かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺 長栄堂・長栄大威徳天の縁起

2013-05-29 | 池上本門寺


当山の守護神 「長栄大威徳天」 を奉安する。昭和34年再建。毎月22日が縁日で、正月・5月・9月が大祭。また、毎年7月の土用の丑の日にはほうろく祈祷会が行われる。
     パンフレット「池上本門寺を散策してみませんか」(No.3)より


この堂(長栄堂)には長栄大威徳天が祀られている。この尊神は、宗祖が佐渡流罪のおり、塚原三昧堂で法華経読誦三昧に日々を送られていたが、その時影現した白髪の翁で、そののち、一生涯宗祖を保護し、神変不思議の通力を現わし給うた善神だと伝えられる。
とりわけ、防火除盗、海上安全の守護をせんと誓い奉った善神だとも言われ、宗祖が当山で入滅の際、「我入滅の後は永く此山に留て守護神となり、末法万年の末までも我を守護せるが如く、法華経の信者行者をば守護し給へ、山を長栄と称すれば、長栄大威徳天と号すべし。」と、宗祖自ら勧請された尊神とされる。
 明治26年(1893)、朽廃したお堂の再建時に配布された縁起。
 『池上本門寺百年史』 (昭和56年刊行)より

池上本門寺の山号・長栄山、そして長栄堂・長栄大威徳天の「栄」は、旧字では榮を使わず、火の部分に「土」二つを当てて栄としている。








(参考) 池上本門寺・山門の「扁額」



[長栄堂の行事]
唱題会 毎月7日
長栄大威徳天御縁日 毎月22日
大祭 正月・5月・9月
大黒天御縁日 甲子の日
大黒天大祭 6月・甲子の日(6月27日)
ほうろく加持 7月・土用の丑の日(7月22日)

[特筆]
長栄堂においては、<干支>が生きている!!




番外編 かなりプライベート(に近いこと)

2013-05-27 | その他
あんまり池上本門寺のこと、立正大学のことを書くので、その関係?、と思う人はいるでしょうが、まったく関係ありません。これは、ただただ池上本門寺の「池上市民大学」受講から派生したものです。
(出身)大学は中央大学です。(専攻は日本史でしたが、’60年代の時流に流され、勉学のほうは ? でした。) しかし同級、スキー仲間にして恋敵(?)、M氏が大学に残り、学部長・副学長にまでなったのを知ったのは数十年後。腰を抜かさんばかりに驚きました。遡って高校時代、都立M高校(今はない)。同クラスにして、同じ陸上部の(文芸部にもいた)Tが沢木耕太郎氏だなんて、こちらを先に知ったとは思うけれど、これにも腰を抜かした。相手を讃える前に、自分のダメさ加減、いい加減さ、を思うところが一番ダメなところなんだな、と一人<反省>。

エンディング・ノート、自分への弔辞、そして「遺言」を、元気なうちに書き残しておこうという気運に、昔を思い出したことの一例です。

(と、同時に固有名詞のC大学と、S氏が検索にどう関わるのかの関心もあります。)
これを「自虐的」「M」という。




池上市民大学(池上本門寺) 7期・第8回の講座

2013-05-26 | 池上本門寺・池上市民大学
ひさしぶりのレポートです。

2013.5.25(土)
池上市民大学 7期・第8回講座
参加してきました。内容盛り沢山、とりあえず目次を書き出してのおさらいです。

於「長栄の間」 (本院)
■ 仏教の話 「仏さまにお香を供養すること」
 講師 池上市民大学・クラス副担任・岡本先生
 読経と唱題。
 仏さまへの供え香、全般のお話。
栴檀(白檀)香、沈水香、迦羅香の薫りをかいで、お香を焚いた中でのお話でした。
お香による供養、ということでした。
普段はあまり意識してないお香。そしてお線香の事にも考えさせられました。
■ 池上本門寺の歴史 「池上本門寺の守護神信仰」
 講師 霊寶殿学芸員・安藤先生
・江戸時代、庶民の「現世利益」信仰の流れに乗って発展していった。(神仏習合)
・ご祈祷を主とするお堂である。
・けれども明治の神仏分離・廃仏毀釈により、多くは廃れていった。
 しかしながら、残るものは残った。
『新編武蔵風土記稿』(1810年起稿、1830年完成) にみる池上本門寺の守護神
番神堂 かなり古くからあった。何回かの焼失・再建を繰り返し明治の廃仏毀釈で没
常唱堂 元禄年中の造立。後世、故あって日朝聖人を祀る場として兼用する。
鬼子母神堂 これも古くからあった。何回かの焼失・再興を繰り返す。
    現在のお堂は、昭和初期に山内・厳定院別院として総門手前に建立された。
七面堂 江戸時代中期の勧請。現在はない。
大黒堂 江戸時代中・後期の造立。現在は長栄堂に祀らる。
長栄稲荷社 もとは鐘楼下の稲荷社。のち山内を守る長栄大威徳天のお堂となる。
鎮守堂 江戸初期、妙見大士を祀る。現在の妙見堂。
(最も賑わった「清正公堂」の造立は文政年間ではあるが、「武蔵風土記」出版も同じ頃のため、掲載はされていない。戦災による焼失後、再建されず。)

