かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

スナップ写真 池上本門寺&ライブ・コンサート

2011-08-31 | 池上本門寺


池上本門寺 本院寺務所(奥の緑の屋根の建物)
このなかの「長栄の間」で、池上市民大学の講座・講義があります。
 

当日の同じ時間帯に、はす向かいの「桜広場」で、ライブ・コンサート。リハーサル中のようでしたが、外野にも心地よい音が流れていました。

―Slow Music Slow LIVE `11 in 池上本門寺―


3日間の中日、この日は、持田香織(さん)、夏川りみ(さん)出演とのことです。



朗峰会館の裏手、東京都旧跡 「松濤園(松涛園)」
普段は非公開ですが、9月5日(月)~9月11日(日)、期間限定で無料公開されます。例年、たくさんの人が来園してます。



今日、8月29日は 旧暦の八朔です。

2011-08-29 | (旧) 暦
8月(葉月)・9月(長月) 旧暦では

8月29日(月)は、旧暦でいうと八月一日(朔日) 八朔(はっさく)です。

西暦2011年(平成23年) 8月29日(月)~9月26日(月)
旧暦では 干支 : 辛卯(かのと・う) 八月(葉月・はづき)・小の月

西暦       旧暦
8月29日(月) 八月 朔日 旧八朔(新月)・八朔の祝
8月30日(火)
8月31日(水) 八月 三日 三日月

9月 1日(木) 八月 四日 二百十日
                  風の盆(~3日)(旧八朔~三日)
9月 2日(金) 八月 五日 禾乃登(くわすなわちみのる) 七十二候(末候)14の3
                   〇穀物が実り始める頃。
9月 3日(土)
9月 4日(日)
9月 5日(月) 八月 八日 上弦
                  斗掻(とうかち)の祝
9月 6日(火)
9月 7日(水)
9月 8日(木) 八月十一日 白露(はくろ) 二十四節気(15/24)
                   〇秋も本格的になり、草葉に露が白く見えるようになる。
                  草露白(そうろしろし) 七十二候(初候)15の1
                   〇草の葉に白露が宿り始める頃。
9月 9日(金) 八月十二日 重陽(旧暦の重陽 10月5日・九月九日)
9月10日(土)
9月11日(日) 八月十四日 二百二十日
                  待宵(まつよい)
9月12日(月) 八月十五日 十五夜(満月)
                  中秋の名月
9月13日(火) 八月十六日 鶺鴒鳴(せきれいなく) 七十二候(次候)15の2
                   〇セキレイの鳴き声が聞こえてくる頃。
                  十六夜(いざよい)
9月14日(水) 八月十七日 立待月(たちまちづき)
9月15日(木) 八月十八日 居待月(いまちづき)
9月16日(金) 八月十九日 臥待月
9月17日(土) 八月  廿日 更待月(ふけまちづき)
9月18日(日) 八月廿一日 玄鳥去(げんちょうさる) 七十二候(末候)15の3
                   〇ツバメが南方へ去っていく頃。
9月19日(月) 八月廿二日 敬老の日
9月20日(火) 八月廿三日 下弦
                  彼岸入り・社日(戊の日・戊寅)
9月21日(水)
9月22日(木)
9月23日(金) 八月廿六日 秋分の日
                  秋分(しゅうぶん) 二十四節気(16/24)
                   〇彼岸の中日。この日より、夜が長くなる。
                  雷乃収声(らいすなわちこえをおさむ) 七十二候(初候)16の1
                   〇この頃より雷が鳴らなくなる。
9月24日(土)
9月25日(日)
9月26日(月) 八月廿九日 彼岸明け
                  旧晦日

9月27日(火) 九月  朔日 朔
9月28日(水) 九月  二日 蟄虫坏戸(ちつちゅうこをはいす) 七十二候(次候)16の2
                   〇寒さを恐れ、虫が地中に姿を隠す頃。
9月29日(木) 九月  三日 三日月
9月30日(金) 九月  四日



〇八朔の祝 旧暦・八月一日(朔日) 徳川幕府、正月に次ぐ祝日。
 徳川家康が初めて江戸城に入城した日。 天正18年8月1日(1590.8.30)
 八朔
 早稲の穂が実る頃、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習があった。田の実の節句とも。
 「たのみ」「頼み」(頼み合う)から、公家や武家が感謝の意味で贈り物をするようになった。
〇斗掻の祝 旧暦・8月8日に行われる米寿(八十八歳)の祝。
  斗掻 枡に盛った穀物をならして平らにする棒のこと。
〇巳成金大祭(みなるかね・たいさい) 己巳(つちのと・み) 9月11日(日)
 東叡山寛永寺・不忍池 辨天堂(弁天堂)  午前10時・午後2時
〇中秋の名月 旧暦八月の十五夜(今年は9月12日)


