爺のつぶやき

石狩川のほとりに住む田舎の爺が、見たり聞いたりその日の出来事をつぶやいています。

開戦の日

2009-12-08 20:34:00 | あれこれ
「大本営8日の声が蘇る」    8日「道新朝刊」北広島松山勝男さんの川柳である。

1941年のきょう太平洋戦争が始まった。

道新が発行した「北海道百年」には、当時の様子が載っている。

12月8日  降雪

 この日午前3時19分、ハワイ時間では7日午前7時49分、日本海軍機による真珠湾攻撃の火ぶたが切られた。

<NHK臨時ニュース>

「大本営陸海軍部発表、12月8日午前6時、帝国陸海軍は今8日未明西太平洋に於いて、米英軍と戦闘状態に入れリ」。

<北海タイムス夕刊見出し>

米英の横暴断乎粉砕
帝国遂に干戈を執る
 宣戦布告の大詔渙発

<記事の書き出し>

帝国政府は光輝あるある三千年の歴史を有する帝国の権威と自存を擁護すべく・・・永年の隠忍を破って米英支配打倒の火蓋を切るに至り8日午前11時45分、米英に対して宣戦布告の大詔が渙発された。

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 道内には、明治維新、前から開港の歴史がある函館、その市長斉藤与一郎さんはアメリカの圧倒的な物量と軍事力で前途を危惧していたという。

しかし、この市長も聖戦目的自体に疑いをさしはさむことはなかった。
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当時の北海道は、金もない、物もない、人さえも足りないという深刻な状況であったらしい。

 国の情報も正確に道民に伝える事もできなかったらしい。


NHK7日10時からの”日米開戦”「海軍はなぜ過ったのか」をテレビで見た。
半藤さん、澤地さん、戸?さんが「海軍反省会」の話をされていた。

太平洋戦争は310万人におよぶ国民の命が失われた。

あれから68年が過ぎた。

ハル・ノートで、日本が米国に挑発されて開戦に踏み切ったと認識している。

しかし、鉄鋼、石油、工作機械など産業必需品の7割も米国に依存して、国力が脆弱なままで戦争をした。どう考えても理解に苦しむ。

この戦争で、国民をどれだけ過酷な戦火にさらしたか、防衛省幹部だけでなくわが国の政府関係者は今一度振り返ってよく考えてもらいたい。












コメント
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