かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

第6回 江戸文化歴史検定 受けてきました。

2011-10-30 | 江戸検定
平成23年10月30日(日)

本日の午前、お茶の水の明治大学駿河台校舎で行われた、「第6回 江戸文化歴史検定(1級)」 受けてきました。
結果は、というと・・・惨敗。(なんか毎年、同じこと言ってる)
1級、難しいナー。自己採点で60点台の真ん中あたり。せめて70点台は欲しかったけど、かすりもしなかったです。
こうなると1級の合格点、80点は夢のまた夢。江戸検(江戸検定)が続けば、チャレンジし続けるか、それとも諦めるか思案のしどころです。今までの1級合格者の人たちが、いかに博識か、ホントあらためて思い知らされました。(脱帽、そして尊敬。)

さて、中味はというと。
1~20問は、今年のお題 「江戸の名所」。
難問かなという設問が、自宅でやろう! 「江戸検」実力診断に既出。受けた人には、数問のおまけとなった。あまり細かくいうのもなんなので、これは省略。それと、わがブログ「江戸の名所・名所江戸百景」で載せたところも何問か出た。そこまではよかったけれど、それでも気がせいてのミスを連発した。
(8)「室町の御所は (  ) 咲く頃に出来」  梅、桃、蓮、菊
 日本橋室町の季節商品販売のにぎわい。これは、もともとわからなかった。
(14)一富士・ニ鷹・三茄子。JR江戸検クイズラリー・富士講コースからの出題。
(20)「(  ) 真赤なうその つきはじめ」  飛鳥山、海晏寺、滝野川、根津権現
 難問ではないが、面白い川柳だ。真赤な、までは紅葉の名所、、海晏寺。
 真赤なうそ、で品川宿・遊里とからむ。紅葉観賞といって、実は妓楼で遊んでる。
 関連で、「江の島の 十里こなたに 三日居る」
 こういうのは設問として出されないでしょう。
 江ノ島弁天への参詣、徒歩での行程3日。実は品川の遊里に入りびたり。

21問~90問 通常の1級問題。
ちょこまかと間違えたです。それと逆に、当てずっぽうでの正解が何問もあるので、本当の実力はというとちょっと寂しいものがあります。
(21)年号の組み合わせで、年代が連続しているのは?
    寛永―慶安、 宝永―享保、 安永―天明、 安政―文久
 年号を覚える学習をしてます、という人がいたけれど、これは今でも年表を見ないとダメ。
 正保、宝永―正徳、安永(って?)、万延が間に入るすぐ除外、といかない辛さ。
(35)「(  ) の 若死をする 不慮な事」 田沼意次の息子が殺された事件。
    年寄、 成金、 老中、 若殿   一瞬 ? 、そして閃いた。
   きりがないので次へ。

91~100問 記述問題
(91)ペリーが来航したときの将軍の名前を漢字2字で。
 これが書けない。よって1級はきつい。
(93)「作州牢人・宮本武蔵」、作州とはどこの国。
(94)旧暦8月1日、徳川家康が初めて江戸に入府した日
 これは旧暦ブログの成果か。八朔。「朔」、よく書いたけれど正答率も高いかな。
(96)江戸時代、男子は髪を剃り上げていました。この部分を何と呼んだでしょう?
 「月代」、今はわかるが、解答時はまったくことばが出てこなかった。前にも出題された?

以上で、本日の報告をおわります。
さて、これからどうしようか。



江戸時代・略年表 改元と干支のこと

2011-08-11 | 江戸検定

1590 天正18 己丑 8.1 (八朔) 徳川家康、関東移封。江戸入府。
1592 天正20・文禄1 辛卯 12.8 後陽成天皇即位により文禄に改元。
1596 文禄5・慶長1 乙未 10.27 天変地異などの災異のため慶長に改元。
1598 慶長3 戊戌 8.18 秀吉、没。
1600 慶長5 庚子 9.15 関ヶ原の戦い。東軍・徳川勢、西軍を破る。

