小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 13
実相寺 (實相寺) 山号:妙玄山
本堂、山門は「大田区指定重要建造物」です。
1550年(天文19) 江戸馬喰町に法華山実相寺として創立。開山日経聖人。
1657年(明暦3) 明暦の大火の後、浅草新寺町矢先に移転。
1743年(寛保3) 呉服商「大丸」の下村正啓の帰依をうけ、大丸寺とよばれた。
1923年(大正12) 池上妙玄庵と合併し、現在地に堂宇を建立。妙玄山と改称する。
妙玄庵は、池上24世 日等聖人の庵室で、1727年(享保12)の創建。
16世日性聖人は池上41世へ。25世兼光院日慎聖人は池上74世へ。29世恵光院日慈聖人は真間山弘法寺80世・池上82世へ。
(参照 日蓮宗東京都南部宗務所・実相寺「沿革」)
右側面には、下村氏建立、とある。
登録有形文化財
第13-0146~0147号
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁
〇池上本門寺歴代
24世 日等聖人 享保年間(1710、20年代)、徳川8代将軍・吉宗の時代。
池上紫衣初祖。
41世 日性聖人 江戸時代の後期。
74世 兼光院日慎聖人 昭和初期(戦前)。
82世(現薫) 恵光院日慈聖人(酒井日慈、現・池上本門寺の貫主(山主)さんです)
〇浅草新寺町 江戸愛好者にとってはなつかしい響きの町名です。
「江戸切絵図集」を見ると、実相寺さんは東本願寺(現・東京本願寺)の前あたりと、後方、浅草寺の西側とで、二つ載っています。浅草矢先の名からして、後者のお寺のようです。
今の浅草通りを「里俗ニ門セキマエト云」、上野寄りには「稲荷町ト云、又新寺町トモ云、又土ブ店トモ云」と記されています。
〇天文十九年(1550) 江戸馬喰町に開創 これも気になります。江戸開府以前の江戸の町はどんなふうだったのか。見方にもよるが、けっこう開けていたのではないか。
実相寺さんからの文化発信にも注目です。
その一つに、寺子屋池上・宗教講座 『零(ぜろ)からの仏教』 (講師 正木晃先生)があります。
私事ながら、最近になって何回か聴講していますが、とても刺激をうけてます。
かぶとんブログ 池上・實相寺 講座『零(ぜろ)からの仏教』
実相寺 (實相寺) 山号:妙玄山
本堂、山門は「大田区指定重要建造物」です。
池上の寺めぐり 実相寺沿革
縁 起
天文十九年(1550) 江戸馬喰町に開創。明暦三年(1657) 明暦の大火の後、浅草新寺町に替地を拝領して移転。寛保三年(1743)に呉服商「大丸」の店主の帰依を受け大丸寺とよばれた。大正十二年(1923) 池上の妙玄庵と合併して現在地に移り堂宇を建立。妙玄庵は本門寺二十四世 日等聖人が隠棲した庵室で、享保十二年(1727) 大坊坂のそばに創建され、妙玄坊、要玄坊ともよばれた。
1550年(天文19) 江戸馬喰町に法華山実相寺として創立。開山日経聖人。
1657年(明暦3) 明暦の大火の後、浅草新寺町矢先に移転。
1743年(寛保3) 呉服商「大丸」の下村正啓の帰依をうけ、大丸寺とよばれた。
1923年(大正12) 池上妙玄庵と合併し、現在地に堂宇を建立。妙玄山と改称する。
妙玄庵は、池上24世 日等聖人の庵室で、1727年(享保12)の創建。
16世日性聖人は池上41世へ。25世兼光院日慎聖人は池上74世へ。29世恵光院日慈聖人は真間山弘法寺80世・池上82世へ。
(参照 日蓮宗東京都南部宗務所・実相寺「沿革」)
右側面には、下村氏建立、とある。
登録有形文化財
第13-0146~0147号
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁
〇池上本門寺歴代
24世 日等聖人 享保年間(1710、20年代)、徳川8代将軍・吉宗の時代。
池上紫衣初祖。
41世 日性聖人 江戸時代の後期。
74世 兼光院日慎聖人 昭和初期(戦前)。
82世(現薫) 恵光院日慈聖人(酒井日慈、現・池上本門寺の貫主(山主)さんです)
〇浅草新寺町 江戸愛好者にとってはなつかしい響きの町名です。
