かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

法華三部経 科段

2014-04-09 | 法華経入門

無量義経 一巻 (開経)
妙法蓮華経 八巻
仏説観普賢菩薩行法経 一巻 (結経)
 十巻三段(開経・結経を除く場合は一経三段)

序分(じょぶん)
 無量義経 (開経) 徳行品第一・説法品第二・十功徳品第三
 妙法蓮華経 序品第一
正宗分(しょうしゅうぶん)
 妙法蓮華経 方便品第二から分別功徳品第十七の前半まで
流通分(るつうぶん)
 妙法蓮華経 分別功徳品第十七の後半から普賢菩薩勧発品第二十八
 仏説観普賢菩薩行法経 (結経)

妙法蓮華経(八巻) 二門(経)六段
迹門 迹門三段
 序分 序品第一
 正宗分 方便品第二から授学無学人記品第九まで
 流通分 法師品第十から安楽行品第十四まで
本門 本門三段
 序分 従地涌出品第十五の前半
 正宗分 従地涌出品第十五の後半から分別功徳品第十七の前半まで
 流通分 分別功徳品第十七の後半から普賢菩薩勧発品第二十八まで

迹門三段 正宗分
 略して三を開して一を顕す 方便品第二
 広く三を開して一を顕す
  法説周(正説・領解・述成・授記) 正説 方便品第二
   領解・述成・授記、譬説周(正説) 譬喩品第三
  譬説周(正説・領解・述成・授記)
   領解 信解品第四、述成 薬草喩品第五、授記 授記品第六
  因縁周(正説・領解・述成・授記) 正説 化城喩品第七
   領解・述成・授記 五百弟子受記品第八・授学無学人記品第九
迹門三段 流通分
 弘経の功深く福重し命じて流通を勧む 法師品第十・見宝塔品第十一
 往(むかし)を挙げて今を勧め流通せしむる 提婆達多品第十二
 他方此土(たほうしど)流通を勧進する 勧持品第十三
 初心の方法危苦を慮(おもんばか)らず 安楽行品第十四

本門三段 正宗分
 略して近を開して遠を顕す 従地涌出品第十五
 広く近を開して遠を顕す
  正しく近を開し遠を顕す 如来寿量品第十六
  総じて法身の記を授く 分別功徳品第十七
  総じて領解を申(の)ぶ  〃
本門三段 流通分
 功徳流通
  初品の因の功徳 (分別功徳品第十七)・随喜功徳品第十八
  初品の果の功徳 法師功徳品第十九
  信毀の罪福 常不軽菩薩品第二十
 付嘱流通
  嘱類流通 如来神力品第二十一・嘱類品第二十二
  化他流通
   苦行 薬王菩薩本事品第二十三
   三昧 妙音菩薩品第二十四・観世音菩薩普門品第二十五
   総持 陀羅尼品第二十六
   誓願 妙荘厳王本事品第二十七
  自行流通
   神通 普賢菩薩勧発品第二十八


『妙法蓮華経』一部八巻二十八品
[巻 第一]
序品 第一
方便品 第二
[巻 第二]
譬喩品 第三
信解品 第四
[巻 第三]
薬草喩品 第五
授記品 第六
化城喩品 第七
[巻 第四]
五百弟子受記品 第八
授学無学人記品 第九
法師品 第十
見宝塔品 第十一
[巻 第五]
提婆達多品 第十二
勧持品 第十三
安楽行品 第十四
従地涌出品 第十五
[巻 第六]
如来寿量品 第十六
分別功徳品 第十七
随喜功徳品 第十八
法師功徳品 第十九
[巻 第七]
常不軽菩薩品 第二十
如来神力品 第二十一
嘱類品 第二十二
薬王菩薩本事品 第二十三
妙音菩薩品 第二十四
[巻 第八]
観世音菩薩普門品 第二十五
陀羅尼品 第二十六
妙荘厳王本事品 第二十七
普賢菩薩勧発品 第二十八



〇科段 区分け


2014.04.08
平成26年度第1回の授業「法華経概論」(北川前肇先生)で配られた資料の一つを復習がてらアレンジしてみました。
北川先生から法華経について学べることに感謝感激です。




日蓮のことば

2014-04-08 | その他

○ 虚空蔵菩薩に願を立て云く。日本第一の智者となし給へと云云。
 「善無畏三蔵鈔」 1270(文永7年)

