うちの子は良い子に育ったわと安心して過ごしていたら、ある時、先生に呼び止められ、ちょっぴりご注意、お小言を聞く・・・すると時々「え?・・・それって、うちのAですか?・・・まあ・・・我が家では、そんな乱暴な、粗野なことはしない(言わない)んですけれど・・・」と困惑されるようなことがあった・・・こんな話はよく聞くものです。
 それは、まさに「親の知らない顔」が、確かに子どもにはあるという実証例、ですね。決して、先生が人違いをしているわけでも、意図的にAちゃんママに意地悪をなさろうとしているわけではないでしょう

 もちろん、プラスの例もありますね。同じように先生に呼び止められ、おー、きたぞー、きっとうちのBは何かをしでかしたんだ・・・と覚悟を決めて先生のほうを振り返り、深々とお辞儀をすると・・・
「え?・・・それって、うちのBですか?・・・あれ、本当にBのこと、ですか?・・・我が家では、そんなにお利口なことしない(言わない)んですけれど・・・」と、狐につままれたような気分になる。それも「親の知らない顔」があった、ということに他なりません。

 まずは、親は「自分の知らない顔もある」という事実を、しっかりと認識をしなければなりません
 
 そして、大事なことは、「自分の知らない顔があった」「自分が気づかない顔を持っていた」という現実にショックを受け、悲しがったり、自分を責めたりせず、「ああ、うちの子も成長したんだなあ・・・なんてすばらしい・・・この子は、しっかりと育ってくれているんだわ」と思うこと、です

 幼い子どもを持つご両親、特にお母様は、「我が子を一番理解しているのは私だ!」と信じて疑いません。
 そういう強い思いが良いほうに働けば良いのですが、「私の知らない我が子の顔があるんだ」と知ったとたん、何となく、我が子に裏切られたような気がしてしまう・・・ そういうお母様は少なくはないものです。

 でも、そうじゃないんです
 そんなふうに思ってはいけません

 そして、私は我が子のことをすべてを知っていないといけない 我が子のことは、完璧に知っていることが母親の役目であり愛情だなどと誤解してはいけません。
 そんなことは不可能だし、我が子とは言えど、生まれたその瞬間から、やっぱり「違う時間」を持って生きているんですからね

 むしろ、子どもが「聞いて欲しい」と思っていることを、しっかり聞いてあげてください!
 「ねえ、ママ!あのね!」と話しかけた時、
 「ああ、もう今、ちょっと忙しいのよ、あとでね、あとで!」
などと一蹴してしまい、決して「あと」はやってこない・・・ それではあまりに子どもがかわいそうです。心当たりはありませんか?

 子どもの「素顔」を知り、子どもの「素顔」を認め、愛してあげましょうよ 隣の芝生は青い・・・ダメダメ ご自分の家の芝生だって、ステキな味のある色のはず、ですよ





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どーんと構える!

2011年07月08日 | にこにこ

 先日、初めて「ヨットの体験」をしました。
トライアスロンのお仲間は、非常に個性豊かで、趣味や好みも多彩です。そのおかげで、私はいろいろとその恩恵にあずかっているのですが、今回は「ヨットに乗りに来ませんか?」のお誘い。何にでも興味津々の私は、二つ返事で「行くー!行きます

 でも、私はおーきな誤解をしていたのでした
昨年あたりから、かなり大きいクルーザーに乗せていただく機会が多く、すっかりその「優雅さ」に味を占め、今回の「ヨットに乗りに来ませんか?」も「優雅にクルーザーに乗りませんか?」と同質のものとして勝手に受け止めてしまい・・・
 正直に告白すれば、「どのサングラスにしようか・・・」「どのサブリナパンツにしようか・・・」「Tシャツはどれがいいかなあ?」などとファッションチェックをしていたのでした
 そして当日。西宮駅に集合した他のお仲間も、大なり小なり、私と同じ誤解をしているご様子で
 私と夫は梅田の実家から20分弱で集合場所に到着しましたが、他のメンバーは、前夜から大阪泊。(前夜は、大阪のど真ん中生まれの夫が計画した、串カツのディープな大阪を体験 じつは、大阪出身の私も、ほとんど今まで足を踏み入れたことのないエリアで、私自身も大いに愉快な経験をしたのでした)大型ヨットの初体験にウキウキとした表情でした。
 
