かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

横浜開港資料館から野毛まで 2

2010-09-29 | 横浜
横浜散策。
ランドマークタワーを眺めながら、桜木町方面へと歩く。






デジカメ初心者の悲しさで、ズームを最大にしないと気が治まらない。


弁天橋あたりからの「みなとみらい」。


弁天橋からの大岡川。幕末、横浜居留地の北端(?)



野毛町の一角。
旧友がやってるお店。久しぶりに来たのに、休み、の貼り紙。残念。


野毛山公園地区の入口。


(クリックで地図、拡大します)


横浜市中央図書館に到着。(初訪問)



内に入って、3階にある「ヨコハマ資料部門」へ。
興味・関心のある幕末・明治の横浜の本や資料がてんこ盛りでした。



図書館に着く前に、中華食堂で遅めの昼食。

ランチ・サービス期間中。
野菜たっぷりソース焼きそば+半炒飯+餃子 5ヶ で858円。超ボリューム。
おもわず、生ビールを追加。(画像は控えめ、小さくしました。)

(おわり)


かぶとんの独り言。
半日、歩いて2回分の記事にしてしまう、ってのはチョット虫が良いかな?と反省。
本当のところ、興味ある一つのことを深堀りしていきたい、のだけれど。
横浜は、おりにふれ何度でも来てみたい、な。



横浜開港資料館から野毛まで

2010-09-28 | 横浜
横浜散策。





横浜開港資料館(旧英国総領事館)へ行って、
企画展示『横浜山手 コスモポリタンたちの1世紀』を見学しました。
そのあと、ブラブラと歩き、一方の幕末江戸・横浜資料の宝庫(?)
野毛の横浜中央図書館に向かいました。


みなとみらい線「日本大通り駅」下車。


港に向かって左手は神奈川県庁(キングの塔)




右手に横浜開港資料館(ここは正門でなく横からの門)


資料館の敷地内に旧英国総領事館




資料館の中庭にある「たまくす(玉楠)の木」。
この場所に、1854(嘉永7)年ぺりーは500人の兵隊をつれて上陸した。
たまくすの木は関東大震災の時に焼けてしまったが、再び芽を出して大きくなった。


正門から


海洋会館


開港広場から


開港資料館前の交差点から見たランドマークタワー


横浜税関(クィーンの塔)


横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
館内の見学O.K。無料。

(つづく)



幕末 アメリカ領事館の通訳官 ヘンリー・ヒュースケン

2010-09-22 | 幕末の外交
ヒュースケン『日本日記』 を読んで。

1855年10月、青年ヒュースケン(23歳)は蒸気船でニューヨークを発ったあと、各地の港に立ち寄りながら日本へ向かった。その旅の途中、いろいろな国々の人々と交流し、現地の住民とも交流し、生活、政治・経済・文化を見聞した。風光明媚な土地・景色に感動し、それを目に焼き付けた。
若年とはいいながら、その体験、経験の積み重ねは、普通の人々と比べ、あまりに豊富だ。 そんな若者が、世界の潮流とかけ離れた田舎の国、日本にやって来た。しかも着いた先は鄙びた漁村、下田。当初の戸惑いがどれほどのものだったか、想像もできない。けれど、その豊富な体験・経験の引き出しから、取捨選択し、実情に合わせつつ、日本の懐に飛び込んでいったのではないだろうか。


ヘンリー・ヒュースケンの日記から抜粋。
1855 (23)
 10.25 早朝。蒸気船サンジャシント号で、ニューヨークを出発。
  途中マデイラ島のフンシャル、アセンション島、ケープタウン、モーリシャス島、セイロン島のガルに寄港。
1856 (24)
 3.21 ペナンで、ハリス(51)と対面する。
  (ハリス日記 3.21 サンジャシント号の到着。 3.22 入港。
  ハリスは、ヒュースケンとの対面を記録していない。)
 5.1 バンコク。ハリスとともにシャムの国王陛下に拝謁。
  シンガポール、バンコク、香港、広東、マカオを経る。
 8.13 広東から下田に向けて出帆。