○ 我等衆生も則釈迦如来の御舎利也。
 「戒体即身成仏義」 1241(仁治3年) 21

○ 我日本の柱とならむ。我日本の眼目とならむ。我日本の大船とならむ。
 『開目抄』 1271(文永9年)

○ 旅客来りて嘆いて曰く。近年より今日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘(えきれい)、遍く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。
○ 世、皆、正(しょう)に背き、人悉く悪に帰す。故に善神、国を捨て相去り、聖人、所を辞して還らず。
○ 蒼蠅、驥尾(きび)に附いて万里を渡り、碧蘿(へきら)、松頭に懸りて千尋を延ぶ。
○ 汝、早く信仰之寸心を改めて速に実乗之一善に帰せよ。
 『立正安国論』 1260(文応元年7月)

○ 我とはげみて菩提心を発(おこ)して、後世を願ふといへども、自ら思ひ出し十二時(とき)の間に一時二時こそははげみ候へ。是は思ひ出さぬにも御経をよみ、読ざるにも法華経を行ずるにて候か。
 「四恩鈔」 1261(弘長元年) 伊豆

○ 大海に衆流入る、されども大海は河の水を押し返す事ありや。
 「椎地四郎殿御書」 1261(弘長元年)

○ 謗法の者に向ては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんがためなり。
 『教機時国鈔』 1262(弘長2年) 伊豆

○ 我等衆生無始よりこのかた生死(しょうじ)海の中にありしが、法華経の行者となりて無始色心本是理性(もとこれりしょう)、妙境妙智金剛不滅の仏身とならん事、あにかの仏にかわるべきや。
 「船守弥三郎許御書」

○ 夫れ仏道に入る根本は信をもって本(もと)とす。
○ 仏と申すは正直を本(もと)とす。
 「法華題目抄」 1266(文永3年1月) 於清澄寺
 日蓮母妙連尼、伯母、光日尼、領家の尼などの女性宛て。

○ 念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為(そい)、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と云云。
  「十一通御書」(総称)の一通。その中の一節。
 「与建長寺道隆書」 1268(文永5年10月)

○ 少しも妻子眷族を憶ふことなかれ。権威を恐るゝことなかれ。今度(このたび)生死之縛を切て仏果を遂げしめ給へ。
 「弟子檀那中御書」書簡 1268(文永5年)

○ 月はかけてみち、しを(潮)はひ(干)てみつ事疑なし。此も罰あり必徳あるべし。
  下総・富木常忍への手紙。
 「土木殿御返事」書簡 相模依智 1271(文永8年)

○ 相州たつのくちこそ日蓮が命を捨たる処なれ。仏土におとる(劣)べしや。其故はすでに法華経の故なるがゆへなり。
 「四条金吾殿御消息」書簡 相模依智 1271(文永8年)

○ これより大海をわたりて佐渡の国に至らんと欲す。順風定まらざれば、その期を知らず。
 「寺泊御書」書簡 越後寺泊 1271(文永8年10月)
  富木常忍への手紙。寺泊で帰した富木常忍配下の者に託した。

○ 天もすて給へ、諸難にもあへ、身命を期(ご)とせん。
○ 日蓮なくば誰おか法華経の行者として仏語をたすけん。
○ 一切経の中に此寿量品ましまさずば「天に日月無く国に大王無く山河に珠無く」人に神(たましい)なからんがごとくしてあるべき。
○ 我無始よりこのかた悪王と生て、法華経の行者の衣食田畠等を奪とりせしことかずしらず。当世日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし。
○ 夫(それ)一切衆生の尊敬すべき者三あり。所謂(いわゆる)主・師・親これなり。
○ 龍女(りゅうにょ)が成仏此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。
○ 一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。
 『開目抄』 1272(文永9年) 佐渡・塚原 人開顕の書


○ 日蓮弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思を成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱奉る処を、生死(しょうじ)一大事の血脈(けちみゃく)とは云也。
 「生死一大事血脈鈔」 1272(文永9年) 佐渡島内・最蓮房宛

○ 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。
○ 一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、五字の内に此の珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸(くび)に懸さしめたまふ。
● 天晴地明 識法花者可得世法歟
● 不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裏此珠 令懸末代幼稚頸
 『観心本尊抄』 1273(文永10年4月) 佐渡・一谷(いちのさわ)
  正式名『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』 法開顕の書

