上野殿御返事
弘安二年(1279)正月三日、五八歳、於身延、和文、定1621-1622頁。
正月三日
日蓮花押
上野殿御返事
注
〇上野殿 南条時光
〇こうえのどの(故上野殿) 南条兵衛七郎
〇富士宮と身延は往復一日くらいの距離。
〇この礼状を、使いの者に持たせて帰すため、すぐに書いた。(だから短い。)
〇さといちのむへんのもの 里市の無縁の者(人里から遠く離れた地方の者)
〇不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)
ののしられても、打たれても礼拝賛嘆をくりかえした菩薩。釈尊の過去世。
〇覚徳比丘(かくとくびく) 過去世に、正法の護持弘通に励んだ比丘。
〇元三(がんざん) 正月三箇日
〇十字(むしもち) 六と四で十(むし)、文字・字(もんじ、から「もち」)。いくらなんでも造語、ことば遊びでしょう(?)。しかしながら、後の九十枚からして「蒸餅」のことであり、これを読んだ者がニコり(ニヤり)とする、ということか。それとも、ちゃんとした熟語なのか(?)
〇「藍よりも青く」の言葉は、とっくの昔から使われていた(!?)。それと、「水よりもつめたき氷かな」。こういう言い回しもあったんだ。
〇いろあるをとこと人は申せし (語感がとてもよい)
〇日蓮聖人は、とてもとても筆まめであった。そしてこの書状の内容は、自身の弱さをさらけ出し、感謝の念があり、それでいて相手にたいする思いやりがあり、情が深い。ゆえに、帰依した者にとって、受けとった書状は宝物であったと推察される。大事に保管され、やがて後世の人の目にもふれる、という流れであったか。
● 注の大半は吉田住職のメモを載せてますが、かぶとんのメモ・感想も混入してますので、あくまで参考ということで受けとめてください。
講座・池上市民大学で、クラス担任・吉田住職(永寿院)の持参・配布されたテキストを、転記しました。構成は、すこし変えてます。
弘安二年(1279)正月三日、五八歳、於身延、和文、定1621-1622頁。
餅九十枚・薯蕷(やまのいも)五本。わざと御使をもつて正月三日ひつじの時に、駿河の国富士郡上野の郷より甲州波木井の郷身延山のほら(洞)へおくりたびて候ふ。餅九十枚、薯蕷(やまのいも)五本、わざわざご使者をお立てくださって、正月三日午後二時に駿河国富士郡上野の郷から甲州波木井の郷身延山の洞(ほこら)へお送りいただきました。ありがとうございます。
それ海辺には木を財とし、山中には塩を財とす。旱魃(かんばつ)には水をたからとし、闇中には燈を財とす。女人(にょにん)はをとこを財とし、をとこは女人をいのちとす。王は民ををやとし、民は食を天とす。この両三年は日本国の内、大疫起こりて人半分げんじて候ふ上、去年(こぞ)の七月より大なるけかち(飢渇)にて、さといちのむへんのものと山中の僧等は命存しがたし。そもそも海辺では木が貴重であり、山中では塩を宝物とします。旱魃(かんばつ)の時には水が貴重であり、暗闇では灯火が宝物となります。妻は夫が大切であり、夫は妻を命とします。国王は人民を親と崇め、人民は食物を天と貴びます。ところがこの二・三年は、日本国内に流行病が蔓延して人民が半減してしまったうえ、去年の七月から大飢饉に見舞われ、人里から遠く離れた地方の者や山中に隠棲している僧などは生きていくのが難しい状態です。
