かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

紀州徳川頼宣室 瑤林院(八十姫)と池上本門寺

2012-10-19 | 池上本門寺の歴史
瑤林院(八十姫・やそひめ) 1601~1666.2.27 慶長6年~寛文6年1月24日
紀州藩祖徳川頼宣・正室。
加藤清正・娘、母・徳川家康養女清浄院(水野忠重女)

徳川頼宣 1602~1671 慶長7年~寛文11年1月10日
加藤清正 1562~1611 永禄5年6月24日~慶長16年6月24日
加藤清正室(継室)清浄院 1582~1656 天正10年~明暦2年9月17日

瑤林院 略年表
1601 慶長6年、加藤清正の第5子・次女として肥後国に生まれる。
1609 慶長14年、徳川頼宣(徳川家康十男)と婚約。
1610 慶長15年、結納。結納使は頼宣の伯父三浦為春(養珠院お万の兄)。
1611 慶長16年、父・加藤清正逝去。(熊本)
1616 元和2年 徳川家康逝去。(駿府城)
1617 元和3年正月、駿河駿府藩主徳川頼宣に輿入れ。
1619 元和5年、頼宣の紀州藩主就任に伴い紀州和歌山に移る。
1626 寛永3年 正応院(加藤清正側室・忠広生母)逆修十一重層塔を本門寺に建立
1632 寛永9年、肥後熊本藩・加藤忠広(第2代藩主)改易となる。
1633 寛永10年、江戸・紀州藩邸に移る。
1647 正保4年、池上本門寺に、鐘楼の梵鐘*を寄進する。
1649 慶安2年 池上本門寺に、加藤清正供養塔を建立する。
1653 承応2年 加藤忠広、出羽丸岡で逝去。
        義母・養珠院お万の方、江戸紀州藩邸で逝去。
1656 明暦2年 生母清浄院、京都で逝去。京都・本圀寺の清正廟隣に埋葬する。
        同寺に瑤林院自身の逆修墓を建立し、加藤家墓所として整備する。
        茶々姫(芳心院)の子の病気平癒を祈願して「紺紙金字法華経」を
        池上本門寺に奉納する。「功徳主 祖母瑤林院日芳」
1664 寛文4年 夫頼宣の「現世安穏後世善処」を念じ本門寺に妙見菩薩立像を奉納
      **妙見菩薩立像は、現在、池上山内・照栄院の妙見堂に祀られている。
1666 寛文6年1月24日、逝去。享年66歳。
        池上本門寺で荼毘にふされ、和歌山の吹上要行寺に埋葬される。
        同寺は、のち報恩寺と改め紀州徳川家菩提寺となる。

〇池上本門寺は江戸における紀州徳川家の菩提寺である。紀州徳川家墓所には、養珠院(お万の方)供養塔とともに瑤林院の墓塔がたっている。

瑤林院宝塔

紀州徳川家墓所

〇紀州藩主徳川吉宗の第8代徳川幕府将軍就任と、後に徳川家重の第9代将軍就任に伴い、吉宗側室・家重生母深徳院の墓所がある池上本門寺は、紀州徳川家菩提所に加え、徳川将軍家菩提所の一つとなった。


梵鐘* 正徳4年(1714)、天真院・寛徳院・芳心院・円光院ら、紀州徳川家関連の簾中からの資助によって改寿された。
天真院(紀州徳川家2代光貞正室)
寛徳院(徳川8代将軍吉宗正室)
芳心院(紀州家初代頼宣娘・鳥取池田光仲正室)
円光院(吉宗の姉・上杉綱憲正室)

**瑤林院が奉納した妙見菩薩立像のことは、当ブログ内、池上本門寺関連の記事の中に何度か出てきます。リンクさせましたので見てください。
池上・照栄院と妙見堂(池上の寺めぐり・朗子講23)
冬至 星まつり (池上 照栄院の妙見堂)
写真 池上 妙見堂の紅葉
平成24年1月1日 池上本門寺 初日出はお預け



 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。