 この日のヨット体験・・・お誘いくださったのは、日本内外、数々のヨットレースに参戦されている強者(つわもの)。もちろん、私達もそれは存じ上げてはいたのですが、そもそも、「ヨットレース」や「レース艇のヨット」それ自体が、どういうものか?という認識に欠けていたのですよねえ・・・情けないことに・・・

 「今日はね、うちの艇のクルーのうち、一人だけには助っ人として来てもらったんやけど、せっかくの機会やから、あとは今日はみなさんにいろいろとお手伝いいただきますねえ。よろしくお願いしますー」とオーナーはニコニコ。
 男性陣も「それはねえ。当然、当然!何でも言ってよー」・・・とここまでは良かった。
 でも、メインのセイルを運ぶあたりから、「むー、もしかしたら・・・このでっかいセイルを自分達で張るってことね?!そこから始めて・・・海に繰り出して・・・そのセイルで風を受けて海を滑るように行くってこと・・・ヨットは風を受けて走るんだから、そのメインの操作はYさんがされるとしても、その補助はぜーんぶこの素人集団がするってことね・・・」と、みな、事の重大さを徐々に認識してきていました。

 でもでも・・・やっぱり女性陣は暢気なもので・・・Y夫人が運んできてくださった美味しそうな芦屋の新店の焼きたてパンにワーワー喜び、大好きなシャンパンや赤白のワインを眺め、まだまだ「クルーザー気分」でした

 普段は、日頃から練習を積んだ、息の合った10人のクルーで操縦し、レースに参戦しているYさんのその大型のヨット。曇天だったものの、風は十分にあり、神戸沖を快走。
 私達は雑談をしながらもいろいろとレクチャーを受け、だんだんと「ヨットの魅力」に引き込まれていきました。
 日頃は陽気なYさんですが、ヨットの上では全く違う顔に見えました。その顔は趣味に興じる顔ではなく、伝統ある企業のトップとして、日々戦っているYさんの顔なのだろうなあ、と思いました
 2年前、名古屋でトライアスロンメンバーの夕食会にゲストとして参加されたYさんが、あれよあれよという間に私達のチームに引き込まれ、たった3か月でレースの準備をし、全く問題なく4月の石垣島トライアスロンで完走されたこと・・・ ヨットの上でのYさんを見ていると、それが快挙でもなんでもなく、Yさんのバイタリティーと、とてつもない努力家であることに由来していることが十分に理解できました。
 そして同時に、はじめは「クルーザーに乗るレジャー気分」だったその日のお仲間達が、途中から皆、レース艇のヨットがスポーツであることをしっかりと受け止め、この日をまたとないチャンスとして、大いに「学習していること」を実感したのです

 私事ですが・・・私にとってのトライアスロンは、趣味やスポーツという意味ではなく、この「トライアスロンボーイズ&ガールズ」というチームだからこそ価値がある、と考えています 
 この一人一人のメンバー達は、それぞれに本当に「人間力」のある、すごく素敵な方達なんですよね・・・(ヨットのオーナーであるYさんを含め、この日にご一緒した方々は、日経ビジネスオンラインの「なぜ経営者は泳ぎ、漕ぎ、走るのか?」に取り上げられています)
 この日、私はあらためて、このヨットの経験を通じて、この人達の魅力に触れた気がしました

 この人達は、トライアスロンのレースで途中棄権をしたり、ご自分のお仕事の上でマイナスや、マイナスの結果に終わったことがあっても、決して文句や愚痴を言わない・・・プラス、マイナス関係なく、いつも経験や身の回りのことから何かを学び、それを自分の仕事や生き方に活かしている・・・けれど、そんなことを小難しく論じたり、唾を飛ばして熱弁をふるうこともなく、ニコニコとスマートに淡々としている・・・
 そして、一番素敵なことは・・・どんな時も、どんなことも「楽しんでいる」「楽しめる」ということなんです

