モータースポーツ、とりわけF1はつかの間のオフシーズンということで「読むF1」を実践しているところではありますが、紹介しそびれていた本とマシンがありました。
昨秋に三栄のGPCar StoryでブラバムBT55が特集されました。このマシンについては昨年5月の当ブログでエリオ・デ・アンジェリスの話と共に少し触れたのですが、このマシンのことと、このマシンが走った1986年のF1シーズンについても触れたいと思います。
このマシン、特徴と言えば何と言ってもとても低い車高にありました。


ドライバーの後ろがほぼ平らになっているのが分かります。ブラバムチームに長く在籍したデザイナー、ゴードン・マーレイはリアウイングにクリーンな空気を流したい(抵抗なくスムーズな空気の流れを作りたい)ために、BMWエンジンを傾けて搭載し、フラットな車体を作り出しました。しかし、エンジンを傾けて取り付けたことでエンジン内のオイルの循環にも影響が出るなど、次々に問題が噴出し、期待した成績を収めることができないままシーズンを終えました。
本書では、この特徴的なマシンをデザインしたゴードン・マーレイへのインタビューの他にも、マシンを操ったリカルド・パトレーゼ、デ・アンジェリスの死後にマシンを駆ったデレック・ワーウィックらのインタビュー、さらには当時のオーナーでF1界のボスと称されたバーニー・エクレストンへのインタビューなども掲載されています。
ミニカーでのご紹介ではありますが、かなり特徴的なマシンですね。スケートボード、フラットフィッシュといったあだ名があったのもうなずけます。



ゴードン・マーレイはブラバムチームでさまざまなマシンをデザインしました。「三角断面モノコック」のBT44、ファンカーことBT46B、ニードルノーズのBT52など(このあたりもいずれこのシリーズで特集されるように思いますが)、特徴的で時にラジカルなマシンをサーキットに送り出していました。ロックスターのような風貌で、TシャツにGパンという格好もあいまって、いわゆる名門チームとは違う、どこかイケイケなチームを象徴しているような感じがします。実際にチームの関係者が「海賊船のようなチームだった」というのが、この時代のブラバムチームを象徴しているように思いました。
BT55についてはシーズン最高位6位が数回ある程度で、あとは完走もままならなかったのですが、それでも白と紺の車体は美しく、シンプルな車体デザインに良く似合っています。イギリス系のチームとは言ってもオリベッティやエンポリオアルマーニといったイタリア企業のスポンサーも見えますが、シーズン当初はドライバーがイタリア人二人での構成だったからでしょうか。
結局はこのマシン、成功を収めるまでには至らず、テスト中にドライバーを失うという悲しい出来事もありました。ゴードン・マーレイもチームを去り、マクラーレンでこのアイデアを開花させることになりました。それがマクラーレンMP4/4で、空気抵抗を抑えた車体、コンパクトでパワフルなホンダエンジン、勝ち方を知っているチャンピオン(プロスト)と、タイトルを渇望する若き天才(セナ)のタッグで16戦15勝を挙げることになります。

マクラーレンMP4/4

ブラバムBT55ほどではありませんが、低く抑えられたカウルがお判りいただけますか?
ブラバムチームにいた二人のドライバー、パトレーゼとワーウィックですが、翌87年はパトレーゼは残留、ワーウィックはアロウズに在籍、中団を走るマシンの常連という感じで、二人はデビューシーズンだった中嶋悟とバトルをしていました。パトレーゼはその後ウィリアムズで活躍、優勝も遂げています。ワーウィックは優勝こそなかったものの、中堅チームを中心に活躍し、渋い風貌とともに人気がありました。
チームの代表だったバーニー・エクレストンはチームの仕事よりもF1全体の仕事の方にシフトしていき、ある種「株仲間」的なF1の各チームのまとめ役になったり、権力を駆使してF1そのものの地位を押し上げてきました。その手法には賛否ありましたが「バーニーのおかげで・・・」と彼を評価する関係者が多いのもまた事実です。
さて、1986年のシーズンそのものの話になりますが、シーズンとしてはウイリアムズ・ホンダとマクラーレン・TAGポルシェの争いとなりました。コンストラクターズ(チーム)タイトルはウィリアムズが獲得したのですが、ドライバーズタイトルは最終戦でマクラーレンのプロストが大逆転で獲得、2年続けてのタイトルとなりました。この最終戦も昨年の最終戦に負けず劣らず劇的でしたが、ウィリアムズのエース二人、ピケとマンセルのバトルの間隙を縫ってプロストが獲ったようなところがありました。最近のファンなら2007年シーズンにマクラーレンの二人(アロンソ、ハミルトン)の対立を横目にポイントを重ね、最後にタイトルをものにしたライコネンをイメージすれば分かりやすいかもしれませんね。