 8.21(安政3.7.21) ヒュースケン、ハリスとともにサンジャシント号で下田到着。
 8.25(安政3.7.25) 下田、上陸。下田奉行(ガヴァナー)と会見。
                 [井上信濃守清直、岡田備中守忠養(訳者の注記)]
 9. 1(安政3.8.3) 提督、総領事、随行の士官らが奉行を訪問。
 9. 3 (9.4 ハリス日記)(安政3.8.5) 柿崎・玉泉寺(領事館)にアメリカ国旗、掲揚。
   サンジャシント号、下田港を離れる。
   「私は丘の上に立って、文明世界との最後の仲だちが消え去るのを見送り・・・」
1857 (25)
 5.21(安政4.4.28) 馬を一頭入手。(ヒュースケン、感激の日記記載。)(*1)
    *(安政4.5.24) おきち、ハリスの看護人となる。3日(3ヶ月?)で解雇。
 6.17(安政4.5.26) 総領事と下田奉行、協定(コンベンション)に署名。(下田協約)
 6.25(安政4.閏5.4) 箱館のライスなる人物からの手紙。箱館に米国旗を掲揚した、
     との内容。(かぶとんの箱館編に出てきたね。点と点が、点と線、だ。)
 7. 4(安政4.閏5.13) 柿崎で米国独立記念日を祝う21発の礼砲を受ける。
 9. 3(安政4.7.15) 昨日、燈籠祭り。
            サンジャシント号出帆の一周年記念日。
            郵便物をはじめて受け取った日。
 9.23(安政4.8.6)  江戸からの連絡。大君との謁見が決まる。
 11.23(安政4.10.7) 江戸に向け、陸路、下田を出発。
            先頭、菊名仙之丞(下田奉行支配調役並)
            殿(しんがり)、副奉行・若菜三男三郎(支配組頭)
 11.30(安政4.10.14) 江戸の宿舎、九段坂下の蕃書調所に到着。
 12. 4(安政4.10.18) ハリス、堀田備中守と会見。
 12. 7(安政4.10.21) 大君(将軍家定)との謁見。米大統領親書を奉呈。
1858 (26)
 2.14(日)(安政5.1.1) 日本の新年。
 2.27(安政5.1.14) ハリス、病気。(コセンザ編ハリス全日記、この日で終る。)
 3.6(安政5.1.21)  雪。早朝、出発。蒸気船・観光丸に乗り、翌朝、下田に着く。
            (ハリスの容態がよくない。療養。のち、回復。)
 4.15(安政5.3.2) 蒸気船で下田を出航。
 4.18(安政5.3.5) 品川、着。馬で宿舎まで行く。
 4.23(安政5.3.10) ドンケル・クルチウス、ポルスブルックと江戸に到着。
            (その後、クルチウスとの交流あり。)
 6.1(安政5.4.20) 堀田備中守、京都から江戸へ戻る。(朝廷との交渉不調。)
           *(安政5.4.23) 井伊直弼、大老に就任。
 6.8(安政5.4.27) クルチウスを訪問。
(ヒュースケンの日記、この日で終る。以後、二年半、彼の書いたものはない。)
  ハリス、ヒュースケンとも、通商条約の締結において、オランダがアメリカを出し抜くのではないかという不安に苛まれていた時期である。


1858
 7.29(安政5.6.19) 日米修好通商条約の調印。
          (江戸湾小柴沖、米国軍艦パウハタン号上で。)
    *(安政5.7.6) 将軍家定没(35)。
    *(安政5.7.8) 幕府、外国奉行を設置。
    *(安政5.8.8) 家茂が将軍を継ぐ
 8.18(安政5.7.10) オランダと調印。
 8.19(安政5.7.11) ロシアと調印。
 8.26(安政5.7.18) イギリスと調印。
   ハリス、ヒュースケンにエルギン卿の手伝いをさせた。
 10(安政5.9.3) フランスと調印

    * 1858(安政5)~1859(安政6) 安政の大獄。
                 大老井伊直弼は、幕政批判者を徹底的に弾圧した。
1859 (27)
 6(安政6.5.27) ハリス、総領事から弁理公使になる。
          麻布善福寺を公使館とする。
 7.1(安政6.6.2) 条約の発効。神奈川(のち横浜)・長崎・箱館の開港。
   (安政6.6.4) 幕府、神奈川奉行を設置。
この年 横浜 英貿易商社ジャーディン・マジソン商会、支店を設立。「英一番館」。

