かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上市民大学 『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』

2011-06-30 | 池上本門寺・池上市民大学
上野殿御返事
弘安二年(1279)正月三日、五八歳、於身延、和文、定1621-1622頁。

 餅九十枚・薯蕷(やまのいも)五本。わざと御使をもつて正月三日ひつじの時に、駿河の国富士郡上野の郷より甲州波木井の郷身延山のほら(洞)へおくりたびて候ふ。
 餅九十枚、薯蕷(やまのいも)五本、わざわざご使者をお立てくださって、正月三日午後二時に駿河国富士郡上野の郷から甲州波木井の郷身延山の洞(ほこら)へお送りいただきました。ありがとうございます。

 それ海辺には木を財とし、山中には塩を財とす。旱魃(かんばつ)には水をたからとし、闇中には燈を財とす。女人(にょにん)はをとこを財とし、をとこは女人をいのちとす。王は民ををやとし、民は食を天とす。この両三年は日本国の内、大疫起こりて人半分げんじて候ふ上、去年(こぞ)の七月より大なるけかち(飢渇)にて、さといちのむへんのものと山中の僧等は命存しがたし。
 そもそも海辺では木が貴重であり、山中では塩を宝物とします。旱魃(かんばつ)の時には水が貴重であり、暗闇では灯火が宝物となります。妻は夫が大切であり、夫は妻を命とします。国王は人民を親と崇め、人民は食物を天と貴びます。ところがこの二・三年は、日本国内に流行病が蔓延して人民が半減してしまったうえ、去年の七月から大飢饉に見舞われ、人里から遠く離れた地方の者や山中に隠棲している僧などは生きていくのが難しい状態です。

 その上、日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏(いおんのうぶつ)の末法の不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)のごとし。はたまた歓喜増益仏(かんきぞうやくぶつ)の末の覚徳比丘(かくとくびく)のごとし。王もにくみ民もあだむ。衣もうすく食もとぼし。布衣(ぬのこ)はにしきのごとし。くさのは(葉)わかんろとをもう。その上、去年(こぞ)の十一月より雪つもりて山里路たえぬ。年返れども鳥の声ならではをとづるる人なし。友にあらずばたれか問ふべきと、心ぼそくて過ごし候ふ所に、元三(がんざん)の内に十字(むしもち)九十枚、満月のごとし。心中もあきらかに、生死のやみもはれぬべし。あはれなり、あはれなり。
 その上、私は、法華経を誹謗する国に生まれたので、あたかも威音王仏(いおんのうぶつ)の末法の世に出て人々から迫害を受けた不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)のような、あるいはまた歓喜増益仏(かんきぞうやくぶつ)の世に出て国王に苦しめられた覚徳比丘(かくとくびく)のような酷(むご)い目にあっています。国王も憎悪し、民衆も敵視しています。着衣も薄く、食物もなくなってきました。だから粗末な布衣(ぬのこ)でも錦のように貴く、雑草の葉でも甘露のように美味しく思われます。その上、去年(こぞ)の十一月から雪が降り積もって山里の路は絶えてしまいました。年が明けても聞こえてくるのは鳥の声だけで、訪れて来る人はありません。よほど親密な人でなければ誰が来るものかと、心細い日日を過ごしておりましたところ、正月三箇日のうちに届いた丸い蒸餅(むしもち)九十枚、満月のようにすばらしい。その満月は心の中も明るく照らし、生死(しょうじ)無常の闇も晴れることでしょう。とても、とても、感動的なことです。

 こうえのどの(故上野殿)をこそ、いろあるをとこと人は申せしに、その御子なればくれない(紅)のこき(濃)よしをつたへ給へるか。あい(藍)よりもあを(青)く、水よりもつめたき氷かなと、ありがたしありがたし。恐恐謹言。
  正月三日
                                日蓮花押
 上野殿御返事
 亡きお父上の南条兵衛七郎殿を、本当に人情の厚いお方だとみながいっていましたが、貴殿はそのお子さんであるので、赤心(まごころ)の濃密なところを伝受なさったのでしょう。青は藍より出(いで)て藍よりも青く、氷は水より出でて水よりも冷たいという諺の通りで、またとなく尊いことだと思います。恐恐謹言。
  正月三日
                                                  日蓮花押
 上野殿御返事