1603 慶長8 癸卯 2.21 家康、征夷大将軍となる。江戸に幕府を開く。
1605 慶長10 乙巳 4.16 徳川秀忠、第2代将軍宣下。
1614 慶長19 甲寅 10.1 家康、大坂征討を命ず。(大坂冬の陣)
1615 慶長20 乙卯 4.6 家康、大坂再征を命ず。(大坂夏の陣)
1615 慶長20・元和1 7.13 戦乱・災害により元和に改元。7.17 禁中並公家諸法度
1616 元和2 丙辰 4.17 大御所徳川家康没。
1623 元和9 乙卯 7.27 徳川家光、第3代将軍宣下。
1624 元和10・寛永1 甲子 2.30 甲子革命説により、寛永に改元。
1644 寛永21・正保1 甲申 12.16 後光明天皇即位により、正保に改元。
1648 正保5・慶安1 庚寅 2.15 「正保」が「焼亡」の連想で慶安に改元。
1651 慶安4 辛卯 4.20 家光没、家綱が将軍を継ぐ。(第4代)
1652 慶安5・承応1 壬辰 9.18 将軍代替わりにより承応に改元。
1655 承応4・明暦1 乙未 4.13 後西天皇即位により明暦に改元
1657 明暦3 丁酉 1.18 明暦の大火 (振袖火事)
1658 明暦4・万治1 戊戌 7.23 前年の「明暦の大火」により万治に改元。
1661 万治4・寛文1 辛丑 4.25 1月15日の内裏焼失により寛文に改元。
1673 寛文13・延宝1 癸丑 9.21 京都大火・内裏炎上により延宝に改元。
1680 延宝8 庚申 5.8 家綱没、綱吉が将軍を継ぐ。8.23 綱吉、5代将軍宣下
1681 延宝9・天和1 辛酉 9.29 辛酉革命説により天和に改元。
1684 天和4・貞享1 甲子 2.21 甲子革命説により貞享に改元。
1688 貞享5・元禄1 戊辰 9.30 東山天皇即位により元禄に改元。

1703 元禄16 癸未 11.22 元禄関東地震。
1704 元禄17・宝永1 甲申 3.13 関東地震により宝永に改元。
1707 宝永4 丁亥 10.4 宝永地震。 11.23 富士山噴火。 (宝永大噴火)
1709 宝永6 己丑 1.10 綱吉没、家宣が将軍を継ぐ。5.1 家宣、6代将軍宣下。
1711 宝永8・正徳1 辛卯 4.25 中御門天皇即位により正徳に改元。
1716 正徳6 丙申 4.30 家継没。 5.1 徳川吉宗、将軍を継ぐ。(第8代)
1716 正徳6・享保1 丙申 6.22 家継死去により享保に改元。
1735 享保20 乙卯 11.3 京都 桜町天皇践祚。(第115代)
1736 享保21・元文1 丙辰 4.28 桜町天皇即位により元文に改元。
1741 元文6・寛保1 辛酉 2.27 辛酉革命説により寛保に改元。
1744 寛保4・延享1 甲子 2.21 甲子革命説により延享に改元。
1745 延享2 乙丑 9.25 吉宗、将軍辞職。家重が将軍を継ぐ。(第9代)
1748 延享5・寛延1 戊辰 7.12 桃園天皇即位により寛延に改元。
1751 寛延4・宝暦1 辛未 10.27 吉宗死去などにより宝暦に改元。
1760 宝暦10 庚辰 家重、将軍辞職。家治、将軍を継ぐ。(第10代)
1764 宝暦14・明和1 甲申 6.2 後桜町天皇即位により明和に改元。
1772 明和9・安永1 壬辰 11.16 災害多発、人心一新のため安永に改元。
1781 安永10・天明1 辛丑 4.2 光格天皇即位により天明に改元。
1786 天明6 丙午 9.8 家治没。家斉が将軍を継ぐ。(第11代)
1789 天明9・寛政1 己酉 1.25 内裏炎上などの災異により寛政に改元。

