かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

松島 瑞巌寺・五大堂より

2012-09-11 | 東北・宮城・仙台



 妙法蓮華經(経)三部石(百?)冩(写)供□塔
  天童文應襌(禅)□□□
由緒ありそうな石碑ですが、読めず、調べられずです。(残念)



  五大堂縁起
 平安時代初期の八〇七年
坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、八ニ八年、慈覚大師が瑞巌寺の前身・松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂と呼ぶようになった
 現在の建物は一六〇四年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に匂欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王像を安置する。
 有名な蟇股の彫刻など、雄健桃山建築として、国重要文化財指定されている。
                                        瑞巌寺
                                          (案内板より)











検索中に出会ったHP 『松島塾 松島を愛する人のための教科書』、その中の「松島寺滅亡記」に釘付け(夢中)になってしまった。歴史物語と歴史的な事実、考えさせられる事が山と積まれています。

現在の瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の禅宗寺院(松島青龍山瑞巌円福禅寺)である。が、その昔は松島寺(青龍山延福寺)と呼ばれ、天台宗の古刹であり、修験道の寺でもあったという。それが鎌倉期に宗派が変わった(臨済宗建長寺派・円福寺)。その間の事情を、歴史物語として詳述されていますが、ここにも執権・北条時頼の名が出てくるのには参りましたです、ね。



記) 東日本大震災について
松島海岸は、湾内の島々が緩衝地となったので、津波での被害は比較的軽かったようです。



仙台 光明山 孝勝寺 ~伊達家一門格の寺~

2012-09-09 | 東北・宮城・仙台
光明山 孝勝寺  日蓮宗 本山(由緒寺院)

宮城県仙台市宮城野区榴岡4-11-11
JR仙台駅・東口 徒歩10分

創建 1295年(永仁3年)
開山 日門上人
寺号の変遷  大仙寺、全勝寺、善勝寺、孝勝寺








政岡(三沢初子)の像

釈迦堂 (仙台市登録有形文化財)

元禄8年(1695)、榴岡に建立。戦後、孝勝寺境内に移転。

釈迦堂・案内板

亀千代丸像
(のちの仙台藩四代藩主・伊達綱村)

光明山孝勝寺 歴代墓所




光明稲荷神社 孝勝寺の山号名の由来



躑躅岡 釈迦堂碑
榴岡公園の裏手、現・宮城県公文書館の敷地内



   躑躅岡釈迦堂碑(つつじがおか しゃかどうひ)
 仙台藩第四代藩主の伊達綱村公が、生母である三沢初子の没後十年目にあたる元禄八年(一六九五年)に、□□冥福を祈るため母が生前護持していた釈迦堂を祀る仏堂(躑躅岡釈迦堂)とともに、自ら碑文を起草した石碑を建立した。
 碑には 母の意志により釈迦堂を建立したこと、また釈迦堂に参詣する人々に対する「母の慈仁の志」や「子の誠孝の意」といった親子としてのあるべき道が説かれている。
 釈迦堂は、宮城野区榴岡四丁目の「孝勝寺」に移された。






福島県 会津鉄道 会津若松から会津田島へ

2011-08-06 | 東北・宮城・仙台




JR会津若松駅
行き先表示を見ると、磐越西線・上り 猪苗代・郡山方面、下り 喜多方・新津方面。只見線・下り 会津坂下・只見方面。会津鉄道・下り 湯野上温泉・会津田島方面と、3つの路線が発着している。


只見線の発車時刻表、小出行きはと見ると、なんと1日に3本のみ!! しかも13時10分発が出たあとだった。その次は17時01分。楽しみにしていた只見沿線の景色はあきらめた。
(思いつき、列車時刻表なしの在来線の旅はきびしい。あたりまえ、か。)




会津鉄道の電車に乗って、懐かしの会津田島をめざすことにした。



会津大川(阿賀川)。ずーっと下ってから阿賀野川となる。


湯野上温泉駅
東山温泉に芦ノ牧温泉・・・どこも行ったことがない。



会津下郷駅

会津田島


会津田島駅
記憶のなかの駅舎は木造だったような・・・


駅前通り


昔むかし、両親とともに泊まった旅館(商人宿風、名を失念)。

丸山館
南会津での仕事では、ここも何度となく泊まった。







祇園会館






熊野神社 田出宇賀神社
福島県南会津郡南会津町田島字宮本甲629



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さらに鬼怒川温泉をめざす。


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 国指定重要無形民俗文化財
 「田島祇園祭お党屋行事」保持
    田出宇賀神社
由 緒
社伝、口碑、新篇会津風土記等の伝えによれば、当地 田島は「日ノ町」と呼ばれ、その頃田の中に小島あり、その中の泉から神が出現し給い、町の名を「田島」と改めたと言い伝えられる。
この田ノ神を「宇迦之御魂命」と崇め田出宇賀大明神と称して町の鎮守の神と奉斎し、のちに当地方「南山八郷」の総鎮守とも称された。
当社 祇園祭の由来は、文治年中(約八百年前)此の地は鎌倉幕府の長臣 長沼五郎宗政の領地となり、領主の尊信する祇園信仰により招来されたものである。
居城鴫島城の出城、宮本館の現在の宮地に、総鎮守と共に祇園の祭神、須佐之男命(牛頭天王)を奉斎し、祭儀の格例、神輿渡御の儀を定め、その行列には家士を供奉せしめ、四天王家の一ツと称せられた室井氏を以って 祭祀を司らしめた。
尓来慶長、文政、明治と時代の変遷に従って その格例を祥細に改め、明治十二年より同所に祀る熊野神社の祭礼も同日に併せて行なわれることとなり 現在に至った。
祇園祭の神事は総て氏子の「党屋組」を以って行なはれるが、特に「七行器(ナナホカイ)」と呼ばれる 神餅奉献の行列 町内四台の「屋台」の運行、その舞台で演ぜられる 歌舞伎、神酒の「濁酒(ドブロク)」、古風な祭料理献立は有名である 古式の党屋制度と特殊行事を保持する故を以って、昭和五十六年に、国の重要無形民俗文化財に指定された。五穀豊穣、悪疫消除、家運繁昌、縁結びの祭の縁起を有し「富貴祭(フキマツリ)」とも呼ばれている。
祭 神
 宇迦之御魂命 (食物、農耕の守り神)
 天照大孁命   (天照大神、万物生成の源の神)
 須佐之男命   (祇園祭の祭神 疫難消除の守り神)
 和久産霊命   (右三神の和かな神徳の総称)
祭 日
 祈年祭  三月一日
 例  祭  七月二十二日
 祇園祭  七月二十三日
 新嘗祭  十二月一日


〇会津田島 祇園祭  7月22・23・24日
〇田島祇園祭おとうや行事  国指定 重要無形民俗文化財