〇五節句
■ 人日(1月7日) 七草
■ 上巳(3月3日) 桃の節句、雛祭り
■ 端午(5月5日) 菖蒲の節句
■ 七夕(7月7日) たなばた・星祭り
■ 重陽(9月9日) 菊の節句
〇雑節
五節句・二十四節気以外の、季節の移り変わりの目安となる日。立春が雑節の基準日(第1日目)となる。
■ 節分 四立(立夏・立秋・立冬・立春)の前日。江戸時代以降、主に立春の前日をさす。
■ 彼岸(会) 春分・秋分を中日とし、前後各3日を合せた7日間のこと。この期間に行なわれる仏事のこと。
■ 社日(しゃにち) 産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。
春秋にあり、春社・秋社ともいう。春分・秋分の最も近い(つちのえ)の日が社日となる。
■ 八十八夜 立春を起算日(第1日)として88日目。農作への注意喚起。日本独自の雑節。
■ 入梅
■ 半夏生 夏至から11日目(7月2日頃)。農作、節目の日。
■ 土用 四立(立夏・立秋・立冬・立春)の前18日間。
■ 二百十日 立春を起算日(第1日)として210日目。9月1日前後。風鎮め。
■ 二百二十日 立春を起算日(第1日)として220日目。9月11日前後。



参考 引用・抜粋 『旧暦カレンダー』 『歳時記カレンダー』 ㈱シーガル
    雑節 - Wikipedia
    HP 「雑節|日本文化いろは事典」




日経新聞・朝刊連載小説 『等伯』-覚え書 

2011-08-24 | 長谷川等伯

2011.08
興味深く読ませてもらっている『等伯』 連載が始まってからだいぶ経っていますが初のコメントです。というよりか、いつもどおり、覚え書形式での記述でいきます。
まだまだ話の途中ですが、前半部、信春(のち等伯)の妻、静子の信春にたいする信頼・献身に、思わずもらい泣き、なんて場面もありました。そして息子の久蔵。すくすく、のびのびと育っています、が・・・
ただ最近の場面では、静子の病状・容態が日に日に悪くなっており、気がかりです。

信春は法華宗徒であり、おもに法華宗(日蓮宗)のお寺の仏画を描いていました。当ブログでも、池上本門寺の記事が多くなっています。けれど実際のところ、京や北陸の法華宗(日蓮宗)の動向や法華文化のことは、ほとんど知らない、といっていいくらい。この『等伯』をきっかけに、京都の町衆文化のことも含めて、もうすこし内側に入っていきたいです。

『等伯』の作者・安部龍太郎 福岡県八女市の出。(大田区役所にも勤務した、とあるので親近感を覚えました。)
挿絵・西のぼる 石川県白山市。(『等伯』の準地元か。西さんの画もいいですね。)


■ 長谷川等伯  天文8年(1539)~慶長15年2月24日(1610.3.19)
 安土桃山から江戸時代初期に活躍した仏画師・絵師。
 能登国七尾の生まれ。能登・畠山の陪臣、奥村家から染物業(仏画師でもある)長谷川宗清の養子となる。幼名、又四郎。
 主要作品
 『松林図屏風 (しょうりんずびょうぶ) 』(国宝) (東京国立博物館蔵)
 『楓図壁貼付』(国宝) (京都・智積院蔵)
 『松に秋草図屏風 (まつにあきくさずびょうぶ) 』(国宝) (京都・智積院蔵)
 『枯木猿猴図』(重文) (京都・龍泉庵蔵)

■ 長谷川久蔵  永禄11年(1568)~文禄6年(1593)
  長谷川派絵師。長谷川等伯の長男。能登国七尾の生まれ。
 「智積院障壁画の内『桜図』」(国宝) (文禄元年・1592頃)