1801 寛政13・享和1 辛酉 2.5 辛酉革命説により享和に改元。
1804 享和4・文化1 甲子 2.11 甲子革命説により文化に改元。
1818 文化15・文政1 戊寅 4.22 仁孝天皇即位により文政に改元。
1830 文政13・天保1 庚寅 12.10 京都大地震を忌んで天保に改元。
1837 天保8 丁酉 4.2 家斉、隠居。 9.2 家慶、第12代将軍宣下。
1841 天保12 辛丑 閏1.30 大御所家斉没。
1844 天保15・弘化1 甲辰 12.2 江戸城本丸火災(5.10)により弘化に改元。
1847 弘化4 丁未 9.23 京都 孝明天皇即位。
1848 弘化5・嘉永1 戊申 2.28 天皇代替わりにより嘉永に改元。(孝明天皇)
1853 嘉永6 癸丑 7.22 家慶の喪を発し家定が将軍を継ぐ。10.23 第13代将軍宣下
1854 嘉永7・安政1 甲寅 11.27 御所炎上・ペリー再来航などにより安政に改元
1858 安政5 戊午 8.8 家定の喪を発し家茂が将軍を継ぐ。10.25 第14代将軍宣下
1860 安政7・万延1 庚申 3.3 大老井伊直弼斬殺さる。(桜田門外の変)
1860 安政7・万延1 庚申 3.18 江戸城本丸炎上により万延に改元。
1861 万延2・文久1 辛酉 2.19 辛酉革命説により文久に改元。
1864 文久4・元治1 甲子 2.20 甲子革命説により元治に改元。
1864 元治1 甲子 7.19 長州藩兵、幕府軍に敗北(禁門変) 京都大火・どんどん焼け
1865 元治2・慶応1 乙丑 4.7 禁門の変と京都大火により慶応に改元。
1868 慶応4・明治元 戊辰 9.8 明治に改元。[慶応4年をもって明治元年とする]

1872 明治5 壬申 12.3 この日、明治6(1873)年1月1日となる。新暦(太陽暦)実施。
1873 明治6 癸酉 1.1 新暦(太陽暦)

  
年号(元号)の改元に、干支が関連しているのもありますね。ただし、儀礼・慣例の感じがつよいかもしれない。
辛酉と甲子の年に、セットになって改元が行なわれています。けれど1621・元和7、辛酉の年に改元がなかったのは逆になにか理由でもあったのでしょうか。


参考  『見る・読む・調べる 江戸時代年表』山本博文・監修 小学館
    『日本史年表・地図』児玉幸多・編 吉川弘文館


 

江戸検定 今年のお題・参考書 『江戸の名所 お上り武士が見た華の都』

2011-07-13 | 江戸検定

『江戸の名所 お上り武士が見た華の都』田澤拓也著 小学館101新書

第6回 江戸文化歴史検定、今年のお題は『江戸の名所』。ということなので、新書版でもあるし、さっそく購入してザっと読んでみました。
江戸勤番、紀州藩士酒井伴四郎彰常の日記をベースにした江戸の名所案内で、ごく軽い読み物です。3級・2級の検定問題はなんとなくイメージされるのですが、1級の問題となると、さて、どのように出されるのか一読しただけでは見当もつきませんでした。すこし間をおいてから、じっくり読み返して、これはと思う箇所をマークしてみますか。
それにしても、この伴四郎、叔父の助手というか見習いというか、勤務は衣紋方の「出殿稽古」。あまりの勤務の少なさと、市中散策の多さにあ然とするが、こういうこともあるだろう、と無理やり納得させたしだい。


〇酒井伴四郎彰常 天保5年(1834)~? 紀州藩大番組(駿河組) 30石
〇伴四郎の日記 表題「江戸江発足日記帳」。万延元年(1860)5月1日の紀州出発から、5月29日の江戸到着、11月末までの江戸詰の生活。江戸勤番一年半、中・後半の日記の有無は不明、とある。


 

自習(復習) 『大江戸見聞録』(テキスト)の用語

2011-06-12 | 江戸検定
ひさかたぶりに、「江戸検」の学習らしきことをのせます。まずはストレッチ。

『大江戸見聞録』(テキスト)の読み返し。
このテキストは、物語風記述に図版・イラスト・写真つきで、とっつきやすい。入門・初級用ではあるが、設問の仕方によって難易度は変ってくる。まずは用語の再確認から。

