「南無」について 2014-03-23 | こころ 南無 水を因とし 土を縁としていただいた この命 いま地球におかえし致します 南無 信友廟(合祀墓)に刻まれた文 池上 實相寺さんの行事予定を確認するためHPを見てました。 ページをめくっていると、上の文章があり、はたと立ち止り考えこんでしまいました。平静の心境、感謝の気持ちが伝わってきます。 ここでの「南無」は「礼拝」と「感謝」をあらわしているのだろうと思いました。
檜山さんへ 2013-02-21 | こころ 有難うございます。 檜山さんの姿勢・行動を、見習わないといけない、と、つくづく思っています。 これからもよろしくお願いいたします。 無理なく人と歩調を合わせられるのであれば、それでよし、ですが、無理をして人とあわせるのはよくないです。体調を考えて、自分のペースを守らないといけない、ということは大いにありうることです。 ● 「すみだの粋」 江戸好み 深むし煎茶ティーバッグ 江戸と現代の交わる街「すみだ」 明治40年創業 茶にかけて三代 茶処 小林園本店 (販売元 東武タワースカイツリー株式会社) ● 紀州南高梅 梅干しフリーズドライ 塩梅 あんばい 豊国屋 「ちょっとした、お返し品」、気持ち+αについて、随分と考えさせてもらってます。(ウーン)
考えてしまう言葉 2012-10-10 | こころ 人は、見たいものしか見ない 人は、聞きたいことしか聞かない しばらく前、講演を聞いたときに、出てきたことばです。 だんだんとボディブローのように効いてきて、最近は、たびたび思いだす。 人は、あの人は、この人は、そして自分は・・・ そのとうり、と言ってしまえば簡単だが、うーん、と考えこんでしまう。 だから、・・・の次が出てこない。 そのかわり、同じような言葉がでてきた。 人は、見たいものしか見えない 人は、聞きたいことしか聞こえない この否定語を(は)でつなげば、あと二つできる。軽くなるので、やめとこう。 と、思ったけれど、どうでもいいや、となるまえに記録しておくことにした。 人は、見たくないものは見ない 人は、聞きたくないことは聞かない 人は、見たくないものは見えない 人は、聞きたくないことは聞こえない なんか、アホらしくなってきたなァ。
NHKラジオ・明日へのことば 北海道の赤ひげ先生と言われて 2012-09-19 | こころ 先日に続いて「明日へのことば」。いやー、目が離せなくなったというか、ラジオなので耳が離せないっていうのか、道下先生と、そばにいらした奥さまの敏子さんのお話には大感激でした。 2012年9月18日・19日 NHKラジオ深夜便 明日へのことば 「北海道の赤ひげ先生と言われて」 浜中町立診療所・名誉所長 道下俊一 お話を思い返すに、「赤ひげ先生」と尊敬される道下先生は、霧多布(きりたっぷ)の土地と、そこで暮らしている人たちとの深い関わりによって生まれ、育まれたんだと、つくづく思いました。 昭和28年 北大病院から一年間の任期だということで、霧多布に赴任した時のこと。 札幌から汽車で10時間、駅から10㎞以上の行程、雪道を歩いて行った。 着いた所は、明治初期に建てられたという診療所(釧路日赤病院浜中診療所)でした。 (北海道東部・厚岸郡浜中の霧多布地区は、前年、昭和27年(1952)3月の十勝沖地震津波で大被害を受け、復興もままならなかった) 広い範囲に散在する集落と8千人の住民、それに対し医者は、本人唯一人。 始め、村民から相手にされなかったこと。 土地のことばを話せるようになって、初めて会話が成りたったこと。 専門外の外科手術等、なんでも、こなしたこと。 往診はどこまでも出かけた。小型船で行く途中、シケにあって死ぬ思いをしたときのこと。 診療が終わって、お婆さんから出されたうどんをおかわりしたら、オラのうどんをうまいといって食べてくれたぞ、今度の先生はいい先生だ、と集落中の評判になったこと。 雪降るなか、湯たんぽを抱いて、毛布を何枚も体にくるみ、馬ゾリで往診したときのこと。 ハシカ、水疱瘡、赤痢等の伝染病が蔓延し、往生したときのこと。 伊勢湾台風(昭和34年)のあと、水道が通ったこと。 昭和35年 チリ地震による大津波の来襲をまともに受けたときのこと。 村人が、海がなくなっていく!! 