○ 鳥と虫は鳴けどもなみだをちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし。
 「諸法実相鈔」 1273(文永10年) 佐渡島内・最蓮房宛

○ 極寒の時は厚き衣は用也。極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用也。冬はなにかせん。仏法も亦復是の如し。
 「如説修行鈔」(随身不離鈔) 1273(文永10年)

○ 日蓮こい(恋)しくをはせば、常に出る日、ゆうべにいづる月ををがませ給。
 「国府尼御前御書」 1274(文永11年) 身延から佐渡の信徒へ

○ 相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆達多よ。
○ 各各我弟子となのらん人々は一人もをくしをもはるべからず。をやををもひ、めこををもひ、所領をかへりみることなかれ。
○ 眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱へ、夜は月星に向かひ奉て諸宗の違目と法華経の深義を談ずる程に、年もかへりぬ。
○ 弓箭をとる者はをゝやけの大事にあひて所領をも給はり候をこそ。田畠をつくるとは申也。
 「種種御振舞御書」 1275(文永12年)頃

○ 夫(それ)仏法を学せん法は必ず先(ま)づ時をならふべし。
 『撰時鈔』 1275(建治元年6月) 法華仏教史

○ 命と申す物は一身第一の珍宝也。一日なりともこれを延ぶるならば千万両の金(こがね)にもすぎたり。  「可延定業御書」 1275(建治元年) 富木常忍妻宛て

○ 吹風、立つくもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立てみるなり。  「光日房御書」 1276(建治2年3月) 安房天津の信徒へ

○ ねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱る也。所詮よき事にや候らん、又悪事にや侍(はんべ)るらん、我もしらず、人もわきまへがたき歟(か)。  「妙密上人御消息」 1276(建治2年閏3月) 身延より鎌倉の外護者宛て

○ 日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。
● されば花は根にかへり、真味は土にとどまる。
 『報恩抄』 1276(建治2年) 清澄山の法兄、浄顕・義城宛て

○ 日蓮は日月の御ためには、をそらくは大事の御かたきなり。
 「妙一女御返事」 1280(弘安3年)

○ 彼(かの)月氏(がつし)の霊鷲山は本朝此身延の嶺(みね)也。
 「南條兵衛七郎殿御返事」 1281(弘安4年)

○ いづくにて死候とも、はかをばみのぶさわにせさせ候べく候。
 「波木井殿御報」 1282(弘安5年9月) 南部実長宛て

○ 北には身延の嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき……
天竺の霊山此処に来たれり、唐土の天台山まのあたりここに見る。我が身は釈迦仏にあらず天台大師にてはなけれども、昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり。天台山に異ならず。
 「松野殿女房御返事」 1279(弘安2年)



参考書
『仏典を知る 日蓮の世界』監修山折哲雄 佼成出版社
『日蓮 久遠のいのち』(別冊太陽 日本のこころ―206)
  監修 渡邉寶陽・中尾堯 平凡社


追記
上記は「日蓮検定」受検(3級・2級)の学習メモです。
結果は両級とも100点満点に数点足りぬ、というところでした。「日蓮検定」の運営には思うところがあるのですが、愚痴になりそうなのでやめときます。




写真 池上本門寺の笹部桜

2014-04-04 | 池上本門寺






  笹部桜 (ササベザクラ)
カスミザクラとオオシマザクラ系サトザクラの交配品種

 笹部新太郎翁 (明治二十年~昭和五十四年)
笹部新太郎翁は大阪市北区生まれ。
桜一筋に人生を貫き、九十一年の生涯の大半を日本古来の山桜や里桜などの保護育成のために捧げた。大阪造幣局の桜、岐阜県御母衣の荘川桜の移植などを手がけている。
昭和三十五年、自宅の庭に珍しい桜が芽生えた。この若木に愛情を注いで丹精し、やがて昭和六十年に新品種として「笹部ざくら」と命名された。
関東では、昭和天皇在位六十年記念として皇居吹上御所に五本献納され、当山(本門寺)には平成三年に寄贈された。『吉野桜が木綿ならば、笹部桜は絹である』と高く評価されている、大変珍しく美しい桜である。
    案内板より