 この日は、曇天でスタートした後、途中、南国のスコールのような雨に見舞われましたもちろん10人もが寝泊まりできるような大型のヨットですから、屋内に退避することも可能ですが、雨とともに強まった風を受け、それぞれに小さな「役割」もあり、のんびりと雨を避けて物見遊山気分とはいきません。そんな中でも、皆は指示された通りに動き、そしてワーワーキャーキャーとはしゃぎ・・・

 せっかくだから食べましょう!ということになり、すっかり「斜めに傾いて走行している中」でテーブルをだし、美味しいパンとサラダ、ハム、シャンパンとワインでランチをしました
 途中、頭を何度も屈めたり、男性陣は必死にロープをたぐったり、巻いたりしながらも、パンを頬張り、ワインを飲み・・・一度は突然の強風にあおられ、艇が急に大きく傾いた時、テーブルの上の食べ物や紙皿がざざーっと滑り出しました その時にも、全員がわーーーっと!と手を広げ、食材を守り?!ワインを守り!?大爆笑
 この時、私の頭の中に「どーんと構える」という言葉があらわれました
そして、ものすごく感動したものでした
 誰もワーッとかキャーとか言うこともなく、突然の不幸?!に狂喜したものでした。中でも、今年66歳になる華道家の女性は、半分お尻が海の中につかりながらも、「まあ、大変よ わたくし、おねしょをしたみたいになっちゃったわー」と笑顔。

 私はね、お友達自慢をしたいわけでも、私のヨット経験自慢をしたいわけでもありません 私は、是非ぜひ、この「どーんと構える」ことの大切さ、凄さと、「何事をも楽しむ」ことのすばらしさ・・・これを伝えたかったのです

 人が生きていく上で・・・
 親が子どもを育てていく上で・・・ こんなに大事なことはないのではないでしょうか
  何事にもうろたえず、動じず、ブレず、揺れず、「どーんと構える」。
  どんな時、どんなことも「楽しむ」。

 私はこの日、あらためて「人間力とか何か?」「人の魅力とは何か?」の真髄を、見た気がしたのでした。
 そして、私もこのお仲間達から学び、私自身もこういう「人間力」と「人としての魅力」を備え持った人となって、私のまわりにいる多くの方々に良い影響を与えていければいいなあ・・・と、強く強く感じた日でした



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「してくれない」族に思うこと

2011年06月19日 | う゛う゛ー

 先日、友人と話している時に「してくれない族」という言葉を聞きました
最初、耳にした時には「紅(くれない)族」という文字が頭に浮かび、???と思ったものですが、帰宅し、あらためてインターネットで見てみると、「くれない族」という言葉は、案外、古い言葉であることを知りました
 もともとは、1984年のTBSドラマ「くれない族・・・」という題名から生まれた言葉らしく、当時は流行語大賞で銀賞になったらしいのですが、当時の私は出産直前で、テレビドラマを楽しむというよりも、自分の新しい生活でいっぱい。それで、そんな有名?な言葉さえ、記憶に残っていなかったのでしょう・・・とまあ、ここまでは余談ですが。
 
 私の友人が語ってくれた「してくれない族」とは、「○○してくれない」と文句ばかり言う人のことで、昨今、そういう種族が増殖中だ、というのです

 「僕はこんなにがんばっているのに、評価してくれない
 「私はきちんとやっているのに、○○はしてくれない」・・・

 聞いてくれない、話してくれない、わかってくれない、から、買ってくれない、作ってくれない、などなど。
 相手から、自分に対して何等かの行動や意思表示、評価がない、ということですね。
 そう言えば、親子間、対幼稚園、対学校、対担任・・・「まどか先生、昨日、幼稚園の保護者会に参加したのですが、幼稚園側は(担任の先生は)~~~してくれないのですよ」とか「私はちゃんと~~したのに、〇〇さんはまったく理解を示そうとしてくれません」のように、口を尖らせて私にグチをこぼす?相談される?ことが、以前よりも多くなったなあ、と思います
 もちろん、その方達のお話が、単なる愚痴や文句ではなく、正当な、憤って当然のことのほうが多いのですが、中には確かに「???この人、何言ってるの?」ということもないとは言えません
 いずれにせよ、私はそのつど状況を聞かせてもらい、それに対する対応や心の持ち方などをアドバイスしているのですが、あらためて「してくれない族」という言葉や現象を聞いてみると、考えさせられました・・・