ウィリアムズ・ホンダFW11。後ろのドライバーは左からプロスト、マンセル、ピケ

マクラーレンMP4/2C。MP4/2シリーズは改良を重ねて都合3シーズン使われました。この塗装はマルボロカラーの蛍光レッドが退色したのではなく、ポルトガルGPのロズベルグ車のみ、マルボロライトの金色と白に塗り分けられたものでした。ちなみに後のチャンピオンで、このマシンを駆ったケケ・ロズベルグの息子ニコ・ロズベルグはこのときまだ1歳です。
また、ブラバムと同じBMWエンジン、ピレリタイヤという組み合わせのチームがありました。それはベネトンで、この年はゲルハルト・ベルガーがメキシコで初優勝を遂げています。

このマシンもカラフルだけでなく特徴的なスタイルです。ベルガーは後年のマクラーレンやフェラーリのイメージが強いのですが、もともとはBMWと共にF1にやってきたドライバーでした。
ブラバムの話に戻りますが、その後は日本企業のスポンサーを受けたり、日本人がオーナーになったりと奮闘を続けますが、チームは1992年で活動を休止しました。紺色と白のマシンは後にウイリアムズに引き継がれましたが、こうしたシンプルなカラーリング、私は結構好きです。そういえばBT55の精巧な模型が、以前恵比寿にあった「レーサーズ・カフェ」という飲食店にあって、ときどき眺めておりました。ああいうお店、またできないかなあ。
さて、GPCar Storyの関係でまだご紹介したい記事もございます。それはまた次の機会に。
昨秋に三栄のGPCar StoryでブラバムBT55が特集されました。このマシンについては昨年5月の当ブログでエリオ・デ・アンジェリスの話と共に少し触れたのですが、このマシンのことと、このマシンが走った1986年のF1シーズンについても触れたいと思います。
このマシン、特徴と言えば何と言ってもとても低い車高にありました。


ドライバーの後ろがほぼ平らになっているのが分かります。ブラバムチームに長く在籍したデザイナー、ゴードン・マーレイはリアウイングにクリーンな空気を流したい(抵抗なくスムーズな空気の流れを作りたい)ために、BMWエンジンを傾けて搭載し、フラットな車体を作り出しました。しかし、エンジンを傾けて取り付けたことでエンジン内のオイルの循環にも影響が出るなど、次々に問題が噴出し、期待した成績を収めることができないままシーズンを終えました。
本書では、この特徴的なマシンをデザインしたゴードン・マーレイへのインタビューの他にも、マシンを操ったリカルド・パトレーゼ、デ・アンジェリスの死後にマシンを駆ったデレック・ワーウィックらのインタビュー、さらには当時のオーナーでF1界のボスと称されたバーニー・エクレストンへのインタビューなども掲載されています。
ミニカーでのご紹介ではありますが、かなり特徴的なマシンですね。スケートボード、フラットフィッシュといったあだ名があったのもうなずけます。