「江戸切絵図集」を見ると、実相寺さんは東本願寺(現・東京本願寺)の前あたりと、後方、浅草寺の西側とで、二つ載っています。浅草矢先の名からして、後者のお寺のようです。
今の浅草通りを「里俗ニ門セキマエト云」、上野寄りには「稲荷町ト云、又新寺町トモ云、又土ブ店トモ云」と記されています。
〇天文十九年(1550) 江戸馬喰町に開創 これも気になります。江戸開府以前の江戸の町はどんなふうだったのか。見方にもよるが、けっこう開けていたのではないか。
実相寺さんからの文化発信にも注目です。
その一つに、寺子屋池上・宗教講座 『零(ぜろ)からの仏教』 (講師 正木晃先生)があります。
私事ながら、最近になって何回か聴講していますが、とても刺激をうけてます。
かぶとんブログ 池上・實相寺 講座『零(ぜろ)からの仏教』
小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 8~12
池上本門寺の西側に位置する山内寺院です。
8 南之院
9 覚源院
10 厳定院
11 西之院
12 真性寺
8 南之院 山号:長栄山
大田区池上2-11-15
南之院の案内板
狩野探幽の墓塔 (東京都旧跡)
狩野隆信の墓塔(大田区文化財)
9 覚源院 山号:公布山
大田区池上2-11-5
覚源院の案内板
10 厳定院 (ごんじょういん) 山号:彗光山
大田区池上2-10-12
厳定院の案内板
池上七福神 弁財天
11 西之院
大田区池上2-10-15
西之院の案内板
12 真性寺 山号:微妙山
大田区池上2-9-6
真性寺の案内板
〇日昭聖人 六老僧 (鎌倉時代)
〇厳定院日尊聖人
〇日興聖人 六老僧 (鎌倉時代)
〇日法聖人 中老僧 (鎌倉・南北朝期) 彫刻の名手
身延山久遠寺、池上本門寺、鎌倉妙本寺の祖師像は、日法聖人の作。(一木三体)
〇池上本門寺歴代
11世 仏寿院日現聖人
16世 心性院日遠聖人 江戸時代前期。
〇井出為成 (覚源院)
すこし前までは、確かめようもなかったものが、今ではとっかかりにはたどりつけるようになった。Googleの検索技術は進んでいると、つくづく思う。この井出氏もそうだ。井出氏一族関係者および関係寺院一覧<小田原・蓮船寺(さん)へとつながる。
池上本門寺の西側に位置する山内寺院です。
8 南之院
9 覚源院
10 厳定院
11 西之院
12 真性寺
8 南之院 山号:長栄山
大田区池上2-11-15
南之院の案内板
池上の寺めぐり 南之院
縁 起
弘安五年(1282) 日蓮聖人の直弟子の中でも最長老の日昭聖人の庵室として開創。日蓮聖人の滅後、日昭聖人はこの庵室にあって本門寺を守ったと伝えられている。古くは大坊の西側にあり、大成弁院とよばれた。江戸期には幕府の御用絵師狩野家の菩提所として大いに栄えた。本堂内陣の竜の天井画は狩野探玄の筆による。また、狩野家歴代の宝篋印塔と五輪塔が付近の墓地にあり、代々の位牌が本堂内の位牌壇に祀られている。
大田区文化財 日昭聖人坐像 (非公開)
桧材寄木造、彩色、玉眼、像高三九センチ。
日昭(1221~1323)は、当院の開山である。日蓮の直弟の一人で、池上本門寺二世日朗が鎌倉で布教中は、留守を預かったと伝えられる。
台座裏の銘文により、当院十三世日了が施主となり、延宝三年(1675)に造像、開眼されたことがわかる。
日昭の特徴的な面貌を表わし、江戸時代前半の典型的な祖師像の様式を示している。
昭和五十一年二月二十五日指定
大田区教育委員会
狩野探幽の墓塔 (東京都旧跡)
狩野隆信の墓塔(大田区文化財)
9 覚源院 山号:公布山
大田区池上2-11-5
覚源院の案内板
池上の寺めぐり 覚源院中興開山4世 仏寿院日現聖人は、のち大坊11世・池上本門寺11世。
縁 起
室町時代(1393頃)の開創。当初は連池院とよばれ池上の西谷にあったという。天文二年(1532) 大坊ほか七ヶ寺が火災に遭った後、東谷に移り、妙法坊とよばれるようになる。元亀四年(1573) 再び焼失し本門寺祖師堂の東に移る。江戸前期、井出家の厚い外護を受け井出寺とよばれたが、元禄三年(1690) 本門寺の防火対策により西谷宝樹坊の跡地(現在地)に移転。宝暦年中(1751~1764)に井出為成の法号から覚源院と改称された。