〇同時代の絵師、他
■ 狩野元信 文明8年(1476)~永禄2年(1559) 狩野派の祖・正信の子。京都出身。
■ 狩野松栄 永正16年(1519)~天正20年(1592) 元信の三男、直信。
■ 狩野永徳 天文12年(1543)~天正18年(1590) 松栄の長男。狩野派棟梁。
  永徳は法号。名は源四郎、諱は州信(くにのぶ)。
 主要作品
 『唐獅子図屏風』 永徳筆、探幽(永徳の孫)による書入れ。
 『洛中洛外図屏風』(国宝) (永禄8年・1565) 上杉本
 『聚光院障壁画』(国宝) (天正11年・1583) 聚光院-大徳寺の塔頭
 「二十四孝図」(聖護院・蔵) (郭巨の場面に、信春が感動する。)
■ 海北友松 天文2年(1533)~慶長20年(1615) 絵師。海北派の始祖。
 元浅井氏家臣の家系。斎藤利三(明智光秀重臣、春日局の父)と親交があった。
■ 雲谷等顔(うんこく とうがん) 天文16(1547)~元和4年(1618) 毛利家御用絵師。
■ 本阿弥光悦 永禄元年(1558)~寛永14年(1637)
 書家(寛永の三筆の一人)、琳派の創始者。法華宗徒。
 (光悦は、池上本門寺ともつながってきます。)
■ 俵屋宗達 生没年不詳 慶長から寛永年間に活動。法華宗徒。
■ 尾形道伯(光琳の曽祖父) 京都・呉服商「雁金屋」経営。

■ 畠山義続 ? ~天正18年(1590) 能登畠山氏の第8代当主。
■ 畠山修理大夫(義綱) ? ~文禄2年(1594) 能登畠山氏の第9代当主。
■ 近衛前久(さきひさ) 天文5年(1536)~慶長17年(1612) 公家、五摂家筆頭
 近衛家当主、関白左大臣・太政大臣。藤氏長者。

〇寺院・神社
■ 羽咋(はくい)気多大社(けたたいしゃ) 石川県羽咋市、能登国一宮。旧国幣大社。
 院坊・正覚院  神宮寺(現在は高野山真言宗)
 「十二天像」(願主・畠山家) (永禄7・1564 信春)
・ 越中新川郡金山谷の本願寺
 「法華経本尊曼荼羅図」(京都・妙伝寺蔵) (永禄11・1568 信春)
・ 大徳寺の興臨院
・ 東福寺の栗棘庵
・ 能登七尾 妙国寺
・ 能登七尾 大念寺
・ 越中富山の妙伝寺
 「鬼子母神十羅刹女像」
■ 能登七尾・本延寺 奥村家の菩提寺。当時の住職日便は京都・本法寺からきた。
■ 京都・本法寺 鍋冠上人・久遠成院日親上人の創建(永享8・1436)。
 信春(等伯)、上洛当時の住職は日堯上人、のち十世日通上人
 当初は本法寺塔頭・教行院(住職日受上人)に寄宿した。
 『日堯上人像』(重文) (元亀3・1572 信春)
 『佛涅槃図』(重文) (慶長4・1599) 親族の供養のために描いた涅槃図。縦10m。
 『等伯画説』 日通上人筆録(重文)

 秀吉の聚楽第建設に伴う、本法寺の復興事業(天正15・1587)、移転工事監督は本阿弥光悦の父・光二である。

■ 京都・本圀寺(旧 本国寺) 十五世日栖上人、十六世日禛上人(公家・広橋家の出)
■ 堺・妙国寺(妙國寺) 開山は日珖上人、開基は三好之康。建立・油屋伊達常言。


〇美術展
■ 「日蓮と法華の名宝」展  平成22年10月から11月 京都国立博物館
 日蓮の「立正安国論」奏進750年を記念して、京都で華ひらいた町衆文化を紹介。
■ 没後四百年[特別展覧会] 長谷川等伯 平成22年4月から5月 京都国立博物館

 京都国立博物館のホームページ >展示案内>これまでの展示
 現在も両特別展の詳しい内容を見ることができます。

■ 没後400年 特別展「長谷川等伯」平成22年2月から3月 東京国立博物館・平成館

〇これからの等伯 関連の美術展
■ 日本の美・発見Ⅵ 長谷川等伯と狩野派
  平成23年(2011)10月29日(土)~12月18(日) 出光美術館



干支(かんし、えと) 方位 ―江戸のおさらい 2―

2011-08-23 | 干支(かんし、えと)

