名勝
東京都立 旧芝離宮恩賜庭園 ―江戸最古の大名庭園―
東京都港区海岸1-4-1 JR浜松町駅 徒歩1分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/92/887a9c5374b3476b8ce4a413cf661417.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/71/2a971593297ae5e377570db3efd1ce81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3f/bf5f6dc64dd4ce98360fdf385d3e3134.jpg)
旧芝離宮恩賜庭園の由来
ここは芝浜と呼ばれる海浜であったが、明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられた。
延宝6年(1678) 老中大久保加賀守忠朝は、徳川家からこの地(埋立地)を拝領する。
貞享3年(1686) 庭園の完成。「楽寿園」と命名する。回遊式泉水庭園。
その後、変遷があり、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となる。
さらに有栖川宮家を経て宮内省が買い上げ、明治9年「芝離宮」となる。
明治24年 園内に迎賓館としての洋館を新築する。
大正12年 関東大震災で洋館等、焼失する。
大正13年1月 皇室の御慶事記念として東京市に下賜される。
大正13年4月 市は復旧整備を施し、「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開する。
昭和54年 文化財保護法により「名勝」に指定される。
(面積 43,175 ㎡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a0/d931d5c474f13cacca6c26844cad156f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b0/9135c04bd8da2bf9b8cca60173f73a85.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/07/b5506f05b57d7db86c383a1cc5b59ebc.jpg)
泉水 中島と西湖の堤
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/59/477e42d828ff5d7b9fdc8d739cc7724d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/41/fff4e81fda53b03fc3e3fff211ece23d.jpg)
大山(築山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/60/7a8ab68f699e5a81811d30efac4eae08.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d4/6c28cdcd56137540890fe1e63d69cce7.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8f/e58f62a27de5c71d7ad2a6b678d4c182.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/73/db294ef9fce4325eac7e621e4eecfe5b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/67/a380eadd7e98c6531acf0f5cb24ae08c.jpg)
海水取入口跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/61/daef13ccd0cf450a6e439211eeeee7b5.jpg)
園内から南側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/91/f7b6948a08d50c11f01981cc46e0a046.jpg)
園内から東北側
東京都立 旧芝離宮恩賜庭園 ―江戸最古の大名庭園―
東京都港区海岸1-4-1 JR浜松町駅 徒歩1分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/92/887a9c5374b3476b8ce4a413cf661417.jpg)
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旧芝離宮恩賜庭園の由来
ここは芝浜と呼ばれる海浜であったが、明暦(1655~1658)の頃に埋め立てられた。
延宝6年(1678) 老中大久保加賀守忠朝は、徳川家からこの地(埋立地)を拝領する。
貞享3年(1686) 庭園の完成。「楽寿園」と命名する。回遊式泉水庭園。
その後、変遷があり、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となる。
さらに有栖川宮家を経て宮内省が買い上げ、明治9年「芝離宮」となる。
明治24年 園内に迎賓館としての洋館を新築する。
大正12年 関東大震災で洋館等、焼失する。
大正13年1月 皇室の御慶事記念として東京市に下賜される。
大正13年4月 市は復旧整備を施し、「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開する。
昭和54年 文化財保護法により「名勝」に指定される。
(面積 43,175 ㎡)
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泉水 中島と西湖の堤
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/59/477e42d828ff5d7b9fdc8d739cc7724d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/41/fff4e81fda53b03fc3e3fff211ece23d.jpg)
