かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

NHKラジオ・明日へのことば 北海道の赤ひげ先生と言われて

2012-09-19 | こころ

先日に続いて「明日へのことば」。いやー、目が離せなくなったというか、ラジオなので耳が離せないっていうのか、道下先生と、そばにいらした奥さまの敏子さんのお話には大感激でした。

2012年9月18日・19日
NHKラジオ深夜便 明日へのことば
「北海道の赤ひげ先生と言われて」  浜中町立診療所・名誉所長 道下俊一

お話を思い返すに、「赤ひげ先生」と尊敬される道下先生は、霧多布(きりたっぷ)の土地と、そこで暮らしている人たちとの深い関わりによって生まれ、育まれたんだと、つくづく思いました。

昭和28年 北大病院から一年間の任期だということで、霧多布に赴任した時のこと。
 札幌から汽車で10時間、駅から10㎞以上の行程、雪道を歩いて行った。
 着いた所は、明治初期に建てられたという診療所(釧路日赤病院浜中診療所)でした。
(北海道東部・厚岸郡浜中の霧多布地区は、前年、昭和27年(1952)3月の十勝沖地震津波で大被害を受け、復興もままならなかった)
広い範囲に散在する集落と8千人の住民、それに対し医者は、本人唯一人。
始め、村民から相手にされなかったこと。
土地のことばを話せるようになって、初めて会話が成りたったこと。
専門外の外科手術等、なんでも、こなしたこと。
往診はどこまでも出かけた。小型船で行く途中、シケにあって死ぬ思いをしたときのこと。
診療が終わって、お婆さんから出されたうどんをおかわりしたら、オラのうどんをうまいといって食べてくれたぞ、今度の先生はいい先生だ、と集落中の評判になったこと。
雪降るなか、湯たんぽを抱いて、毛布を何枚も体にくるみ、馬ゾリで往診したときのこと。
ハシカ、水疱瘡、赤痢等の伝染病が蔓延し、往生したときのこと。
伊勢湾台風(昭和34年)のあと、水道が通ったこと。
昭和35年 チリ地震による大津波の来襲をまともに受けたときのこと。
  村人が、海がなくなっていく!! 大津波が来るぞ、山へ逃げろ!!
  命からがら、山のお寺まで逃げたときのこと。
  揺り戻しの津波が、都合14回あったこと。村人11人が流されて亡くなった。
被災した高校生。 ここが故郷だ、ここを投げて、他へ行くなんて考えられないことだ。

一年経つと札幌に帰る準備をする、村が引きとめる、あと一年・・・
これを何年も何年も繰りかえしていた。

あるとき決断をした。ここ霧多布で、医者としての仕事を全うしよう、と。
奥さんの敏子さんに伝えると、約束と違う、と喧嘩になった。しかし冷静になってから考えた敏子さん、あらためて夫の道下先生に、どこまでも一緒についていきます。

敏子さんは、毎年、庭に一年草の花を植えていた。この年は桜の苗木を植えた。何年か後に桜の花が咲くのを楽しみにして。
そして後年、桜は咲いた。日本最北の山桜として、今も残っているという。

道下先生は、霧多布で47年間、地域医療に取り組んだ。その間、ずっとサポートしてきた敏子さんです。


引退したあと、札幌ススキノ、スナックのママさんから、その節は先生にたいへんお世話になりました、ありがとうがざいました、とお礼を言われて、びっくりしながらも、うれしかったと語る道下先生。
それと、小さい頃、面倒をみた少年が、その後、東大を出て医師になり、そして浜中診療所の後を継いだんですよ、とうれしそうに話してました。


問診
-カルテの裏側-
「カルテの裏に  その人の人生があると思うんです
その裏がわかるようになって
初めて私は医療が出来ると思って  やってきたのですよ」

もうすこし、詳しいほうで
「カルテの表には、咳が出る、お腹が痛いって書きますね。しかしその裏、カルテの裏側を考える。カルテの裏には、その人の人生があると思うんです。親子の問題、嫁姑の問題、経済的な問題、その裏が分かるようになって初めて私は医療ができると思うのです。」(新・リーダーたちの言葉)



年代は、ブログ公開後に確認し追加しました。
Google検索でみると、かつてNHK 「プロジェクトX 挑戦者たち」 にも取り上げられたようです。なので、詳しく、かつわかりやすいブログもあることを知りました。
「カルテの裏側」も、放送時は言葉のメモだけでしたが、孫引きですが、追加で載せました。

もう一つ追加。診療所でレントゲン技師の助手として働いていた学生は、後年、アニメ 『ルパン三世』 の作者として世に出たモンキー・パンチ氏であるそうな。
とにもかくにも、道下先生のまわりから、いろんな人が育っていった。




NHKラジオ・明日へのことば ガレキの跡地に鎮守の森を作ろう

2012-09-18 | 地震・震災

9月15日・16日と、二回にわたった宮脇先生のお話を聞きました。そのメモ書きです。

「ガレキの跡地に鎮守の森を作ろう」
語り手 横浜国立大学名誉教授 宮脇昭

本物とは、きびしい環境の中でも長持ちするもの
松は流された
松、7万本が流された
本来、海岸線の植生は常緑広葉樹である タブの木 シイの木 カシ類
高地 ミズナラ
松は針葉樹 もともと山の山頂部に限定されて自生していた

コンクリ防壁はコッパミジンに砕かれた
科学の発達 すべて計れるもの、計量化できるものとしてきた
お金、数字、がすべてなのか
自然  計り知れないもの 共生すべきもの 畏敬の念
環境  見えないもの 感覚

植物生態学
新しい森作り その土地に自生するもの、自生していたもの
白砂青松とはいうが
生物社会の原則
多少いらないものがあっても ガマンし、共生している
人の手が入った単一・単体はダメ

鎮守の森 人の手を加えずとも自生している木々 いろんな種類が混生している
鎮魂の森、希望の森  ガレキで鎮守の森をつくろう

森林生態学
九州のあるスギ樹林帯が、台風によってすべてなぎ倒されたときの話
倒れた要因・・・、活用の方法 ログ・ハウス
再生不可能といわれた熱帯雨林の再生にとり組んだときの話。
中国・万里の長城 もともとは森林地帯だった
レンガ焼き等での木々の伐採、戦乱 ガレキの山になってしまった、が
再生にとり組んだ 蒙古ナラをメインに、他種も
一昨年 10ヵ年 100万本の植林を達成
ガレキ、ゴミ、有機材 1m掘る

本物の学者は 現場に行く 少なくも最初と最後は

いのちの森 森づくり 自然のおきて
人間社会(組織)と自然社会のしくみは同じ
トップがいる、三役がいる、それを支えるものがいる
すきま 空間 酸素
バランス、調和

太平洋岸の某市・某市長、役職クラス、一般職員 硬直した行政機構
機能していない

南北300キロの森をつくろう
防風林・防潮林の調査
松だけでは津波は防げない

「ガレキの跡地に鎮守の森を作ろう」
実際の森のつくりかたの説明がありました。(略)


記)
共感しました。東日本大震災による大被害を受けた太平洋沿岸地域の復興・復旧、そして再生を、森作りを通してやっていこう、ということです。今後の活動に注目していくとともに、できることには応援・支援をしたいです。
(メモ書きにしても、かなりモレがある。後ででも、補なっていきたい。)