かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上の寺めぐり・朗師講 1~3 中道院・常仙院・本成院

2012-07-28 | 池上の寺めぐり・朗師講
小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 1~3
1 中道院
2 常仙院
3 本成院

1 中道院
大田区池上1-35-5




中道院の案内板
池上の寺めぐり 中道院
 縁起
日蓮聖人の滅後、直弟子 日頂聖人が開いた庵室を起源とする。もとは本門寺の南の谷の先にあり、いつの時代にか当地に移された。本門寺十世 中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになる。本門寺二十五世 日顗聖人の庵室(場所は不明)不二庵が日顗聖人没後の宝暦四年(1754)中道院と合併。かつては、日顗聖人の法脈に連なる本門寺貫首の退隠後の庵室であり、現在はその位牌所となっている。

2 常仙院 山号:東照山
大田区池上1-33-1




常仙院の案内板
池上の寺めぐり 常仙院
 縁起
天文十八年(1549)本門寺九世日純聖人の退隠後の庵室として開創。もとは玉蔵坊と称した。常仙院開創に関わる伝説によると、蒲田御園村の豪士 月村宗観の葬送の際に落雷と共に妖怪が出現して死者の右腕を持ち去ったが、日純聖人の祈念によりその腕が戻った。日純聖人はこの怪異が自分の不徳の致すところとして本門寺を退き当地に隠棲したという。以来、雷除けの護符を乞う者が多く門前市をなしたと伝えられる。
一説では、日朗聖人の直系日範聖人の庵室跡ともいわれる。天保13年(1842)、鼠山感応寺の廃寺にあたり、住持妙沾院日詮聖人は当寺に隠棲した。東京大空襲で南谷檀林山門と共に全焼した。戦後、復興した。
前住職野坂法山師は仏像彫刻家であり、池上本門寺の本殿に勧請の一尊四士像の内、安立行菩薩像、祖師像を彫刻された。その作品は全国に及ぶ。(参考 常仙院「沿革」)


小学生の男の子、2人して「寺めぐり」のスタンプ・ラリー。エールをおくりました。


池上本門寺の参詣は、東急・池上駅方面からだと、ここらからがお寺の雰囲気になります。おおきな題目塔、その左手は蕎麦店「本門寺そば」。題目塔をすぎて、霊山橋を渡れば、参道の両側に山内寺院、正面に総門です。

大石塔(題目宝塔、題目塔)

文化8年(1811)建立。題目の文字は本門寺43世日摂聖人による。

霊山橋(りょうぜんばし)



3 本成院 山号:喜昇山
大田区池上1-35-3






本成院の案内板
池上の寺めぐり 本成院
 縁起
弘安五年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。はじめは池上の北谷の地「とどめき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。その後、東谷にあった本成坊が廃寺となりこれと合併、再興された。
 慶長年間(1596~1615)本門寺十三世 日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1716~1736)に現在地に移り債権、本成坊と称するようになった。


 本成院縁起
当院は山号を喜昇山、旧称は喜多院(北の坊)と称す。本門寺の旧塔頭寺院です。
寺伝によりますと、当院は佐渡阿闍梨日向上人の開基なり。日蓮大聖人の直弟で六老僧の一人にして、弘安五年池上に御来向の砌 池上右衛門大夫宗仲は草庵を造り、日向上人を住居せしめたといわれています。
当院は、はじめは池上の北谷の地、桐ヶ谷の北の端、とどめきという所にあって、北の坊または喜多院とよばれましたが、日舜上人の代に東谷にあった本成坊が廃坊になったので、これと合併・再興されました。この本成坊は日蓮大聖人の直弟で、中老僧の日源上人の庵室であったと伝わる。
慶長年間に本門寺十三世日尊上人が当院を隠棲の場所と定め、寺域の整備、充実に心がけたので寺観は一新しました。その後宝永年間の火災で焼失したので、十五世喜多院日實大徳が享保年間に現在地に移して再建、本成坊と称するようになったといわれています。                    以上
                東京都大田区池上一丁目三十五番三号
                                 喜昇山 本成院

観音堂



参考  冊子 『朗師講スタンプラリー 小さな旅 池上の寺めぐり』
     HP 『日蓮宗東京都南部宗務所』>各寺院の紹介


〇日頂聖人(伊予阿闍梨、俗姓・南条氏) 六老僧 (鎌倉時代)
〇日向(にこう)聖人(佐渡阿闍梨・安立院)六老僧 身延山久遠寺2世 (鎌倉時代)
〇日源聖人 中老僧 (鎌倉時代)
〇池上本門寺歴代
 9世 日純聖人  室町時代、天文年間。
10世 中道院日陽聖人 室町時代、天文年間。
13世 日尊聖人  慶長年間(関ヶ原の戦い、江戸幕府開府の頃)。
25世 守玄院日顗(にちぎ)聖人  江戸時代、享保の頃。
43世 日摂聖人 江戸時代の後期。




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