大山(築山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/60/7a8ab68f699e5a81811d30efac4eae08.jpg)
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海水取入口跡
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園内から南側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/91/f7b6948a08d50c11f01981cc46e0a046.jpg)
園内から東北側
平成23年1月25日(火)~3月27日(日)
常設展示室5階 「町の暮らし」コーナー
われながら、いかにもマイナーだなと思う 展示「江戸の町名主」。
でも、ひとたび江戸検に興味・関心をもった人ならば、家康、江戸入府ののち、だれが一般庶民にたいして、直接の支配(ことばがきついか、管理?)をしていたか、どういう変遷をたどったのかについては、最重要・関心項目だ。
いつもいつも、九尺二間の長屋に住む熊さん八っつぁんと、大家さんの話では能がない。その上のクラス、本来の地主のことを、もっと知りたいもんだ、と思っていたところなので、個人的には好ましい企画展示でした。
いつも見慣れた常設展示。ややもすると流しながらの見学になっていたが、今回はじっくりと見て回った。
(常設展は、撮影OK。ということは公開してもよい、ということ(?)。よくわかっていない。もし不都合であれば、画像は、はずしますが。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5d/0e54a4981a7494b26053d714065f8dd1.jpg)
江戸の町名主
1. 雉子町の斎藤月岑
江戸名所図会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/12/0ceb45e737112be23462c294fb19ddda.jpg)
武江年表
2. 檜物町の星野又右衛門
3. 大伝馬町の馬込勘解由
4. 浅草福富町の永野又次郎
町触の伝達
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/71/7d609f021144931b137bddc25388550b.jpg)
名主の居所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/55/9803aa91b77b130ac30ce4e21c550268.jpg)
借用申金子之事(500両)
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ff/a6426eaafec63e841a83763b3c79ca49.jpg)
借金返済の約定証文
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/07/f3e75e7352c5bd2b98701b2f51d75735.jpg)
借用申金子之事(6万2642両)*
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/29/6d39dabb0ac805d22d58107c27e9c37b.jpg)
証文之事**
小津清左衛門から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9f/564e63e96df41b587824dc3af09cc863.jpg)
1. 雉子町の斎藤月岑
代々、神田雉子町周辺の名主。通称、市左衛門。月岑は斎藤家9代目の当主、幸成。
著作に『江戸名所図会』、『武江年表』。
2. 檜物町の星野又右衛門
先祖は遠江国の檜物大工棟梁。家康の江戸入りに従う。草分名主。
3. 大伝馬町の馬込勘解由
江戸筆頭の草分名主。幕府の道中御伝馬役を兼務。
幕末、豪商から金銭を調達し、宇都宮藩戸田家に融通。金融活動をしていた。
4. 浅草福富町の永野又次郎
御蔵前(幕府米蔵の前)に居住。著名文化人等との交流書簡がある。
* 1両、10万円換算で62、3億円。15万円換算だと約94億円。
**担保として、沽券状(土地の売買証文)を預かったという証文。
そんなに関心があるのなら、シンポジウム「江戸の町名主 町の仕組みと名主の生活」の聴講、申込んだの、と言われそうだが、残念ながら申込まなかった。2月19日、先約あり、のため。
それにしても、
「平成22年度 東京都江戸東京博物館都市歴史研究室シンポジウム」。この仰々しい名称には、江戸文化愛好者としてあこがれますね。追って「報告書」が出るのかな(?)。それを楽しみにして、待ってます。
(本当をいえば、・・・聞きたかったなあ。)
半分、ヤケになって言えば、・・・このへんの分野って、女性が活躍できるんだ、と思ったこと。
そして、幸田成友(さん、先生)(?)の顕彰はどうなっているんだ、とも思う。
池上本門寺。わが両親の月命日での墓参に行くとき、幸田一族の墓地を通るが、ホント、寂しいもんだよ。
芭蕉の句
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
季節も情況も違うが、心情としてはピッタリだ。
追記
馬込勘解由、小津清左衛門の名が出てきた。こうなると・・・
『東京タワー下 心光院・お竹如来について』 の続編になる場所を歩いてみたくなってきた。
常設展示室5階 「町の暮らし」コーナー
われながら、いかにもマイナーだなと思う 展示「江戸の町名主」。
でも、ひとたび江戸検に興味・関心をもった人ならば、家康、江戸入府ののち、だれが一般庶民にたいして、直接の支配(ことばがきついか、管理?)をしていたか、どういう変遷をたどったのかについては、最重要・関心項目だ。
いつもいつも、九尺二間の長屋に住む熊さん八っつぁんと、大家さんの話では能がない。その上のクラス、本来の地主のことを、もっと知りたいもんだ、と思っていたところなので、個人的には好ましい企画展示でした。
いつも見慣れた常設展示。ややもすると流しながらの見学になっていたが、今回はじっくりと見て回った。
(常設展は、撮影OK。ということは公開してもよい、ということ(?)。よくわかっていない。もし不都合であれば、画像は、はずしますが。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5d/0e54a4981a7494b26053d714065f8dd1.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/78/ad1c4845ff8be0ebb58c2a1c2ad140ac.jpg)