10 厳定院 (ごんじょういん) 山号:彗光山
大田区池上2-10-12
厳定院の案内板
池上の寺めぐり 厳定院記述に混乱があるのか。正応2年の開創では、成就院日尊の名。天文5年の合併の際にも厳定院日尊の名が出てくる。 (東京都南部宗務所の寺院紹介 厳定院の沿革)
縁 起
正応ニ年(1289) 本門寺二世 日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創。天文五年(1536) 西谷のとなりにあった成就坊と合併、現在地に堂宇を構えたと伝えられる。成就坊の境内にあった弁財天を池上七福神として石造りの弁天宮にお祀りしている。大正九年(1910) 厳定院四十世 山田潮栄上人が 「子育て鬼子母神」を勧請し、昭和六年(1931) 本門寺惣門前に別院として鬼子母神堂が建立された。
池上七福神 弁財天
11 西之院
大田区池上2-10-15
西之院の案内板
池上の寺めぐり 西之院
縁 起
日蓮聖人滅後四十~五十年頃(1322~1332)の開創。日蓮聖人が池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子 日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とする。もとは市野倉村の貴船神社(明治期に太田神社に合祀)そばの松や柏の鬱蒼とした山の中にあったが、いつの時代にか当地に移された。
寛永年間(1624~1644)以後に日法聖人の庵室といわれる宝樹坊と合併し、西之院と号した。
12 真性寺 山号:微妙山
大田区池上2-9-6
真性寺の案内板
池上の寺めぐり 真性寺参考に『江戸切絵図集』で麻布今井町を見てみました。(113p.117p.) 今井寺町・ナダレ坂沿いに「真正寺」 ここのことかな(たぶん)。
縁 起
寛永二年(1625)に本門寺十六世日遠聖人によって麻布今井町に開創された。当寺に安置されている帝釈天像は、もと十三代将軍徳川家定の侍医佐竹文好の屋敷にあったもので、安政三年(1856)に当寺に遷され、幕末より大正期にかけての庚申日には麻布の帝釈天とよばれて縁日の市が立ち大いに賑わったという。
戦災で全焼したため、昭和二十七年(1952)現在地に移り再建された。
〇日昭聖人 六老僧 (鎌倉時代)
〇厳定院日尊聖人
〇日興聖人 六老僧 (鎌倉時代)
〇日法聖人 中老僧 (鎌倉・南北朝期) 彫刻の名手
身延山久遠寺、池上本門寺、鎌倉妙本寺の祖師像は、日法聖人の作。(一木三体)
〇池上本門寺歴代
11世 仏寿院日現聖人
16世 心性院日遠聖人 江戸時代前期。
〇井出為成 (覚源院)
すこし前までは、確かめようもなかったものが、今ではとっかかりにはたどりつけるようになった。Googleの検索技術は進んでいると、つくづく思う。この井出氏もそうだ。井出氏一族関係者および関係寺院一覧<小田原・蓮船寺(さん)へとつながる。
小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 4・5
4 本妙院
5 理境院
6 池上本門寺 (別途)
4 本妙院 山号:朗栄山
大田区池上1-33-5
本妙院の案内板
5 理境院 山号:妙祐山
大田区池上1-34-3
理境院の赤門
石碑 両山三世・當山開基 日輪上人草庵跡
理境院 本堂
扁額 妙祐山
理境院の案内板
〇池上本門寺歴代
2世 日朗聖人 (鎌倉時代)
3世 日輪聖人 (南北朝時代)
12世 日惺聖人 天文・天正・慶長年間。
天正18年(1590) 徳川家康、江戸へ入府。この後、日惺聖人は比企谷から池上に移住し、以後両山貫主は池上に常住する。
〇日傳(日伝)聖人 朗門の九老僧 (鎌倉時代)
〇本妙院日逗聖人
日朗聖人、日輪聖人のこと (当ブログ内でのリンクです)
『日蓮聖人 六老僧』 (宗史概論)
『日朗上人 朗門の九鳳(九老僧)』
4 本妙院
5 理境院
6 池上本門寺 (別途)
4 本妙院 山号:朗栄山
大田区池上1-33-5
本妙院の案内板
池上の寺めぐり 本妙院
