かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

「昭和の仁王様」 池上本門寺

2013-08-31 | 今日の写真



仁王像 仏教の護法善神(守護神)
     開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像。







仁王像  池上本門寺・本殿外陣奉安
       円鍔勝三(えんつば・かつぞう)謹刻 昭和53年(1978)入仏開眼




池上本門寺 本殿


追)
なお、山門の仁王尊像二体は現在修理中で、いるべき場所にいません。
告知を見ていないので、経緯がわかりません。




日経・文化欄 『「こよみのページ」英知満載』 を読んで

2013-08-28 | (旧) 暦
2013.08.28
新暦(西洋暦)との絡みで、ちょっと面倒くさい「旧暦」「二十四節気・七十二候」ではあるが、季節感があっていて(感じられて)、いいなあ、と思っています。
と、いうところに、

今日の日経・朝刊の文化欄、『「こよみのページ」英知満載 ◇サイト開き13年・アクセス6900万件、天体好き高じる◇ 鈴木充広(さん)』、が掲載され、おもわず熟読したしだいです。

「うるう年は4年に1回である」。 答えは「×」。
もう少し正確にいうと、400年間に97回である。
(うるう年であるはずの年に、ない年が3回ある。けれど、生きている間にはない。前回が1900年で次回は2100年とのことです。いやはや。)
「旧暦の方が日本の季節にマッチした暦だ」、「より季節感を感じられる」と、旧暦に基づいた「スローライフ」も提唱されているが、注意が必要だ。 ―とも言っている。
とはいうものの、これは「太陰暦」、「太陰太陽暦」との絡みもあるが、ある程度は調整されていると思うのだけれど。
「旧暦では春分、夏至、秋分、冬至を含む月はそれぞれ2月、5月、8月、11月に固定して、他の節気を調整する約束事にしてあった。」と書かれているが、これが太陰太陽暦=「旧暦」のポイントかな。


8月23日(金) 旧暦七月十七日
 処暑(しょしょ) 二十四節気 14/24
  〇残暑がしばらくとどまるが、朝夕は秋の気配がただよう。
 綿柎開(めんぷひらく) 七十二候(初候)14の1
8月28日(水) 旧暦七月廿二日  下弦 (月齢 21.2)
 天地始粛(てんちはじめてしゅくす) 七十二候(次候)14の2
  〇ようやく暑さも鎮まる頃。
  〇天地の気が粛然として万物があらたまる頃。
*昼間はまだまだ暑いけれど、朝晩は季節の変わり目にきていると感じられる。




池上本門寺めぐり 紀州徳川家墓所・他

2013-08-25 | 池上本門寺・池上市民大学
2013年8月

紀州徳川家墓所の前で熱弁をふるう池上本門寺公式ボランティアガイドの山崎さん。そして「本門寺めぐり」参加のみなさん。

今日は「池上市民大学」の開校日。
その前段として、午前中に「池上本門寺めぐり」(予約不要・無料)がありました。
朗子会館に集合。参加者は数十人。まずは今日歩くコースの座学。
朗子会館を出て総門前を通り、大坊(本行寺)方面へ向かう。多宝塔の前を通って右手後ろ石段を上って「紀州徳川家墓所」へ(山崎さんの説明と、檜山さんの詩吟朗詠)。そのあと、さらに石段を上って歴代墓所・池上宗仲公夫妻の墓所へ。左へ転じて「三日月藩 森家墓所」へ(ここでは宮内さんの解説あり)。正面の石段を下りて大坊・本行寺というコースでした。
(この日はやたら蒸し暑く、ヤブ蚊にもさされながらの寺めぐり。参加されたみなさま、おつかれさまでした。)




中央工学校 (いまは、夏休み中。)北区王子

2013-08-19 | 都内散策




校舎の向こう隣りは、王子稲荷神社。


学校法人 中央工学校
この書は 本校卒業生 第五代校長 元内閣総理大臣
田中角栄先生が 昭和46年に揮毫されたものです





中央工学校 北区王子本町

東十条から王子へと、台地側をぶらぶら歩きをしてきました。


角栄少年の青年時代・夜学生時代をふり返りたくなりました。その頃(昭和9~11年頃)の中央工学校は神田・一ツ橋(旧中猿楽町)でした。15~17歳の頃。

1953(昭和28)年、中央工学校第5代校長就任(34歳)。1972(昭和47)年まで。
中央工学校は、1962(昭和37)年に神田一ツ橋より北区王子(現在地)に移転した。