    * 1860(安政7.3.3) 大老井伊直弼、江戸城桜田門外で斬殺される。

ヒュースケン、再び日記をつける。
ただし1961年1月1日(万延1.11.21)から1月8日(万延1.1.28)のうち、4日。

1861
 1.15(万延1.12.5) 夜9時頃。芝赤羽の古川端で襲撃される(翌未明の死亡)
            享年 28歳(と11ヶ月25日)。


(*1) 『本日、馬を一頭入手。十二万八千文(キャッシュ)以上。つまり二十七ドル四十一セントもするサラブレッドである。サラブレッド一頭にしては何という大金!このぶんならどうやらやってゆけそうだ。日本にきて、まず下男を雇った。こんどは馬持ちだ!この調子だと、自分の馬車を持って皇帝の一人娘に結婚を申込むことにもなりかねない。そうなると俺は植民地総督だ!ああ、ニューヨークよ!夕飯抜きで過ごした時代、危く野宿しそうになったことも度々だった。着古して光っている黒服。踵も爪先も風に吹かれていた靴。穴だらけのズボン。あれはみなどこへ行ってしまったか?ヒュースケン殿下をきて見てくれ!馬に乗って練り歩いているんだぜ。いや、とんでもない、貸馬なんぞであるものか!そりゃあつまらないあてこすりだ!諸君、彼は自分の馬に百五十フランという大金を払って―払わなくちゃならないのだが、それはどっちでも同じこと―自分で買った馬に乗っているんだぜ。』
(ヒュースケン、乗馬はあまり得意ではなく、初めはなんども落馬した。)

1832.1.20 オランダ アムステルダム生まれ。父親は商人。
        正式の名前はヘンリスク・コンラドゥス・ヨアンネス・ヒュースケン。
1853     21歳のとき、アメリカに移住をする決心をし、ニューヨークへ渡った。
1855     特命全権大使として日本に赴任するT.ハリスが、英語とオランダ語のできる
        通訳を求めていることを知り、これに応募して採用された。


ヒュースケン『日本日記』 青木枝朗・訳 校倉書房 1971.6.1発行
  たまにいく図書館で、目に入ったので借りたものです。
  昭和49.10.31購入、とスタンプがある。なんか年季がはいってるね。
Webで岩波文庫版が出てるのを知ったけれど、ぐるぐる廻る都内の大手書店の岩波コーナー
で見かけたことは一度もない。あれば、何らかの反応はしたはずだが。
だいたいが、興味・関心のある江戸関連の岩波文庫本は、どこの書店にも置いてない。
神田神保町の古書店街をぶらぶらするか。(?)
それより、なにより書籍をネット購入したことがない、っていうのは致命的な時代遅れ者!?



南麻布 光林寺


ヘンリー・ヒュースケンの墓碑


さらに、江戸検を意識すれば、ヒュースケンの葬儀 1861.1.18(万延1.12.8)の主な会葬者は、できるだけ記憶しておきたい。当時の幕府の、そして各国の主要な外交関係者、そのほとんどが参列しているのではないだろうか。
一番  新見豊前守
     村垣淡路守
     小栗豊後守
     高井丹波守
     滝川播磨守
     各人に長い供廻りと護衛がついた。
二番  アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、プロシアの弔旗。プロシアの水兵が捧載し、
     プロシアの水兵六名が護衛についた。
三番  プロシアフリゲート艦アルコナの軍楽隊。
四番  オランダ及びプロシア水兵の護衛。
五番  日本教区長アベ・ジラール師と外科医ルシウス氏。
六番  遺体。アメリカ国旗で包み、オランダ水兵八名で担う。
七番  喪主オランダ総領事ド・ウィト氏、ハリス氏。
八番  オールコック氏、ド・ベルコール氏、オイレンベルク伯爵、イギリス、フランス、プロシア
     各国公使。
九番  各国領事。
十番  各国代表部随員。
十一番 オランダ及びプロシア軍士官。
 「この葬儀に際して、プロシア使節オイレンベルク伯爵及び同代表部一同からひとかたならぬお世話を受けた。またとくにハイネ氏には葬儀万端をとりしきっていただいた。」(ハリス、国務省宛の報告書)