はじめに (p.2)
■江戸時代の特色 二世紀余にわたり平和がつづいた。
■経済・文化の発達
■政治の中心都市 江戸
■徳川家康の入府
■天下の総城下町
■都市基盤の整備
■城を中心とした堀割の開鑿
■低湿地の埋め立て
■都市施設の整備
■日本橋の架橋
■神田上水
■見附
■木戸
■広小路
■火の見
■時の鐘
■諸大名
■参勤交代での出府
■藩邸住まい
■諸国からやってきたさまざまな人々
■商人
■職人
■芸能者
■下町を中心に集住
■商才や技を競い合う
■18世紀初頭
■人口100万を超す巨大都市
■人々の暮らし
■四季折々の年中行事や祭り
■洗練された美意識や生活文化の形成
■寺子屋の発達
■識字率は世界の最高の水準
■出版文化の隆盛
■伝統
■継承
■江戸の文化や意識には学ぶべきものが多かった
■環境にやさしい循環型社会の知恵
■多くの災害を乗り越えた都市再生の活力
■現在の急速な社会変貌
■伝統は消滅しつつある
■江戸の見直し、将来の東京を展望するよすがとする意義
〇時代の流れ(潮流)とは さからえない(もの)? 新たな視点での見直し?

大江戸見聞録地図 (p.4)
■墨引内 朱引の内側 (例外 目黒不動) 町奉行所の支配(管轄)
     現在の山手線の内側プラス墨田・江東の隅田川側。
■朱引内 墨引の外側 御府内 (江戸の範囲)
     品川・内藤新宿・板橋宿・千住大橋から荒川の内側。
〇例の、のの字回りで(ほぼ)いきます。この一年で行ったところは緑にしました。
江戸城
日枝神社(山王権現)
神田明神
日本橋
■人形町(二丁町)
■八丁堀
愛宕山
増上寺
芝大神宮(芝神明)
三田
四谷
湯島聖堂
■湯島天神
不忍池
上野
寛永寺
浅草寺
浅草
大川(隅田川)
吾妻橋
■本所
柳橋
浅草橋
両国橋
回向院
■新大橋
森下
■永代橋
深川
■ (佐賀町)
富岡八幡宮
■佃島
東海道
高輪
泉岳寺
品川宿
■目黒川
■目黒不動
■甲州道中
新宿
神田川
■護国寺
■雑司ヶ谷鬼子母神
■石神井川
■中山道
飛鳥山
■日光道中
■千住
■千住大橋
■墨堤
■橋場
■長命寺
■木母寺
■向島百花園
■亀戸天神
〇行ったことあるよ、だいたい説明できるよ、がベターだが。全部というわけにはいかないか。よく知らないという場所・名は、いちおう要確認。

江戸時代略年表 (p.6)
災害と政治改革を中心に。『江戸諸国萬案内』の略年表も併用。
1590 天正18 徳川家康、関東に移封し、江戸に入る。
1603 慶長8  家康、征夷大将軍となる(江戸幕府始まる)。
        諸大名の普請による江戸の城下整備が着工される。
1605 慶長10 秀忠、第2代将軍となる。
1607 慶長12 家康、駿府に移る。
1623 元和9  家光、第3代将軍となる。
1635 寛永12 参勤交代を制度化する。
1642 寛永19 寛永の大飢饉。
1657 明暦3  明暦の大火(振袖火事) 江戸城本丸焼失(天守の再建されず)
1680 延宝8  綱吉、第5代将軍となる。
1682 天和2  天和の大火(お七火事) (駒込)。
1707 宝永4  宝永地震(10.4)。東海・南海沖の大地震。
        宝永大噴火(富士山) (11.23)。
1709 宝永6  正徳の治・新井白石 (6代家宣・7代家継)。
1716 享保1  享保の改革(~1745)・8代徳川吉宗。
1732 享保17  享保の大飢饉(主に西日本)。
1755 宝暦5  奥羽地方で大飢饉。
1772 安永1  田沼意次、老中となる。(10代家治期)
        江戸大火(目黒行人坂火事)。
1782 天明2  天明の大飢饉始まる(~1787)。
1783 天明3  浅間山大噴火。
1787 天明7  寛政の改革(~1793)・老中松平定信。(11代家斉の治世期)
1792 寛政4  雲仙岳大噴火(島原大変・肥後迷惑)
1806 文化3  江戸芝の大火(丙寅の大火、牛町火事)。
1833 天保4  天保の飢饉始まる(~1836)。
1841 天保12  天保の改革(~1843)・老中水野忠邦 (12代家慶の治世期)
1854 嘉永7・安政1 安政東海地震(11.4)。東海沖・南海沖の大地震。
1855 安政2  江戸大地震(安政江戸地震)。(10.2)
1858 安政5  井伊直弼、大老となる。
1866 慶応2  打ちこわし、一揆が頻発。「世直し」を求める。
1867 慶応3  「ええじゃないか」の大乱舞起こる。
        徳川慶喜、大政奉還。王政復古の大号令。
1868 明治1  戊辰戦争。江戸開城。明治に改元。
1869 明治2  東京遷都。

