かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

「南無」について

2014-03-23 | こころ
南無
水を因とし 土を縁としていただいた この命
いま地球におかえし致します
                  南無
信友廟(合祀墓)に刻まれた文

池上 實相寺さんの行事予定を確認するためHPを見てました。
ページをめくっていると、上の文章があり、はたと立ち止り考えこんでしまいました。平静の心境、感謝の気持ちが伝わってきます。

ここでの「南無」は「礼拝」と「感謝」をあらわしているのだろうと思いました。




第1回 日蓮検定3級 問題 (抜粋)

2014-03-19 | その他
第1回 日蓮検定3級を立正大学大崎キャンパスで受けてきました。
3級としては、やや難易度の高いもの、引っかけに近い問題をあげてみます。

問004
落語と仏教。
落語の符丁 舞台⇒高座、羽織⇒達磨、手ぬぐい⇒?
①蓮華 ②更紗 ③曼荼羅 ④布施

問014
「法華三部経」に該当しないものは
①妙法蓮華経 ②観普賢菩薩行法経 ③無量義経 ④無量寿経

問019
日蓮の五義判に該当しないものは
①行 ②時 ③教 ④国

問025
日蓮誕生の前年に起き、後鳥羽上皇らが配流となった兵乱は
①弘安の役 ②文永の役 ③応仁の乱 ④承久の乱

問028
日蓮が歿する前年に勃発した事件は
①弘安の役 ②霜月騒動 ③文永の役 ④二月騒動

問032
日蓮の「三大秘法」に該当しないものは
①本門の戒壇 ②本門の題目 ③本門の本尊 ④本門の行者

問037
日蓮誕生以前に歿していた人物は
①親鸞 ②道元 ③栄西 ④一遍

問041
法華経および多くの大乗経典は「如是我聞」(このように私は聞きました)という言葉で始まります。この言葉の「我」とは
①舎利弗 ②迦葉 ③釈迦牟尼仏 ④阿難

問047
「夫れ仏道に入る根本は信をもって本とす」と述べた日蓮の著作は
①『法華取要抄』 ②『法華証明鈔』 ③『四信五品鈔』 ④『法華題目鈔』

問050
日蓮の佐渡配流、塚原の三昧堂の地に建てられた寺院は
①妙宣寺 ②妙証寺 ③根本寺 ④実相寺




雑感

2014-03-15 | パソコン
2014.03.14

ぷららBroachによる当かぶとんブログの終了について。
どこを期限とするか未定だけれど、Broach管理ツールに「gooブログへデータ移行」の案内がはいったので遅かれ早かれ決めないといけない。目安としては3月末か、4月末かな。(いますこし、様子見です)
続けるのもいいけれど、物事には潮時ってものもあるしね。




奥絵師・江戸狩野派の成立 探幽三兄弟のおさらい

2014-03-06 | 池上本門寺の歴史

狩野探幽(かのう・たんゆう) 探幽守信。玄徳院殿前法眼守信日道。
1602~1674 (慶長7~延宝2年) 京都生まれ。狩野孝信の長男。
徳川幕府御用絵師。鍛冶橋狩野家祖。
今に残る探幽の障壁画・屏風絵の大半は、重要文化財・重要美術品である。

狩野尚信(かのう・なおのぶ) 主馬尚信。圓心院實諦日徳。
1607~1650 (慶長12~慶安3年) 京都生まれ。孝信の次男。
竹川町に屋敷を拝領。木挽町狩野家祖。子に狩野常信。
 重要文化財「松図襖・壁貼付」寛永3年(1626)
 元二条城二の丸御殿・黒書院三の間のもの。(尚信20歳)
 (この時探幽は大広間の障壁画を担当。)

狩野安信(かのう・やすのぶ) 永眞安信。長源院殿法眼永眞。
1614~1685 (慶長18~貞享2年) 孝信の三男。
中橋に屋敷を拝領。中橋狩野家祖(狩野家宗家)。
狩野宗家の狩野貞信(狩野光信の長男)に養子として入り惣領家を嗣いだ。

狩野探幽・尚信・安信の三兄弟は狩野永徳の孫にあたる。
この時期、活動の拠点を京都から江戸に移し、徳川幕府の御用を勤めた。


墓所 池上本門寺
狩野探幽(守信) 多宝塔に向かって左手前。瓢箪(ひょうたん)墓。
狩野尚信  多宝塔に向かって右側。
狩野安信  多宝塔に向かって右側。
狩野常信(木挽町2代) 五重塔の隣(北西側)
 


〇板橋区立美術館
「江戸文化シリーズNo.29 狩野3兄弟 ~狩野探幽・尚信・安信~」
開催中 2014年3月30日まで
*ギャラリートークで学芸員・佐々木英理子さんから各絵の解説がありました。初々しい佐々木さん、着実に狩野派絵画の専門家としてのキャリアを積んでいる、と感じました。