江戸検(江戸検定)を意識して、「方位」の基本も見直してみました。

干支 方位

   方位  十二支       八卦         四神・四色  四天王
24 北     子(ね)      坎(カン)       玄武・黒   多聞天
 1
 2      丑(うし)
 3 北東  丑寅(うし・とら)  艮(ゴン・うしとら) 鬼門
 4      寅(とら)
 5
 6 東    卯(う)       震(シン)       青竜・青   持国天
 7
 8      辰(たつ)
 9 南東  辰巳(たつ・み)   巽(ソン・たつみ)
10       巳(み)
11
12 南    午(うま)     離(リ)        朱雀・赤   増長天
13
14      未(ひつじ)
15 南西  未申(ひつじ・さる) 坤(コン・ひつじさる) 裏鬼門
16      申(さる)
17
18 西    酉(とり)      兌(ダ)        白虎・白   広目天
19
20      戌(いぬ)
21 北西  戌亥(いぬ・い)   乾(ケン・いぬい)
22      亥(い)
23
24 (北)  子(ね)


〇十二支に違和感がなくなったら、つぎに八卦の名称と読み書き学習にいこう。
〇八卦 易における8つの基本図像。卦は爻(こう)とよばれる記号を3つ組み合わせた三爻によりできたもの。乾(ケン)・兌(ダ)・離(リ)・震(シン)・巽(ソン)・坎(カン)・艮(ゴン)・坤(コン)。
〇四神
青龍  東 春 青
朱雀  南 夏 赤(朱)
白虎  西 秋 白
玄武  北 冬 黒(玄))
・五行説では、中央に黄龍(もしくは麒麟)(土)。
〇四天王
東方  持国天
南方  増長天
西方  広目天
北方  多聞天  多聞天(原語の意訳)=毘沙門天(音訳)*
* 梵名 ヴァイシュラヴァナ ヴァイシュラヴァス(神の息子) 父親の名に由来する。
  「よく聞く所の者」の意味。→多聞天
〇余裕と興味があれば、「風水」「陰陽道」も。江戸初期の都市計画・江戸鎮護構想や、上野忍岡の東叡山寛永寺建立にも関連・天海するかな。


参考 『大江戸見聞録』 暦と時刻(32-33p.)
    方位、八卦 - Wikipedia



干支(かんし、えと) 時刻 ―江戸のおさらい―

2011-08-22 | 干支(かんし、えと)
江戸検(江戸検定)を意識して、基本を見直してみました。

干支 時刻

 夜
 (午前)
24 子刻(ねのこく)     (暁)九つ
 1
 2 丑刻(うしのこく)   (暁)八つ
 3                  丑三つ(時) 丑の刻、4分割の3番目。
 4 寅刻(とらのこく)   (暁)七つ  「お江戸日本橋 七つ立ちー」
 5
 6 卯刻(うのこく)     明け六つ (ほぼ=)日の出
 7
 8 辰刻(たつのこく)   (朝)五つ
 9
10 巳刻(みのこく)     (朝)四つ 江戸城本丸御殿の御太鼓
11
 昼
12 午刻(うまのこく)    (昼)九つ 正午(午の正刻)
 (午後)
13
14 未刻(ひつじのこく)   (昼)八つ
15
16 申刻(さるのこく)    (夕)七つ
17
18 酉刻(とりのこく)     暮れ六つ (ほぼ=)日の入り
19
20 戌刻(いぬのこく)    (夜)五つ
21
22 亥刻((のこく)     (夜)四つ   閉門
23
24 子刻(ねのこく)     (翌暁)九つ


〇左側の数字 現代の時間とみてください。(おおよそです。)
あえて言えば、春分の日と、秋分の日は十二支の時刻と同じです。
〇不定時法
日の出と日の入りを基準に、昼と夜のそれぞれを六つに割って一刻と定める方式。
ゆえに夏場は、昼の間隔が長く、夜の間隔が短い。逆に冬場は、昼の間隔が短く、夜の間隔が長くなる。
〇九つ、八つ、七つ、六つ、五つ、四つ、九つ…に慣れて、違和感がなくなれば。
 「時の鐘」の数による呼び方です。捨て鐘、三つ。
〇御太鼓 江戸城における老中の出仕(出勤)を知らせる朝四つ(午前10時頃)の太鼓。
〇「四つ上りの八つ下がり」 俗に老中の勤務の様子をいう。


参考 『大江戸見聞録』 暦と時刻 (32-33p.)