年表参考 『見る・読む・調べる 江戸時代年表』 監修・山本博文 小学館
       『江戸の外国公使館』 港区立郷土資料館


〇新見正興(豊前守・伊勢守)
〇村垣範正(淡路守)
〇小栗忠順(豊後守・上野介)(おぐり ただまさ)
〇高井丹波守
〇滝川具拳・三郎四郎(播磨守)(たきがわ ともあき)



都営地下鉄 江戸検クイズラリー4 増上寺と芝神明

2010-09-20 | 江戸検定
都営地下鉄で巡る幕末の江戸
江戸検クイズラリー

[問]に答えるべく、訪れたところ。
問7 増上寺・徳川家霊廟
問1 都営地下鉄・五反田駅
解答を先にして、寄ったつもりになってしまった、のは。
問8 都営・三田駅 西郷隆盛・勝海舟会見の地
    「幕末当時の薩摩藩屋敷の周りはどんな様子?」
    1.裏は砂浜。 2.東海道の沿道で旅籠が密集。 3.辺り一面はイモ畑。
 

なんか気になる東京タワー。「三丁目の夕日」みたいになっていたので、ここに字を入れた。

増上寺 (浄土宗)


問7 徳川家廟所

廟所前、年内は整備工事とのこと。案内板のある所までは行けなかった。
したがって、問には自力で答える。
 「増上寺にお墓があるのは誰でしょう? 」
  1.家定の正室・篤姫 2.家茂の正室・和宮 3.慶喜の正室・美加


すこし寄り道。
江戸時代の増上寺と芝神明は1セット(?)
芝 江戸の盛り場としてのにぎわいは、ただただ頭の中で思い浮かべるのみ。
江戸検に出たか、出てないか「め組の喧嘩」(文化2年2月 1805年3月)はここだね。
ただし、歌舞伎の演目『神明恵和合取組(かみのめぐみ わごうのとりくみ)』(め組の喧嘩)は明治23年(1890)3月、新富座での初演です。





芝大神宮



芝大神宮だらだら祭り (しょうが祭り) 9/11~21


都営浅草線・五反田駅へ。
問1


問題に答えて、全10問、完了!! (なんかラリーのまわり順が不規則でしたね。)
さっそく駅長事務室へ。参加記念品を貰おーっと。

クイズラリー参加記念品
オリジナル 幕末維新千社札シール



全問を答えたので、最後に、添付のハガキを
江戸検クイズラリー ダブルチャンスプレゼント係宛に送ろう。
何か当るといいなあ。

(おわり)



都営地下鉄 江戸検クイズラリー3 浅草散歩

2010-09-19 | 江戸検定
都営地下鉄で巡る幕末の江戸
江戸検クイズラリー

隅田川の対岸は浅草だ。
本所吾妻橋駅に戻って、ひたすらクイズラリー、では芸がない。
夕暮れの浅草を散歩することにした。
アサヒビールのビルを横目に、親水テラスから歩いて吾妻橋を渡る。

浅草に来ると、まず「神谷バー」の看板に目がいってしまう。


今回は明治通りをぶらぶら歩き、言問通りを左にまがって裏手「ひさご通り」から。

浅草寺。








宝蔵門(仁王門) 大提灯に『小舟町』。江戸検の設問に出たことあるのかな?


仲見世 人通りがちょっと途切れたところ。


雷門から外へ。


もう一回、「神谷バー」のネオン。



「ドトール」で小休憩。都営浅草線・浅草駅から新橋駅へと移動。
問2



大門駅へ移動。もう暗くなっているが、この際だ。
増上寺・徳川家廟所 (問7) の横を通って、東京タワーまで歩いて行こう!!
そう。このブログは、ちょうど半年前、東京タワーから始まった!!
展望台からの夜景はどうだ。
と、気持ちは前向きだったが、増上寺の門前あたりで空から雨粒がポツリ、ポツリ。
昨晩の雷雨を思い出す。カサは持ってないし、そもそも今日の夜景はダメだな。
今度は一気に後ろ向き。
今日はここまで。あらためて出直そう。










(つづく) 次回でおわるはずだが。