ゴードン・マーレイはブラバムチームでさまざまなマシンをデザインしました。「三角断面モノコック」のBT44、ファンカーことBT46B、ニードルノーズのBT52など(このあたりもいずれこのシリーズで特集されるように思いますが)、特徴的で時にラジカルなマシンをサーキットに送り出していました。ロックスターのような風貌で、TシャツにGパンという格好もあいまって、いわゆる名門チームとは違う、どこかイケイケなチームを象徴しているような感じがします。実際にチームの関係者が「海賊船のようなチームだった」というのが、この時代のブラバムチームを象徴しているように思いました。
BT55についてはシーズン最高位6位が数回ある程度で、あとは完走もままならなかったのですが、それでも白と紺の車体は美しく、シンプルな車体デザインに良く似合っています。イギリス系のチームとは言ってもオリベッティやエンポリオアルマーニといったイタリア企業のスポンサーも見えますが、シーズン当初はドライバーがイタリア人二人での構成だったからでしょうか。
結局はこのマシン、成功を収めるまでには至らず、テスト中にドライバーを失うという悲しい出来事もありました。ゴードン・マーレイもチームを去り、マクラーレンでこのアイデアを開花させることになりました。それがマクラーレンMP4/4で、空気抵抗を抑えた車体、コンパクトでパワフルなホンダエンジン、勝ち方を知っているチャンピオン(プロスト)と、タイトルを渇望する若き天才(セナ)のタッグで16戦15勝を挙げることになります。

マクラーレンMP4/4

ブラバムBT55ほどではありませんが、低く抑えられたカウルがお判りいただけますか?
ブラバムチームにいた二人のドライバー、パトレーゼとワーウィックですが、翌87年はパトレーゼは残留、ワーウィックはアロウズに在籍、中団を走るマシンの常連という感じで、二人はデビューシーズンだった中嶋悟とバトルをしていました。パトレーゼはその後ウィリアムズで活躍、優勝も遂げています。ワーウィックは優勝こそなかったものの、中堅チームを中心に活躍し、渋い風貌とともに人気がありました。
チームの代表だったバーニー・エクレストンはチームの仕事よりもF1全体の仕事の方にシフトしていき、ある種「株仲間」的なF1の各チームのまとめ役になったり、権力を駆使してF1そのものの地位を押し上げてきました。その手法には賛否ありましたが「バーニーのおかげで・・・」と彼を評価する関係者が多いのもまた事実です。
さて、1986年のシーズンそのものの話になりますが、シーズンとしてはウイリアムズ・ホンダとマクラーレン・TAGポルシェの争いとなりました。コンストラクターズ(チーム)タイトルはウィリアムズが獲得したのですが、ドライバーズタイトルは最終戦でマクラーレンのプロストが大逆転で獲得、2年続けてのタイトルとなりました。この最終戦も昨年の最終戦に負けず劣らず劇的でしたが、ウィリアムズのエース二人、ピケとマンセルのバトルの間隙を縫ってプロストが獲ったようなところがありました。最近のファンなら2007年シーズンにマクラーレンの二人(アロンソ、ハミルトン)の対立を横目にポイントを重ね、最後にタイトルをものにしたライコネンをイメージすれば分かりやすいかもしれませんね。

ウィリアムズ・ホンダFW11。後ろのドライバーは左からプロスト、マンセル、ピケ

マクラーレンMP4/2C。MP4/2シリーズは改良を重ねて都合3シーズン使われました。この塗装はマルボロカラーの蛍光レッドが退色したのではなく、ポルトガルGPのロズベルグ車のみ、マルボロライトの金色と白に塗り分けられたものでした。ちなみに後のチャンピオンで、このマシンを駆ったケケ・ロズベルグの息子ニコ・ロズベルグはこのときまだ1歳です。
また、ブラバムと同じBMWエンジン、ピレリタイヤという組み合わせのチームがありました。それはベネトンで、この年はゲルハルト・ベルガーがメキシコで初優勝を遂げています。

このマシンもカラフルだけでなく特徴的なスタイルです。ベルガーは後年のマクラーレンやフェラーリのイメージが強いのですが、もともとはBMWと共にF1にやってきたドライバーでした。
ブラバムの話に戻りますが、その後は日本企業のスポンサーを受けたり、日本人がオーナーになったりと奮闘を続けますが、チームは1992年で活動を休止しました。紺色と白のマシンは後にウイリアムズに引き継がれましたが、こうしたシンプルなカラーリング、私は結構好きです。そういえばBT55の精巧な模型が、以前恵比寿にあった「レーサーズ・カフェ」という飲食店にあって、ときどき眺めておりました。ああいうお店、またできないかなあ。
さて、GPCar Storyの関係でまだご紹介したい記事もございます。それはまた次の機会に。