人物生存年表 (p.6)
[政治]
■徳川家康(初代) 1543~1616(天文11.12.26~元和2.4.17)
 父母・松平広忠、於大の方(伝通院) 幼名・竹千代 東照大権現、安国院殿
■大久保彦左衛門 忠教(ただたか) 1560~1639(永禄3~寛永16)
 『三河物語』 講談「大久保政談・一心太助」 白金立行寺(大久保寺)
■金地院崇伝 1569~1633(永禄12~寛永10.1.20)
 京都・一色氏の出。以心崇伝。 臨済宗・南禅寺 「黒衣の宰相」とも。
■天海 1536~1643(天文5~寛永20.10.2)
 南光坊天海、智楽院、慈眼大師。無量寿寺北院(喜多院) 寛永元年(1624)寛永寺
 江戸の都市計画-陰陽道・風水に基づいた江戸鎮護の構想。
■沢庵 1573~1646(天正1~正保2.12.11) 沢庵宗彭(たくあん そうほう)
 臨済宗大徳寺住持 紫衣事件・出羽国上山流罪・土岐頼行 家光 萬松山東海寺住職
■徳川秀忠(2代) 1579~1632(天正7.4.7~寛永9.1.24) 在任1605~1623
 母・西郷局、乳母・大姥局(岡部局)、幼名・竹千代 台徳院殿
■林羅山 1583~1657(天正11~明暦3)
 朱子学派儒学者。林家の祖。林信勝・子信。道春。師藤原惺窩。家光の侍講
■徳川家光 (3代) 1604~1651(慶長9~慶安4) 在任1623~1651
 母・江、乳母・春日局、幼名・竹千代 大猷院
■徳川家綱 (4代) 1641~1680(寛永18~延宝8) 在任1651~1680
 母・お楽の方(宝樹院)、竹千代、左様せい様、厳有院
■徳川綱吉 (5代) 1646~1709(正保3~宝永6) 在任1680~1709 主に元禄期
 母・桂昌院(玉) 徳松(家光の四男) 上野国館林藩主 天和の治 常憲院
大石内蔵助 1659~1703.3.20(万治2~元禄16.2.4)
■徳川家宣 (6代) 1662~1712(寛文2~正徳2) 在任1709~1712
 父徳川綱重 母長昌院(お保良) 新見左近、松平虎松、徳川綱豊、甲府宰相、文昭院
 間部詮房、新井白石を登用。(正徳の治)
■徳川家継 (7代) 1709~1716(宝永6~正徳6) 在任1713~1716
 家宣の四男。母・月光院(お喜代)。世良田鍋松。有章院殿。満6歳・数え8歳没
■大岡忠相 1677~1751(延宝5~宝暦元年12.19) 能登守から越前守
 吉宗・享保の改革時の南町奉行。寺社奉行兼奏者番。三河国西大平藩初代藩主。
■徳川吉宗 (8代) 1684~1751(貞享元年~寛延4.6.20) 在位1716~1745
 越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主、のち宗家相続(享保元年・1716)。
 源六、新之助 米将軍・八木将軍 有徳院殿
■徳川家重 (9代) 1711~1760(正徳元年~宝暦11) 在位1745~1760
 母深徳院(お須磨の方) 幼名・長福丸、渾名・小便公方 惇信院 側近・大岡忠光
■田沼意次 1719~1788(享保4~天明8) 遠江相良藩・初代藩主、相良藩田沼家初代
 父・意行(元紀州藩足軽)、家重の西の丸小姓 御側御用取次 側用人 老中格 老中
■徳川家治 (10代) 1737~1786(元文2~天明6) 在位(1760~80)宝暦・明和・安永
 幼名・竹千代、兄弟・清水重好、養子・家斉(一橋) 田沼意次の重用。
松平定信 1758~1829(宝暦8~文政12)
徳川家斉 (11代) 1773~1841(安永2~天保12) 在位(1787~1837)
大塩平八郎 1793~1837(寛政5~天保8)
徳川家慶 (12代) 1793~1853.7.27(寛政5~嘉永6.6.22) 在位(1837~1853)
井伊直弼 1815~1860
勝海舟 1823~1899
徳川家定 (13代) 1824~1858
吉田松陰 1830~1859
坂本龍馬 1835~1867
土方歳三 1835~1869
榎本武揚 1836~1908
徳川慶喜 (15代) 1837~1913
高杉晋作 1839~1867
徳川家茂 (14代) 1846~1866
[経済・商業]
■河村瑞賢 1618 ?~1699(元和4~元禄12)
 伊勢度会郡。明暦の大火後の材木調達。東廻り航路・西廻り航路を開く。
■三井高利 1622~1694(元和8~元禄7)
 伊勢松坂。通称、八郎兵衛。江戸本町一丁目で越後屋(のちの三越)開業。
■紀伊国屋文左衛門 1669 ? ~1734(寛文9 ?~享保19)
 紀州(有田)湯浅。紀文大尽。元禄期の幕府御用達・材木商。
[学問]
■前野良沢 1723~1803
■平賀源内 1728~1779
■杉田玄白 1733~1817
■緒方洪庵 1810~1863
■福沢諭吉 1834~1901
[文化・芸能]
■猿若(中村)勘三郎 1597 ?~1658(慶長2 ?~万治元)
 中村座開祖(当初、猿若座)。座元(支配人)兼役者。
井原西鶴 1642~1693
松尾芭蕉 1644~1694
初代坂田藤十郎 1647~1709
初代市川団十郎 1660~1704
大田南畝 1749~1823
喜多川歌麿 1753 ?~1806
鶴屋南北 1755~1829
葛飾北斎 1760~1849
山東京伝 1761~1816
鍬形薫斎 1764~1824
十返舎一九 1765~1831
曲亭馬琴 1867~1848
初代歌川豊国 1769~1825
式亭三馬 1776~1822
3代中村歌右衛門 1778~1838
歌川国貞 1786~1864
歌川広重 1797~1858
歌川国芳 1797~1861


