長岡訪問で、今、いちばん立ち寄りたかった所はここでした。
長岡市立 中央図書館
新潟県長岡市学校町1-2-2 JR長岡駅より徒歩15分
バス 長岡駅東口から悠久山線(2番線)乗車、「学校町1丁目」下車
東京在で長岡とは離れていても、今はネットがあるので HP 『長岡市立図書館』は、よく見ています。「資料の検索>資料一覧」もおおいに利用させてもらってます。
でもネット上のことと、現地で実物を見るのとでは違います。
長岡市双書を読む会、読み聞かせボランティア養成講座、があったりしてうらやましい。長岡の郷土史・人物伝についての調べ物については、すべて間に合うというような図書館でした。
もちろん興味・関心は杉本鉞子(さん)と稲垣平助家のこと。
『武士の娘』から、『A Daughter of the Samurai 』へ。その他の著作も。そして館内保管庫からは、稲垣平助の『誌禄』(日記・資料)。残念ながら、今は原文をなぞるのみで読み込む力がない。
栄凉寺(浄土宗)・河井継之助
新潟県長岡市東神田3-5-6
個人的には、いいかげんパスしたい継之助。そういうわけにもいかないか。
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河井家・河井継之助の墓地
河井継之助の墓
文政十年(1827)一月一日、長岡城下同心町(表町)に生まれた。幼少から文武にいそしみ、主に陽明学を修めた。
河井家の禄高は、百二十石であったが、その才能を認められて長岡藩政を指導し、のちに家老上席、軍事総督となった。
北越戊辰戦争では、新政府軍との小千谷談判にのぞみ、意見が通らず開戦となった。長岡城攻防戦では、よく奮闘してその名を高めた。長岡城を奪還した際、傷を負、 慶応四年(1868)八月十六日会津塩沢で陣没した。
長岡市教育委員会
リンク 栄凉寺 前回の訪問(冬)
長興寺(曹洞宗)・稲垣平助
新潟県長岡市稽古町1636
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ff/69b03f1cefee175e4fa63c6afe680312.jpg)
稲垣平助家の墓地
稲垣平助の墓
長岡藩筆頭家老の稲垣家は、藩主牧野候の三河(現在の愛知県)在住以来、随従して苦労をともにし、藩主をよく補佐した。長興寺は、稲垣家によって興された。
代々平助を通称とし、家禄は幕末期で二千石であった。
幕末の平助重光は、北越戊辰戦争の際、勤皇恭順説を唱え、藩中に孤立した。その六女鉞子(えつこ)は、アメリカに渡り「武士の娘」などを著した。
長岡市教育委員会
リンク 長興寺 前回の訪問(冬)