極楽寺
神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7
極楽寺
宗派 真言律宗
山号寺号 霊鷲山感応院極楽律寺
建立 正元元年(1259)
開山 忍性菩薩
開基 北条重時
開山は良観房忍性。奈良西大寺叡尊門下で戒律を学ぶ。弘長2年(1262)に北条業時(ほうじょう・なりとき)に招かれて多宝寺住持となり、その後文永四年(1267)に極楽寺に開山として迎えられました。
極楽寺は正元元年(1259)深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地移転したといわれています。元寇に際しては、幕府の命により異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後も勅命により国家安泰を祈る勅願所としての寺格を保ちました。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲むように多くの支院、そして療病院などの病院施設もあったことが当寺に伝わる絵図からわかります。
鎌倉市
鎌倉における六老・日昭上人の業績を忘れてはならない。
(と、思っています。)
日昭尊者濱土法華堂霊跡
當山ハ宗祖嫡弟六老僧第一大成辨阿闍梨日昭尊者潜居の地
宗祖佐渡流竄後門下僧俗を統一したる濱土法華堂(祖滅後法華寺と称す)
乃霊跡にて玉澤妙法華寺の旧地也 傳つ 工藤佑経邸趾と云ふ
御廟 裏山の麓にあり往古ハ峯の岩屋ニ有しを元禄三年現所ニ移せり
弘延山 實相寺
日昭上人 墓塔
弘延山 実相寺 (日蓮宗)
神奈川県鎌倉市材木座4-3-13
創建 1284年(弘安7年)
開山 日昭上人
開基 風間信濃守信昭
文永8年(1271)、鎌倉・浜土(玉沢)の法華堂がはじまり。(日昭上人の庵室)
弘安7年(1284)、法華寺とする。
天文7年(1538)、戦乱により越後村田の妙法寺へ避難(風間氏の領地)。
文禄3年(1594)、伊豆加殿・妙国寺に避難。
(この頃、養珠院お万の方は、伊豆・加殿(修善寺)、中伊豆各地に隠れ住んでいた。)
元和7年(1621)、伊豆・大木沢(現、玉沢)に移転する。
同年、旧地浜土(現、材木座)には実相寺と改称して再建(日潤上人)された。
(と、思っています。)
日昭尊者濱土法華堂霊跡
當山ハ宗祖嫡弟六老僧第一大成辨阿闍梨日昭尊者潜居の地
宗祖佐渡流竄後門下僧俗を統一したる濱土法華堂(祖滅後法華寺と称す)
乃霊跡にて玉澤妙法華寺の旧地也 傳つ 工藤佑経邸趾と云ふ
御廟 裏山の麓にあり往古ハ峯の岩屋ニ有しを元禄三年現所ニ移せり
弘延山 實相寺
日昭上人 墓塔
弘延山 実相寺 (日蓮宗)
神奈川県鎌倉市材木座4-3-13
創建 1284年(弘安7年)
開山 日昭上人
開基 風間信濃守信昭
文永8年(1271)、鎌倉・浜土(玉沢)の法華堂がはじまり。(日昭上人の庵室)
弘安7年(1284)、法華寺とする。
天文7年(1538)、戦乱により越後村田の妙法寺へ避難(風間氏の領地)。
文禄3年(1594)、伊豆加殿・妙国寺に避難。
(この頃、養珠院お万の方は、伊豆・加殿(修善寺)、中伊豆各地に隠れ住んでいた。)
元和7年(1621)、伊豆・大木沢(現、玉沢)に移転する。
同年、旧地浜土(現、材木座)には実相寺と改称して再建(日潤上人)された。