詳しく吟味していくと先へすすめなくなるので、これはと思いながらも、あやふやな項目を中心に確認・チェックをしていきます。



第6回 江戸文化歴史検定の案内 届く

2011-05-14 | 江戸検定
ポストの中に、見覚えのある白い封筒。「江戸文化歴史検定」と印刷された、クロネコメール便。うーん、今年の案内か、と思いつつ封をあけた。
 第6回江戸文化歴史検定
 試験日 平成23年10月30日(日)
 会場/東京 明治大学駿河台校舎
 受検申し込み 7月1日(金)より
 「自宅でやろう! 江戸検 実力診断」、これと同時申し込みは、5月27日(金)まで
  この新企画で、案内がすこしはやくなったのかな。よさそうだが、すこし迷う。

 今年のお題
 江戸の名所~緑あふれる世界有数の都市
  当初と微妙に題名が変っている。ま、いいか。
 参考図書『江戸の名所―「お上り武士」が見た華の都』田澤拓也著 小学館新書
  新書版ということなので、購入予定に入れときます。
 
ということで、今年もいよいよ江戸検の受検モードへスイッチ切り替えだ。もし受検しないとなると、当ブログの名前を変えないといけないし。たとえば・・・(言わないでおこうっと)

追記
興味をひいた記事をとばしてしまうところだった。それは、同封パンフレット内の、「超難関」1級に挑戦! 昨年度2級合格「最年長・最年少」の二人の女性。
1級に挑戦!、を公に言う姿勢がすばらしいし、感動ものです。かげながら応援します。がんばってください。
そうそう、かぶとんも1級に挑戦! (3度目になるけど) 懲りずにチャレンジします。