その上、日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏(いおんのうぶつ)の末法の不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)のごとし。はたまた歓喜増益仏(かんきぞうやくぶつ)の末の覚徳比丘(かくとくびく)のごとし。王もにくみ民もあだむ。衣もうすく食もとぼし。布衣(ぬのこ)はにしきのごとし。くさのは(葉)わかんろとをもう。その上、去年(こぞ)の十一月より雪つもりて山里路たえぬ。年返れども鳥の声ならではをとづるる人なし。友にあらずばたれか問ふべきと、心ぼそくて過ごし候ふ所に、元三(がんざん)の内に十字(むしもち)九十枚、満月のごとし。心中もあきらかに、生死のやみもはれぬべし。あはれなり、あはれなり。その上、私は、法華経を誹謗する国に生まれたので、あたかも威音王仏(いおんのうぶつ)の末法の世に出て人々から迫害を受けた不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)のような、あるいはまた歓喜増益仏(かんきぞうやくぶつ)の世に出て国王に苦しめられた覚徳比丘(かくとくびく)のような酷(むご)い目にあっています。国王も憎悪し、民衆も敵視しています。着衣も薄く、食物もなくなってきました。だから粗末な布衣(ぬのこ)でも錦のように貴く、雑草の葉でも甘露のように美味しく思われます。その上、去年(こぞ)の十一月から雪が降り積もって山里の路は絶えてしまいました。年が明けても聞こえてくるのは鳥の声だけで、訪れて来る人はありません。よほど親密な人でなければ誰が来るものかと、心細い日日を過ごしておりましたところ、正月三箇日のうちに届いた丸い蒸餅(むしもち)九十枚、満月のようにすばらしい。その満月は心の中も明るく照らし、生死(しょうじ)無常の闇も晴れることでしょう。とても、とても、感動的なことです。
こうえのどの(故上野殿)をこそ、いろあるをとこと人は申せしに、その御子なればくれない(紅)のこき(濃)よしをつたへ給へるか。あい(藍)よりもあを(青)く、水よりもつめたき氷かなと、ありがたしありがたし。恐恐謹言。亡きお父上の南条兵衛七郎殿を、本当に人情の厚いお方だとみながいっていましたが、貴殿はそのお子さんであるので、赤心(まごころ)の濃密なところを伝受なさったのでしょう。青は藍より出(いで)て藍よりも青く、氷は水より出でて水よりも冷たいという諺の通りで、またとなく尊いことだと思います。恐恐謹言。
正月三日
日蓮花押
上野殿御返事
正月三日
日蓮花押
上野殿御返事
注
〇上野殿 南条時光
〇こうえのどの(故上野殿) 南条兵衛七郎
〇富士宮と身延は往復一日くらいの距離。
〇この礼状を、使いの者に持たせて帰すため、すぐに書いた。(だから短い。)
〇さといちのむへんのもの 里市の無縁の者(人里から遠く離れた地方の者)
〇不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)
ののしられても、打たれても礼拝賛嘆をくりかえした菩薩。釈尊の過去世。
〇覚徳比丘(かくとくびく) 過去世に、正法の護持弘通に励んだ比丘。
〇元三(がんざん) 正月三箇日
〇十字(むしもち) 六と四で十(むし)、文字・字(もんじ、から「もち」)。いくらなんでも造語、ことば遊びでしょう(?)。しかしながら、後の九十枚からして「蒸餅」のことであり、これを読んだ者がニコり(ニヤり)とする、ということか。それとも、ちゃんとした熟語なのか(?)
〇「藍よりも青く」の言葉は、とっくの昔から使われていた(!?)。それと、「水よりもつめたき氷かな」。こういう言い回しもあったんだ。
〇いろあるをとこと人は申せし (語感がとてもよい)
〇日蓮聖人は、とてもとても筆まめであった。そしてこの書状の内容は、自身の弱さをさらけ出し、感謝の念があり、それでいて相手にたいする思いやりがあり、情が深い。ゆえに、帰依した者にとって、受けとった書状は宝物であったと推察される。大事に保管され、やがて後世の人の目にもふれる、という流れであったか。
● 注の大半は吉田住職のメモを載せてますが、かぶとんのメモ・感想も混入してますので、あくまで参考ということで受けとめてください。
講座・池上市民大学で、クラス担任・吉田住職(永寿院)の持参・配布されたテキストを、転記しました。構成は、すこし変えてます。