〇上野殿 南条時光
〇こうえのどの(故上野殿) 南条兵衛七郎
〇富士宮と身延は往復一日くらいの距離。
〇この礼状を、使いの者に持たせて帰すため、すぐに書いた。(だから短い。)
〇さといちのむへんのもの 里市の無縁の者(人里から遠く離れた地方の者)
〇不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)
 ののしられても、打たれても礼拝賛嘆をくりかえした菩薩。釈尊の過去世。
〇覚徳比丘(かくとくびく) 過去世に、正法の護持弘通に励んだ比丘。
〇元三(がんざん) 正月三箇日
〇十字(むしもち) 六と四で十(むし)、文字・字(もんじ、から「もち」)。いくらなんでも造語、ことば遊びでしょう(?)。しかしながら、後の九十枚からして「蒸餅」のことであり、これを読んだ者がニコり(ニヤり)とする、ということか。それとも、ちゃんとした熟語なのか(?)
〇「藍よりも青く」の言葉は、とっくの昔から使われていた(!?)。それと、「水よりもつめたき氷かな」。こういう言い回しもあったんだ。
〇いろあるをとこと人は申せし (語感がとてもよい)
〇日蓮聖人は、とてもとても筆まめであった。そしてこの書状の内容は、自身の弱さをさらけ出し、感謝の念があり、それでいて相手にたいする思いやりがあり、情が深い。ゆえに、帰依した者にとって、受けとった書状は宝物であったと推察される。大事に保管され、やがて後世の人の目にもふれる、という流れであったか。
● 注の大半は吉田住職のメモを載せてますが、かぶとんのメモ・感想も混入してますので、あくまで参考ということで受けとめてください。


講座・池上市民大学で、クラス担任・吉田住職(永寿院)の持参・配布されたテキストを、転記しました。構成は、すこし変えてます。



池上市民大学 5期・弟9回講座 本門寺「経蔵」の内部拝観 !!

2011-06-29 | 池上本門寺・池上市民大学
2011年 6月
第5期 池上市民大学 弟9回講座 受講してきました。

池上本門寺・経蔵(大田区指定有形文化財)
今回は、講座の最後に受講生だけの大特典(と思うのだけれど)、経蔵の内部を拝観させていたさきました(!!)。知らないうちに予定にはいっていたので、予備知識がまったくなく、内はこうなってんだー、と内心あ然としながら見渡し、拝観させていただいたしだいです。
表から見える現在の交通安全祈願所としての経蔵は、まったく仮りの姿です。

今回の講座
本院寺務所入口より「長栄の間」 集合・講義
クラス担当の吉田住職(永寿院)より、開講の挨拶、読経と唱題。
ひきつづき、
〇「上野殿御返事」の解説
日蓮聖人の御遺文。宛て先は、上野殿=檀越・南条時光。はじめて説明を受けたけれど、内容が素晴らしい。人間・日蓮の人となりが素直に伝わってくる。

池上本門寺・安藤学芸員の講義
〇「江戸時代の池上本門寺について」
江戸検のかぶとんとしては、もっとも関心のあるところ。興味深く話を聞いたが、時の権力、もしくは政治の潮流と無関係に組織が生き延びることはできない、世の中は甘くない、と感じた。

環境カウンセラーの小野さん不在のため、吉田住職とクラス副担任の岡本さんの進行で。
〇ワークショップ 「池上の1年間」カレンダー作り
前回の池上ガイドの内容発表を、とはやや違ってきたので、わがグループのエース、女性公式ボランティアガイドのYさん、そして重鎮Hさん、やや戸惑っていた。それでも季節感を出した話のネタ探しに、六月であれば紫陽花(アジサイ)の見所を入れるとかを、皆で話し合った。
座学の後、外に出て散策。朗峰会館から五重塔に向かう坂の左手のアジサイ群、妙見堂の境内と妙見坂両脇のアジサイ群を観賞しながら霊宝殿へ向かった。



〇霊宝殿(霊寶殿) 拝観
安藤学芸員の解説つき。相変わらずのたくみな語りに感心する。
今月の展示
御真蹟 日蓮聖人の御真筆 三点
兜木コレクション・法華版経の世界 等々