大津波が来るぞ、山へ逃げろ!! 命からがら、山のお寺まで逃げたときのこと。 揺り戻しの津波が、都合14回あったこと。村人11人が流されて亡くなった。 被災した高校生。 ここが故郷だ、ここを投げて、他へ行くなんて考えられないことだ。 一年経つと札幌に帰る準備をする、村が引きとめる、あと一年・・・ これを何年も何年も繰りかえしていた。 あるとき決断をした。ここ霧多布で、医者としての仕事を全うしよう、と。 奥さんの敏子さんに伝えると、約束と違う、と喧嘩になった。しかし冷静になってから考えた敏子さん、あらためて夫の道下先生に、どこまでも一緒についていきます。 敏子さんは、毎年、庭に一年草の花を植えていた。この年は桜の苗木を植えた。何年か後に桜の花が咲くのを楽しみにして。 そして後年、桜は咲いた。日本最北の山桜として、今も残っているという。 道下先生は、霧多布で47年間、地域医療に取り組んだ。その間、ずっとサポートしてきた敏子さんです。 引退したあと、札幌ススキノ、スナックのママさんから、その節は先生にたいへんお世話になりました、ありがとうがざいました、とお礼を言われて、びっくりしながらも、うれしかったと語る道下先生。 それと、小さい頃、面倒をみた少年が、その後、東大を出て医師になり、そして浜中診療所の後を継いだんですよ、とうれしそうに話してました。 問診 -カルテの裏側- 「カルテの裏に その人の人生があると思うんです その裏がわかるようになって 初めて私は医療が出来ると思って やってきたのですよ」 もうすこし、詳しいほうで 「カルテの表には、咳が出る、お腹が痛いって書きますね。しかしその裏、カルテの裏側を考える。カルテの裏には、その人の人生があると思うんです。親子の問題、嫁姑の問題、経済的な問題、その裏が分かるようになって初めて私は医療ができると思うのです。」(新・リーダーたちの言葉) 年代は、ブログ公開後に確認し追加しました。 Google検索でみると、かつてNHK 「プロジェクトX 挑戦者たち」 にも取り上げられたようです。なので、詳しく、かつわかりやすいブログもあることを知りました。 「カルテの裏側」も、放送時は言葉のメモだけでしたが、孫引きですが、追加で載せました。 もう一つ追加。診療所でレントゲン技師の助手として働いていた学生は、後年、アニメ 『ルパン三世』 の作者として世に出たモンキー・パンチ氏であるそうな。 とにもかくにも、道下先生のまわりから、いろんな人が育っていった。
NHKラジオ 明日へのことば 酒井雄哉(さん) 2012-05-12 | こころ 2012年5月12日 「人生、これ修行」 天台宗大阿闍梨 酒井雄哉 目が覚めなくて、聞き損ねました。(残念) そのうち、なにかの機会に、お話を聞くこともできるでしょう。(たぶん) 個人的な知識としては、昔、テレビが見れた頃の、NHK特集 『行~比叡山 千日回廊~』のアンコール版を見て心揺さぶられたことくらいか。修行の後半、街中に出て歩く酒井大阿闍梨、それを道端で待ちうけ、一心に手を合わせる年配の女性たち。思わずこちらの目頭も熱くなりウルル、なんてことがありました。 今回、聞いてもいないのに、なんでこだわりがあるのかといえば、すこし前の「明日へのことば」に出た玄秀盛さんが、酒井大阿闍梨の東北・恐山行脚に、先立ちとして同行した話をしていたからだ。(二人の間柄を、よく知らないので、今も半信半疑。) これは、まずもって、出ている本を何冊ずつかは読まないと話しにならぬ、と思いいたったしだいです。(低次元の記事で恐縮です。) 酒井雄哉(さん) (酒井大阿闍梨) 『ムダなことなどひとつもない』 PHP研究所 先日、精密検査で病院に行き来し落ち込みがちな知り合いに、お見舞いとして渡した本。自分も読まないと。 『比叡山・千日回峯行 酒井雄哉 画賛集 ただ自然に 』 画・寺田みのる 小学館 帯には、現代の生き仏 勇気と励ましの人生メッセージ、とある。 先方より、読んで、と手渡された本です。 解説を担当した細溝さんは、酒井雄哉さんを「阿闍梨さん」と、親しみを込めて呼んでいる。 玄 秀盛(さん) 『愛と命と魂と ~生きてこそすべて 歌舞伎町駆け込み寺~』 KKロングセラーズ 玄さんのことは、もっと知りたいです。