5月3日は憲法記念日。施行66年目を迎えることになります。
そもそも憲法は、国が国民に果たすべき義務を明記したものであり、私も含め政治に携わる者にとっては、常に立ち返るべき原則です。
つまりは、憲法とは「国が国民を縛るもの」ではなく「国民が国を縛るもの」であるということです。
では、今の社会や国の在り方が、憲法が定めた原則に沿ったものになっているのでしょうか?
国は国民に果たすべき義務をどれほど果たしているのか?
生存権が保障されているにもかかわらず、仕事や収入を失ったことによる餓死などの貧困死は後を絶ちません。自殺者も、毎年3万人前後を推移しています。
国際的なもめごとを解決する手段として武力の行使を放棄した憲法のもとでも、年間5兆円の軍事費のほか、多くの米軍基地が存在し、米国による他国への武力介入の出撃拠点となっています。
こうした憲法と現実との矛盾をどのように無くしていくのか?
いま日本は二つの分岐点に立っています。
安倍政権の企てのように、国が果たすべき責務を放棄し、憲法そのものを変えていくのか? それとも、憲法を暮らしにいかす立場で、政治や社会を変えていくのか?
格差と貧困が大きな社会問題となる中で、また憲法9条が世界平和の大きな希望となる中で、憲法は古くなるどころかますます輝きを増しています。
中国や北朝鮮を引き合いに、「国を守るため」にも国防軍なるものを憲法に明記し、集団的自衛権を認めるべきとの意見があります。
しかし、現実は「国を守る」でコトは終わらず、「その国との交戦が始まる」という続きがあることを認識すべきだと思います。
96条の改憲で憲法を変えやすくし、そして本丸の9条に乗り込む、こんな企てを許すわけにはいきません。
憲法が暮らしに生かされることこそ私たちの進むべき道です。
5月3日の伊藤真講演-96条改憲は何を狙うか?
先輩の安達安人さんがアップしてくれています。ぜひご覧ください。