2010年 冬
3月某日 所用で新潟の小千谷と長岡に行きました。2泊しましたが、別に時間をつくって寄りたい所がありました。
それは長岡の町の郊外、悠久山公園内にある郷土史料館です。
小雪降るなか、なんとか出かけ「先人顕彰展示」をひととおり見てきました。
つねづね幕末の長岡藩家老・河井継之助の名が突出し、ひとり歩きしていることを気にしています。
ここは、もうすこし
杉本鉞子(すぎもと・えつこ)のことを知っておきたい。
旧長岡藩筆頭家老・稲垣平助(茂光・重光)の子女。
著書
『武士の娘』 (原題 『A Daughter of the Samurai 』 )
長岡が、日本に 世界に 誇りをもって、この人あり、と言える女性だと思います。
おくればせながらも 『武士の娘』を読んで、― 家、家族・家庭とは、子どもの教育とは、そして女性の自立 ― については、とても考えさせられた。
長岡市郷土史料館のご案内
長岡は大河信濃川にはぐくまれてきた町です。南北朝時代、信濃川河畔の蔵王の地に城が築かれ、古志長尾氏が居城してこの地方を治めましたが、慶長・元和にいたって堀直寄(ほりなおより)が城地を長岡に移しました。元和四年(一六一八年)藩主として牧野忠成(まきのただしげ)が赴任し、以来長岡は牧野氏七万四千石の城下町として栄えました。
長岡城は、現在のJR長岡駅付近を本丸とする平城で、「兜城(かぶとじょう)」または「浮島城」と呼ばれていました。天守閣はありませんが、本丸の角櫓の一つに「御三階(おさんがい)」と呼ばれる建物があり、城のシンボルとしてそびえていたものです。しかし、長岡城は戊辰戦争(一八六八年)で焼失したのち廃城となり、今は昔のおもかげをしのばせるものがありません。
長岡市では、そのような情況にかんがみて、昭和四十三年四月、この蒼紫(あおし)の森につつまれた悠久山公園の高台に城をかたどった郷土史料館を建設しました。貴重な歴史資料や文化財を一堂に集めて展示公開し、郷土長岡の歴史を学ぶ施設として活用しています。
長岡市郷土史料館
(案内板に記載のまま。ふりがなは適宜)