町触の伝達
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/71/7d609f021144931b137bddc25388550b.jpg)
名主の居所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/55/9803aa91b77b130ac30ce4e21c550268.jpg)
借用申金子之事(500両)
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ff/a6426eaafec63e841a83763b3c79ca49.jpg)
借金返済の約定証文
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
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借用申金子之事(6万2642両)*
宇都宮藩戸田家から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/29/6d39dabb0ac805d22d58107c27e9c37b.jpg)
証文之事**
小津清左衛門から馬込勘解由へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9f/564e63e96df41b587824dc3af09cc863.jpg)
1. 雉子町の斎藤月岑
代々、神田雉子町周辺の名主。通称、市左衛門。月岑は斎藤家9代目の当主、幸成。
著作に『江戸名所図会』、『武江年表』。
2. 檜物町の星野又右衛門
先祖は遠江国の檜物大工棟梁。家康の江戸入りに従う。草分名主。
3. 大伝馬町の馬込勘解由
江戸筆頭の草分名主。幕府の道中御伝馬役を兼務。
幕末、豪商から金銭を調達し、宇都宮藩戸田家に融通。金融活動をしていた。
4. 浅草福富町の永野又次郎
御蔵前(幕府米蔵の前)に居住。著名文化人等との交流書簡がある。
* 1両、10万円換算で62、3億円。15万円換算だと約94億円。
**担保として、沽券状(土地の売買証文)を預かったという証文。
そんなに関心があるのなら、シンポジウム「江戸の町名主 町の仕組みと名主の生活」の聴講、申込んだの、と言われそうだが、残念ながら申込まなかった。2月19日、先約あり、のため。
それにしても、
「平成22年度 東京都江戸東京博物館都市歴史研究室シンポジウム」。この仰々しい名称には、江戸文化愛好者としてあこがれますね。追って「報告書」が出るのかな(?)。それを楽しみにして、待ってます。
(本当をいえば、・・・聞きたかったなあ。)
半分、ヤケになって言えば、・・・このへんの分野って、女性が活躍できるんだ、と思ったこと。
そして、幸田成友(さん、先生)(?)の顕彰はどうなっているんだ、とも思う。
池上本門寺。わが両親の月命日での墓参に行くとき、幸田一族の墓地を通るが、ホント、寂しいもんだよ。
芭蕉の句
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
季節も情況も違うが、心情としてはピッタリだ。
追記
馬込勘解由、小津清左衛門の名が出てきた。こうなると・・・
『東京タワー下 心光院・お竹如来について』 の続編になる場所を歩いてみたくなってきた。
両国の江戸東京博物館へ行ってきました。
訪問ペースは、2、3ヶ月に一回。「ぐるっとパス」の購入と期をいつにする。
ただし今回は、1月につづき、2月もということで、ペースが上がっています。
特別展 「 江(ごう) ~姫たちの戦国~ 」
企画展 「140年前の江戸城を撮った男 横山松三郎」
と、きて
もう一回、横山松三郎・展を観たかったのと、常設展示室でのコーナー展示 「江戸の町名主」 、これも見逃せないぞ、という次第で、またまたやってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/79/f98d484d7026420902f2feec94de071c.jpg)
底部が赤い色で覆われたエスカレータ。
いつも気になるのだが、それなりのワケはあるんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/9292645019d5b03f5bca81e041304eff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/01/c4c7292b120098851931744a69538215.jpg)
スカイツリーはどうしても撮りたくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/5d/f08ed5d0803db4ebc22f2fa35831cfe9.jpg)
揺れる大相撲。はためく幟。風向き悪く、四股名も裏返し。
訪問ペースは、2、3ヶ月に一回。「ぐるっとパス」の購入と期をいつにする。
ただし今回は、1月につづき、2月もということで、ペースが上がっています。
特別展 「 江(ごう) ~姫たちの戦国~ 」
企画展 「140年前の江戸城を撮った男 横山松三郎」
と、きて
もう一回、横山松三郎・展を観たかったのと、常設展示室でのコーナー展示 「江戸の町名主」 、これも見逃せないぞ、という次第で、またまたやってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/79/f98d484d7026420902f2feec94de071c.jpg)
底部が赤い色で覆われたエスカレータ。
いつも気になるのだが、それなりのワケはあるんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/9292645019d5b03f5bca81e041304eff.jpg)
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スカイツリーはどうしても撮りたくなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/5d/f08ed5d0803db4ebc22f2fa35831cfe9.jpg)
揺れる大相撲。はためく幟。風向き悪く、四股名も裏返し。