縁 起
本門寺二世 日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創(年代不明)。旧称は妙蔵坊。元亀四年(1573)火災で焼失。本門寺第十二世 日惺聖人が当時の住持 本妙院日逗聖人に再建の資助を与え、南谷外溝の道端に移築再興し、本妙院とよばれるようになった。元禄3年(1690) 本門寺の防災のため支院の整備、配置換え、総門の建立、此経難持阪(石段)の改修などが行なわれ、本妙院も現在地に移されたという。
5 理境院 山号:妙祐山
大田区池上1-34-3
理境院の赤門
石碑 両山三世・當山開基 日輪上人草庵跡
理境院 本堂
扁額 妙祐山
理境院の案内板
池上の寺めぐり 理境院
縁 起
元亨年間(1321~1324) 本門寺三世 日輪聖人の住坊として開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つに列せられ、古来より朱塗りの山門(赤門)を許される。延宝年間(1673~1681)に長澤氏の母 理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称。慶応三年(1867) 官軍の江戸城明け渡し要求の際に、官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎にあてたと伝えられる。明治十一年(1878) 堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となる。
〇池上本門寺歴代
2世 日朗聖人 (鎌倉時代)
3世 日輪聖人 (南北朝時代)
12世 日惺聖人 天文・天正・慶長年間。
天正18年(1590) 徳川家康、江戸へ入府。この後、日惺聖人は比企谷から池上に移住し、以後両山貫主は池上に常住する。
〇日傳(日伝)聖人 朗門の九老僧 (鎌倉時代)
〇本妙院日逗聖人
日朗聖人、日輪聖人のこと (当ブログ内でのリンクです)
『日蓮聖人 六老僧』 (宗史概論)
『日朗上人 朗門の九鳳(九老僧)』
小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 1~3
1 中道院
2 常仙院
3 本成院
1 中道院
大田区池上1-35-5
中道院の案内板
2 常仙院 山号:東照山
大田区池上1-33-1
常仙院の案内板
前住職野坂法山師は仏像彫刻家であり、池上本門寺の本殿に勧請の一尊四士像の内、安立行菩薩像、祖師像を彫刻された。その作品は全国に及ぶ。(参考 常仙院「沿革」)
小学生の男の子、2人して「寺めぐり」のスタンプ・ラリー。エールをおくりました。
池上本門寺の参詣は、東急・池上駅方面からだと、ここらからがお寺の雰囲気になります。おおきな題目塔、その左手は蕎麦店「本門寺そば」。題目塔をすぎて、霊山橋を渡れば、参道の両側に山内寺院、正面に総門です。
大石塔(題目宝塔、題目塔)
文化8年(1811)建立。題目の文字は本門寺43世日摂聖人による。
霊山橋(りょうぜんばし)
3 本成院 山号:喜昇山
大田区池上1-35-3
本成院の案内板
観音堂
参考 冊子 『朗師講スタンプラリー 小さな旅 池上の寺めぐり』
HP 『日蓮宗東京都南部宗務所』>各寺院の紹介
〇日頂聖人(伊予阿闍梨、俗姓・南条氏) 六老僧 (鎌倉時代)
〇日向(にこう)聖人(佐渡阿闍梨・安立院)六老僧 身延山久遠寺2世 (鎌倉時代)
〇日源聖人 中老僧 (鎌倉時代)
〇池上本門寺歴代
9世 日純聖人 室町時代、天文年間。
10世 中道院日陽聖人 室町時代、天文年間。
13世 日尊聖人 慶長年間(関ヶ原の戦い、江戸幕府開府の頃)。
25世 守玄院日顗(にちぎ)聖人 江戸時代、享保の頃。
43世 日摂聖人 江戸時代の後期。
1 中道院
2 常仙院
3 本成院
1 中道院
大田区池上1-35-5
中道院の案内板
池上の寺めぐり 中道院
縁起