 もちろん、私にもありますよ
私がこんなに大変な思いをして、ここふた月は週1回の頻度で帰省し、いろいろな段取りをしているのに、私の両親は次から次へと無理難題を持ちかけてくる・・・ちっとも私の苦労を理解してくれない
 私がこんなに懇切丁寧に説明しているのに、ちっとも両親は覚えようとしてくれない
 
 ハッハッハ 言い出したらキリがありません。

 ただね。この「してくれない族」の話を聞いてから、私はかなり真剣に「~してくれない」と腹を立てたり、落胆したり、失望したり・・・という、この時の感情について考えました。
 「~してくれない」という不満は、自分が相手に何かを求めている、ということから生まれる感情、ですよね。求めているのに、何も(十分に)返ってこない・・・だから腹が立つ、悲しい
 ならば、たまには、完全に発想の転換をしてみるのはどうでしょう?
 「~してくれない」ことに関しては、何の解決策にもなりませんが、全然別の次元で、別の話として、「私には何ができるか?」「私は何をしてあげられるか?」ということを考えてみる・・・

 以前の私は、世の中はすべて「give and take」である、考えていました
親子であっても、兄弟姉妹であっても、友人でも同僚でも、先輩後輩も上司と部下も・・・何かgiveするからtakeが生まれる・・・と。
 しかし、この考え方で暮らしていると、生活の随所で「~してくれない」という発想が出てきます
 夫は~~してくれない、息子はわかってくれない、娘は聞いてくれない・・・私は「give」してばかりで、ちっとも「take」がないと嘆くことの多い毎日です。
 こういう時の私には笑顔はなく、いつもどこか不満顔で、鏡に映る自分がちっともステキじゃない・・・

 そんな時、さきほどの発想の転換を試みると・・・
「giveできることに喜びを感じる」こんなこともあり、じゃないか?と思えるようになったのです
 たとえば・・・いろんなことをしてあげられる夫がいる、息子がいる、娘がいる 一緒にいて、喜びや悲しみを共有できる友人がいる 一生懸命に教えると、みるみる育っていく生徒達がいる 私の言葉に「救われました」「感激しました」と言ってくださるご両親がいる
 これって、何てすばらしいことなのでしょう
 
 じつは・・・私は今、このブログを新幹線の中で書いています 早朝の新幹線に飛び乗り、今月に入ってからすでに3度目の大阪行きです
 月に1度であれば、車窓からの景色を眺め、季節の移り変わりを感じ、じっくりと本を読んだり、ちょっと居眠りをしたり・・・と価値ある2時間20分ですが、週1ともなると、この時間さえも苦痛になってきます
 けれど、今でも親孝行することのできる両親が健在であること、私の帰省を心待ちにしてくれる両親がいること・・・発想を「私にできることは何か?」に転換し、「~~できて、うれしい」と思ったとたん、車窓からの景色も鮮やかに見えるようになりますあり

 そんな、聖人君主のような発想なんて出来るわけないじゃないですかと、またまたあちこちからお叱りと呆れる声が聞こえそうですが
 でも、こんなふうに発想を替えてみると、何よりも自分自身がとても楽になります

 マイナスを頭の中で積み重ね、増幅させ、発酵させ、どんどんと疲れていくよりも、時にはマイナスをリセットするべく「プラスへの発想の転換」を試みてみませんか?
 ほんのわずかの時間であったとしても、心がフッと軽くなり、あたたかくなります そして、鏡に映る自分の怖い顔に、わずかながら優しさが見えるようになりますよ

 私は何ができるか?私は何をしてあげられるか?案外、たくさんあるものです


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