田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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小川屋とアピア

2015-04-04 01:35:11 | Weblog
小川屋最終企画2days、がっちり鑑賞して、今へろへろである。
何と今になって、腿の裏の筋肉痛で歩行がやや困難状態。
いくら年だからって、遅すぎる…

この2daysに関しては、また後日。


まずは3月12日の「小川屋音泉vol.1」について。


1月半ば、いわきソニックの三ケ田氏と、いわきのライブについて電話で話をしている時、小川屋が3月一杯で閉店する事を聞いた。
ショックだったなぁ。

「え~、なに? どういう事、それっ??」
と連呼し、
「それならみんなで、なんかしようよ~!」
と連呼し、
「日にちは、いつでもいい! 小川屋単発でも、全然いい!」
と言うと、
「それなら、タテタカコさんに連絡してみようかな」
と三ケ田君。
「また連絡します。」
と電話を切って、1時間もしないで再度電話が来た。
「3月12日に、タテタカコ、田中眞紀子、遠藤ミチロウで決めました!」

私の言った「みんなで」の中には、遠藤ミチロウさんは入ってはおりませんでしたが。(笑)


2月に入って、アピアママの命日ライブでアピア40に行くと、アピアパパから、
「3月12日、小川屋でしょ? ミチロウの復帰後初ツアーで、ミチロウ1人だと大変だから、俺が運転手で一緒に行くよ。よろしくね!」
と、楽しそうに言われた。

ぎぇ~、パパが小川屋に来るのか!?

即、小川屋プリンちゃんに連絡。
プリンちゃんからも、ぐぇ~!との声が出た。
「あんな音のいい店のマスターに来られちゃうんですか!
ったって、反省のしようがないっすよねぇ!」


そして四畳半プリン、谷井大介、オープニングアクトのサンイチゴという布陣で、3月12日「小川屋音泉vol.1」は開催された、

サンイチゴは最終的に、小川屋のオープニングアクトを32回をやり切った若者。
最初見た時は、ぼ~っとした男の子だったが、見る度にしっかりしてきたというか、良い意味で図太くステージに立てるようになっていった。
小川屋に集う強者どものステージを浴びるように見続けた経験は、必ずや彼のこれからの成長の物凄い財源となるだろう。羨ましいくらいだ。

実は四畳半プリンにとって、この日が小川屋で最後の弾き語りだったそうだ。
最後の曲で、私は初めて彼がミスをするのを見た。
帰りにホテルまで送ってもらった時、そのことを「集中力を欠いた」と悔いている様子だったが、私はそのミスに、グッと心を掴まれちゃったんだよね。
というか、ミスする直前、物凄く‘入っていた’のが分かって、彼の中に去来する色んな思いが、そのミスによって強烈に伝わって来たんだ。
そういう事、あるんだ。
そして、その‘悔い’が、小川屋再開の小さな火種になって燃え続けてくれたりなんかしたら、いいな!

昨年2月に、小川屋で私を泣かせた谷井大介とは、それ以来1年ぶりに再会。
サンイチゴと共に、小川屋チルドレンの代表格として、気合の入ったステージを展開した。
が。
実はもっと色々書きたいことがあったんだけど、3月29日の彼のライブがあまりにも凄かったんで、ここでは割愛。
やっぱりアトムの歌は泣けた。
私は「大震災世代の子供たち」を歌う気持ちが薄れているので(内容を変えないと‘今’とマッチしなくなってきてるからです)、彼がこの歌の思いを受け継いでくれたら嬉しい。

さて、私にとってこの日は、色んな試練が待ち構えていた日。
シンガー田中眞紀子の生みの親、育ての親であるアピアパパに、ツアー先のライブを見られるっていうのは、子供が学校で好き勝手な事をしていたら親が授業参観に来ちゃったみたいな感じで、少々気が重い感じだったのだが、いざ本番が始まったら、強~い味方がそばにいてくれるっていう安心感みたいなものがあって、妙な感じを味わったのだった。
試練その2は、「ふるさと」を、作曲者タテタカコさんと、いわきでこの歌を歌い続ける三ケ田圭三氏の前で歌うというもの。当のタテタカコさんからリクエストされてしまったので、歌うしかない。
1年以上歌い続けてきて、なんだか卒業試験のようなのだった。
何とか及第点はもらえたようだ。
自分の出番直前なのに、私のライブの最後まで客席にいて「ふるさと」を聞いて下さった。タテタカコさんに感謝である。

さて、タテタカコさんのライブで物凄くうれしかったのは、いわきから三ケ田圭三氏が1曲歌いに来てくれたことだ。
何しろこのイベントは三ケ田氏の発案で始まっている。「言いだしっぺなんだから来てよ~!」と言った事は言ったけど、本当に来てくれるとは!
ドラムとライブペインティングの方々を引き連れて、小川屋最後のライブを盛り上げたいというタテタカコの思いをたっぷり盛り込んだ暖かいステージだった。
またPAを含め、勉強させてもらえたこともあり、この共演は私には有意義であった。


昨年大病をして、今年からライブ復帰している遠藤ミチロウ氏のステージは、小川屋の最終イベントで「今日で辞める」「解散する」と言っていた何組かの出演者に見せたかったよな。
このステージへの執念を!
今まで幾度となく見てきた遠藤ミチロウとは別のエネルギーが、そのギターに声に滲み出ているんだ。
だから聞き手は‘待つ’んだよ。その時が来るのを!
そして‘来る’んだ、‘その時’が!

座って歌うと、モニターからの音の聞こえ方が違ってやり難そうにしていて、ついには立って歌っていた。
ライブが終わった時には、まともに歩けないような状態。
でもやるんだよ!!
音楽が、歌が、ライブが、己にとっていかなるものか。
少なくとも、同じステージでライブをやってる者なら、全盛期とは異なるパワーの爆発のしかたを学べたろうに!
その炸裂の一瞬の魔力を!

多分ご本人も納得のいくライブではないだろうが、ご本人、聴衆共に、新しい遠藤ミチロウのステージの形を構築していくのだろう。
つまり、未だ進化するという事だ。


終演後、小川屋プリンちゃん、三ケ田君、アピアパパ、ミチロウさんという、あり得ない4ショットが談笑していて、私は一人で夢を見てるような幸せな気分。
遠藤ミチロウ監修「音泉マップ」という、全国のライブハウスの情報を集めた本があって、プリンちゃんはこの日のイベントタイトルを、その本から引っ張ってきたんだけど、この本、アピアが出しているのをプリンちゃんは知らなかったらしい。
リハーサルの時、横浜ナンバーの真っ赤な車に乗ってやってきたアピアパパを店に入れて、全部手作りですとプリンちゃんが案内すると、渋谷のアピアも手作りだったね、とパパは嬉しそうに笑った。

私の‘実家’渋谷アピアと同じ匂いのする小川屋は、渋谷アピアと同じように消滅する。
けれど、この日のタイトルは「小川屋音泉vol.1」。
店という形が無くなっても、小川屋は前進するのだ。