引き続き、安藤学芸員の解説で
〇経蔵 内部拝観
天海版一切経が架蔵されていたという「輪蔵」。(回転する八角形の書架)
最奥に安置された仏像。(遠慮してそばに行かなかったので、説明を聞き損ねました。)
堂内の現状は要修理、という状態か。もったいないですね。
受講生、感激しながら外に出て、本日の講座終了。あっという間の3時間半でした。

当日の経蔵の写真はありません。で、別の日に撮った外観のみ載せます。

正面の曼荼羅も、「輪蔵」の一部と思われますが、たぶん動かせなくしてあるでしょう。


当日は、右手側面の扉から、二重の鍵を開けたうえで、内に入りました。


かぶとんの独り言
この「池上市民大学」って中身が濃いなあ。性に合っているのかも。スタッフの方々の熱心さを思えば、なんらかの形で報いなければ、という気になってきます。



品川区立 品川歴史館 -いま語り継ぐ品川の民謡-

2011-06-20 | 美術館・博物館



なぜか気になった。ので、ここに紹介します。
ま、面白い、味わいがある。
(子ども歴史コーナーのパネルより)

    〇品川の天王祭
天王さまだ、 お神輿だ
万灯つけて、 あかりをつけろ
ワッショイ、 ワッショイ
もめ、 もめ
      北品川稲荷社(品川神社)と南品川貴布祢社(荏原神社)の祭り。


    〇江戸名所 海晏寺(かいあんじ)の紅葉
あれ見やしゃんせ海晏寺
真間や高尾の竜田でも
及ぶまいぞえもみじ狩り
      真間の弘法寺、高尾の西芳寺。竜田=竜田川=紅葉。


    〇品川のお台場建設
品川のお台場の土かつぎ
先づ飯食って二百と五十
死ぬよりましだ
こいつァありがてェ
      なんども読み返してみた。飯が食えるという実感。どういう節まわしで唄ったのか。
      幕末、土取り人足の日当 250文。
      かけそば一杯、16文・320円とすると、今で5,000円位か。
      *一日5000人の動員。経費75万両という大公共工事。どんなに賑ったことだろう。


    〇遊戯唄 坊さん坊さん何処ゆくの
坊さん坊さん何処ゆくの
私は田んぼに稲刈りに
私も一緒に行きましょう
お前が来ると邪魔になる
お寺のお寺のくそ坊主
うしろの正面だァれ
      これはあくまで昔の話、江戸時代のことです。


    〇人との別れを惜しむ唄
おまえやお立ちか
お名残惜しや
雨の十日も降らせたい
      ダンチョネ節か(?)。


    〇品川で産まれた江戸野菜
碑文谷うりの目黒なす
たけのこは戸越小山中延
      「江戸検定」の出題候補。もう出たのかなあ。


    〇お手玉唄 国名・神社などを唄う
一ばん始めが一の宮
二また日光中善寺
三また佐倉の宗五郎
四また信濃の善光寺
五つ出雲の大やしろ
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動様
八つやわたの八幡宮
九つ高野の弘法さん
十で東京博覧会


    〇豊作を唄った田植唄
御用は目出たの若松様よ
枝も栄えて葉もしげる
今年や豊作万作どしよ
ますはいらいでみで計る
今年や世が良い穂に穂がさいて
ますはいらいでみで計る
此処は名主か代官様か
金の門建て銭すだれ



茶室 松滴庵(しょうてきあん)


品川区立 品川歴史館
 品川区大井6-11-1  JR大森駅から徒歩10分
 常設展観覧 100円
品川宿、土蔵相模、台場、御殿山と東海寺等々の学習によい。
*解説シート・29枚をいただいた。これを熟読すれば、品川界隈の歴史については一人前?



今日の一枚 深川不動堂

2011-06-16 | 都内散策 寺院・神社



相方のお供をして、門仲へ。富岡八幡の縁日ということで出かけてきたが、まずは深川不動尊へのお参り。
旧本堂より入り、新本堂へ。いましも「大護摩供」がはじまるところだった。せっかくなので参列させてもらった。お焚き上げと、読経に合わせた若い僧のたたく大太鼓4台の空気を震わす大音は、すざましいまでの迫力でした。
終了後、新本堂、地下からの堂内巡りをさせてもらいました。胎内巡りと言っていたかな。数千、数万ともしれぬ、不動明王の小像群。本尊の真下で合掌。

成田山東京別院 深川不動堂(深川不動尊)
江東区富岡1-17-13
本尊 大日大聖不動明王