池上本門寺の境内と周辺
■ お堂巡り
案内・解説 安藤先生 引率 クラス担任・吉田ご住職(池上永寿院)
 ● 本院・松涛の間 加藤清正坐像の拝観
前にも書きましたが「松涛の間」は知っているかぎり最上位のお部屋の一つと思われます。
本門寺関係以外では、法事を行う方ぐらいで、一般の人が入れる機会は、そうはないでしょう。
以下は、いづれも堂内に上がっての拝観でした。初めてです。(貴重な体験!)
 ● 長栄堂 長栄大威徳天像、大黒天像
 ● 妙見堂 妙見菩薩立像
 ● 常唱堂(日朝堂) 日朝聖人像
■ 霊寶殿 見学
復歴十六世長遠院日樹聖人の御遺宝を中心にした展示。安藤学芸員の解説付き。


記)
池上市民大学については、毎回、詳しいレポートを書いている、お若い女性受講生がいます。
こちらは「ま、いいか」ということでしたが、今回、安藤さんの「池上本門寺の守護神信仰」が入りましたので、備忘録代わりに載せました。
午前中には「池上本門寺めぐり」があり、ガイドの市川さん、山崎さん、参加者30名位(?)の後ろにくっついて歩きました。今日は、主として「歴代聖人御廟所」(檜山さんの詩吟付き)と「多宝塔」でした。

午後からの「池上市民大学」と、すぐ隣、池上實相寺さんでの寺子屋池上・宗教講座 『零(ぜろ)からの法華経』(講師・正木先生)が重なりました。当初、寺子屋池上を優先にと思っていたのですが、お知らせハガキ、学芸員・安藤さんの長栄堂他のお堂案内、を見て変更。
「法華経」のほうは、始まったばかりなので、なんとかなるでしょう。(??)




「大奥女中とゆかりの寺院」観覧の予習と吟味

2013-05-19 | 美術館・博物館
春のイベント案内
〇小金井 江戸東京たてもの園
特別展 大奥女中とゆかりの寺院
 5月18日(土)~7月7日(日) 江戸東京たてもの園展示室 (休み・月曜)
 大奥女中が信仰や支援をした寺院の大半は、徳川将軍家と関わりのある寺院です。出開帳で江戸に運ばれた秘仏は江戸城に上り大奥の女中たちも拝むことができました。
一方、経済的には大奥は寺院を支える立場にあり、焼失後の再建に大奥を頼る例もありました。
 これらの寺院には女中が参詣に訪れましたが、それにより僧侶との密通が疑われた事件などが起こりました。昨今、大奥女中ゆかりの寺院や子孫のお宅から関係資料が発見されています。
今回、幕末の大奥御年寄瀧山の日記を展覧会で初公開いたします。
     (以上、「江戸東京たてもの園」イベント案内のチラシより。)

 大奥女中とは、なんぞや。
 大奥女中の信仰と支援をした寺院とは。
 徳川将軍家と関わりのある寺院とは。
 出開帳とは。
 寺院の焼失と再建。
 大奥女中の参詣。
 大奥女中の関係資料の発見。
 大奥御年寄瀧山とは。
 年寄瀧山の日記。

展示内容
大奥と寺院  信仰と支援
 黄檗山塔頭 法林院
 身延山久遠寺
 立山信仰
 妙定院
 堀之内妙法寺
 法養寺
 浄光寺(木下川薬師)
大奥と寺院をめぐる事件
 延命院事件
 智泉院事件
 鼠山感応寺建立から破却
大奥女中たちが残した足跡
 祈願寺
 荒行堂遠壽院