日蓮聖人の滅後、直弟子 日頂聖人が開いた庵室を起源とする。もとは本門寺の南の谷の先にあり、いつの時代にか当地に移された。本門寺十世 中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになる。本門寺二十五世 日顗聖人の庵室(場所は不明)不二庵が日顗聖人没後の宝暦四年(1754)中道院と合併。かつては、日顗聖人の法脈に連なる本門寺貫首の退隠後の庵室であり、現在はその位牌所となっている。
2 常仙院 山号:東照山
大田区池上1-33-1
常仙院の案内板
池上の寺めぐり 常仙院一説では、日朗聖人の直系日範聖人の庵室跡ともいわれる。天保13年(1842)、鼠山感応寺の廃寺にあたり、住持妙沾院日詮聖人は当寺に隠棲した。東京大空襲で南谷檀林山門と共に全焼した。戦後、復興した。
縁起
天文十八年(1549)本門寺九世日純聖人の退隠後の庵室として開創。もとは玉蔵坊と称した。常仙院開創に関わる伝説によると、蒲田御園村の豪士 月村宗観の葬送の際に落雷と共に妖怪が出現して死者の右腕を持ち去ったが、日純聖人の祈念によりその腕が戻った。日純聖人はこの怪異が自分の不徳の致すところとして本門寺を退き当地に隠棲したという。以来、雷除けの護符を乞う者が多く門前市をなしたと伝えられる。
前住職野坂法山師は仏像彫刻家であり、池上本門寺の本殿に勧請の一尊四士像の内、安立行菩薩像、祖師像を彫刻された。その作品は全国に及ぶ。(参考 常仙院「沿革」)
小学生の男の子、2人して「寺めぐり」のスタンプ・ラリー。エールをおくりました。
池上本門寺の参詣は、東急・池上駅方面からだと、ここらからがお寺の雰囲気になります。おおきな題目塔、その左手は蕎麦店「本門寺そば」。題目塔をすぎて、霊山橋を渡れば、参道の両側に山内寺院、正面に総門です。
大石塔(題目宝塔、題目塔)
文化8年(1811)建立。題目の文字は本門寺43世日摂聖人による。
霊山橋(りょうぜんばし)
3 本成院 山号:喜昇山
大田区池上1-35-3
本成院の案内板
池上の寺めぐり 本成院
縁起
弘安五年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。はじめは池上の北谷の地「とどめき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。その後、東谷にあった本成坊が廃寺となりこれと合併、再興された。
慶長年間(1596~1615)本門寺十三世 日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1716~1736)に現在地に移り債権、本成坊と称するようになった。
本成院縁起
当院は山号を喜昇山、旧称は喜多院(北の坊)と称す。本門寺の旧塔頭寺院です。
寺伝によりますと、当院は佐渡阿闍梨日向上人の開基なり。日蓮大聖人の直弟で六老僧の一人にして、弘安五年池上に御来向の砌 池上右衛門大夫宗仲は草庵を造り、日向上人を住居せしめたといわれています。
当院は、はじめは池上の北谷の地、桐ヶ谷の北の端、とどめきという所にあって、北の坊または喜多院とよばれましたが、日舜上人の代に東谷にあった本成坊が廃坊になったので、これと合併・再興されました。この本成坊は日蓮大聖人の直弟で、中老僧の日源上人の庵室であったと伝わる。
慶長年間に本門寺十三世日尊上人が当院を隠棲の場所と定め、寺域の整備、充実に心がけたので寺観は一新しました。その後宝永年間の火災で焼失したので、十五世喜多院日實大徳が享保年間に現在地に移して再建、本成坊と称するようになったといわれています。 以上
東京都大田区池上一丁目三十五番三号
喜昇山 本成院
観音堂
参考 冊子 『朗師講スタンプラリー 小さな旅 池上の寺めぐり』
HP 『日蓮宗東京都南部宗務所』>各寺院の紹介
〇日頂聖人(伊予阿闍梨、俗姓・南条氏) 六老僧 (鎌倉時代)
〇日向(にこう)聖人(佐渡阿闍梨・安立院)六老僧 身延山久遠寺2世 (鎌倉時代)
〇日源聖人 中老僧 (鎌倉時代)
〇池上本門寺歴代
9世 日純聖人 室町時代、天文年間。
10世 中道院日陽聖人 室町時代、天文年間。
13世 日尊聖人 慶長年間(関ヶ原の戦い、江戸幕府開府の頃)。
25世 守玄院日顗(にちぎ)聖人 江戸時代、享保の頃。
43世 日摂聖人 江戸時代の後期。