ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその284-KARAOKE

2017年12月06日 | 日記
マシンの採点に物申す。

相変わらずカラオケの需要は高い。
私も呑んだ後は、二次会と称して、カラオケルームへ足を運ぶ。
お腹に力を貯め、大きな声を出すことは、ストレスの発散にも繋がる。良いことだ。
しかし問題がある。
それはカラオケマシンの採点についてだ。
私は知人と二次会でカラオケに行くが、決まって「ランキングバトル」と言うモードで歌う。
しかしいくら上手く歌っても(自己陶酔の世界かもしれないが)、マシンには通じない。低い得点で、バッサリ切られてしまう。
しかし得点順位を見ると、99.XX点などと言う、人間離れした得点をたたき出している人がいる。
どう言う歌唱か、是非一度聴いてみたいものである。
昔、あるテレビ番組で、プロ歌手が、自分の持ち歌をカラオケランキングバトルを行なった時、90点を越える歌手が一人もいなかった。
プロの歌手ともなると、自分の持ち歌でつい余裕を見せるため「遊んで」歌唱することがある。これがいけない。
相手は「マシーン」である。冷酷非情だ。
少しでも音程が外れたり、抑揚を間違えたりすると、減点の対象となる。
今流行の「AI」でも入ったカラオケマシーンがあれば(あるのかもしれないが、私は知らない)マシーンの採点も変化するだろう。
要は、歌唱の上手さとは、聴いている人間の感情にどれほど訴えかけるかで、評価されるべきである。
決して、楽曲の作曲者が起こした、譜面どおりのメロディーに、沿わなければいけないと言うルールは無い。
しかし、譜面を基本にしている「マシーン」にはそれは通じない。
よってカラオケの得点は、あくまで一つの目安「マシーン」が提供してくれた、その場の和みの要素と捉えるべきである。
などど偉ぶっても、また私は二次会で「マシーン」に向かって、文句を吐くのだろう.......

明日のためにその283-ラジオ

2017年12月04日 | 日記
中波とFM。

遠い昔。私がまだ少年時だいたっだ頃、私はテレビよりラジオに勤しんだ。
夜になると、他県の放送が、電波特性によって、我が家でも楽しめた。
遠くは、北海道、九州からの電波がよく入感していた。
もちろんこれは中波(AM)放送の話。FM放送は電波の特性上、遠距離の放送が届くことは無い。
みなさまの中にも、昔、ラジオをよくお聞きになっていた方もいらっしゃるだろう。
当時は歌謡曲が全盛で、よく「歌謡曲ベストテン」などの番組を聞いていた。
ところで、中波とFMみなさまはどちらの音質が良いとお考えだろうか。
圧倒的に「FM」を推す方がおおいと思われる。
私も最初はそうだった。しかしある日、中波の音の良さに気づいた。
あの低音、注音が豊で、どくとくの音質を持った中波の音に魅入られた。
オールディズなどは、FMより中波で聴いたほうが、よりノスタルジックを覚える。
それ以外も(最近は例外が多いが)中波の方が、より「番組」を制作していると思う。
最近のFMはただ曲を垂れ流し、曲の前後に全く持って下らないDJのトークをはさむ。
番組と言えるものが殆ど無い。
昔はFMも、しっかりした「企画」を持った「番組」が沢山あり、楽しめたものだ。
放送は番組で成り立っている。番組は企画でなりたっている。この構成をまったく持たなくなってしまったのが、今のFM局である。
それもあいまって、私は何年もFMを聞いていない。
今現在、ラジオを聞くことがあまりないが、私はFMより「番組」を持った、あの優しい音のする中波放送が好きである。

明日のためにその282-演劇

2017年12月02日 | 日記
テレビの演劇中継の誤り。

私は昔、学生の頃、初めて演劇と言う物を体験した。
学校の行事として、近くの有名な舞台を観に行った。
演目、演者は既に記憶に無いが、初めて見た舞台に私は衝撃を覚えた。
それまで、映画好きな私は、映画しか観た事がなく、今で言う「2D」の世界しか体験していなかった。
しかし、生身の人間が、舞台に立ち、演技をするのを観て、とても新鮮であると感じたものだ。
その後は、やはり私は映画が好きで、もっぱら映画鑑賞に時間とお金をかけ、夢中になり、舞台のことは忘れていた。
先日、テレビで久しぶりに演劇(舞台)を見た。厳密に言えば、それ以前もしばしば見たりしていた。
だがどうしても、最初から30分も見たらチャンネルを変えてしまうか、テレビを消してしまう。
私が演劇の中継を見ない理由は「カメラ」の存在である。特に先日見た演劇中継は、やたらカメラをスイッチして、落ち着いて見られなかった。
この「カメラ」が問題なのである。以前のこのブログで「カメラ=万年筆」について書いたが、映画はカメラで物語を紡いでゆくが、舞台は「演者」で物語を紡ぐ。
しかし、カメラが舞台中継に介在すると、私達は舞台を観ているのではなく「カメラ」を通じた「映像」を見ていることになる。
これでは、カメラ=万年筆になってしまい、カメラの意のままに私達はコントロールされてしまう。
現在のテレビは縦横比率が「16:9」となっている。これは長年の研究の結果16:9の画面比率が、人間の視野に最も近いとなり、現在にいたっている。
ならば劇場中継など、もってこいの環境なのだ。人間の視野に近いのだから。
私が提言したいのは「カメラ一台の据え置き」で舞台を中継することだ。
観客席の一番良い所へ、カメラを据え置きし、一切動かさず、舞台の上の時間を映す。
見る我々も、好きに舞台への視線を移動できる。
これが私の考える、最も理論的な舞台中継だと思う。もし、これが実施されれば、舞台中継にも興味がわき、視聴する機会も増えるだろう。
テレビ側の人間から見れば「ばかばかしい」と思われるかもしれないが、私はこの持論を推してやまない。

明日のためにその281-今週の一曲

2017年12月01日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひと時をいかがおすごしでしょうか。
今週も「今週の一曲」をご紹介します。
今回はロシアのバンド「Чичерина」をご紹介します。
彼らの詳細は、調べましたが分かりませんでした。
ロシア独特のメロディに、前ノリのビートがマッチしています。
では、ご堪能あれ。