かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

写真 冬のJR上越線沿線 2012年1月

2012-01-31 | 新潟 長岡
JR上越線で、越後湯沢からり長岡へ向かいました。昔を思い出しながら。

湯沢近郊













石打





南魚沼

越後駒ケ岳と八海山


越後駒ケ岳。右奥は中ノ岳(かなー)


魚野川に浦佐大橋。後方は越後(魚沼)三山。


白岩峠と信濃川・妙見堰

中越地震・崩落跡*







JR越後滝谷駅付近


長岡市滝谷 遠景
中央やや左手にJR上越新幹線・滝谷トンネル。 **



〇新潟県中越地震 (2004年(平成16年)10月23日17時56分)
*  石坂山西斜面の崩壊場所(長岡市妙見町先(白岩))。崩落した県道(旧国道17号)は、その後、新経路で開通した。画像に見える岩石群は慰霊のため残してある。
** ここで上越新幹線脱線事故が起きた。(長岡方面に向かい、滝谷トンネル出口の先)



写真 越後浦佐・毘沙門堂(冬・1月)

2012-01-28 | 新潟 長岡
越後浦佐・毘沙門堂 吉祥山多聞院 普光寺 (真言宗) 本尊・毘沙門天
 新潟県南魚沼市浦佐2495 (旧南魚沼郡大和町)
 JR浦佐駅・西口より徒歩5分


毘沙門堂(普光寺)への参道


山門(仁王門) 南魚沼市指定文化財






案内板 「楼門の概説」






天井画 「双龍図(九龍)板絵」 谷文晁作・永森一郎氏修復

山門の二階 毘沙門天二十八使者の彫像を安置。十六羅漢壁画、格天井に「二十三天女」絵(京都仏画師板谷桂舟作)。(とパンフレットに載っているけれど、未見。)


浦佐毘沙門堂


扁額 「夛聞天王」(多聞天)



回廊

不動明王(石像仏)と、うがい鉢





不動明王と不動尊龍








聖徳太子堂


別当 普光寺







山門から外を見れば、正面に八海山。








観音橋からの千手院


浦佐毘沙門堂と普光寺



浦佐案内 毘沙門堂・普光寺


伝統に触れる、祭りに興じる、じょんのびの里


浦佐案内 裸押合大祭 (毎年3月3日)
裸押合祭りは由緒ある祭りで、古くは堂押(どうおし)と呼ばれました。西大寺のはだか祭り(岡山県)・国府宮のはだか祭り(愛知県)と並び、日本三大奇祭の一つです。
その堂押の様子は江戸・天保時代、滝沢馬琴などの文人と交流があり塩沢町に住んでいた鈴木牧之が雪国の人々と自然を生き生きと描いた随筆集「北越雪譜」に著されています。
裸押合祭りは冷水を浴びた若い男衆が五穀豊穣と家内安全を願い、数多くの大ローソクが灯る中を「サンヨ、サンヨ」と声を掛け合い、熱気と興奮に満ちあふれた迫力ある祭りで、普光寺・毘沙門堂の歴史とともに今に受け継がれています。
〇「浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗」 選択無形民俗文化財(国指定文化財)


リンク 前回の訪問 2011年(平成23年) 夏・7月


参考・参照しているのが、いつものようにWikipedia。今回では「普光寺(南魚沼市)」「毘沙門天」等。そして後からの確認ではいったHP 「裸押合い祭り―浦佐毘沙門堂」(吉祥山 普光寺 裸押合い大祭実行委員会)、これにはびっくり感心しました。わかりやすく、しかも内容が充実しているなと思いました。毘沙門堂・普光寺の歴史(沿革)についても、じっくり読みました。ついで「浦佐多聞青年團」、ここにも感心。活動活発だあ。

長岡行きの途中下車、ちょっと立ちよりではなく、今度は浦佐をメインにしてやって来たい。



写真 JR浦佐駅

2012-01-26 | 新潟 長岡

浦佐大橋からのJR浦佐駅


JR浦佐駅(東口)


JR上越線のホームより、越後駒ケ岳と八海山を望む。
で、説明を終えてはいけない。
左方の銅像を見おとさないでください。後姿だけれど田中角栄・角さんです。(言わなきゃわからないって、地元の人意外は、ですね。)(画像拡大で見てください。)
魚沼の人たちに手を振っているのとともに、越後駒ケ岳と八海山にも挨拶しているような。
(左方、雪で真っ白な越後駒ケ岳。右方、雲でどうしても山頂を見せてくれない八海山。)




このあと西口のほうへ出て、越後浦佐・毘沙門堂に行きました。すぐそこです。



写真 魚野川・浦佐大橋より上越国境を望む

2012-01-24 | 新潟 長岡






2012年1月24日



はい、そうです。JR上越線と長岡の記事を書くための前哨です。そう思ったよ、という人は長岡有縁の人ですよ、たぶん。
長岡有縁の人から、お便り来るようにがんばります。
(ただし、大勢に迎合、受け狙いの記事とは無縁でいきますので、そこのところは、よろしく。)