かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

奥絵師・江戸狩野派の成立 探幽三兄弟のおさらい

2014-03-06 | 池上本門寺の歴史

狩野探幽(かのう・たんゆう) 探幽守信。玄徳院殿前法眼守信日道。
1602~1674 (慶長7~延宝2年) 京都生まれ。狩野孝信の長男。
徳川幕府御用絵師。鍛冶橋狩野家祖。
今に残る探幽の障壁画・屏風絵の大半は、重要文化財・重要美術品である。

狩野尚信(かのう・なおのぶ) 主馬尚信。圓心院實諦日徳。
1607~1650 (慶長12~慶安3年) 京都生まれ。孝信の次男。
竹川町に屋敷を拝領。木挽町狩野家祖。子に狩野常信。
 重要文化財「松図襖・壁貼付」寛永3年(1626)
 元二条城二の丸御殿・黒書院三の間のもの。(尚信20歳)
 (この時探幽は大広間の障壁画を担当。)

狩野安信(かのう・やすのぶ) 永眞安信。長源院殿法眼永眞。
1614~1685 (慶長18~貞享2年) 孝信の三男。
中橋に屋敷を拝領。中橋狩野家祖(狩野家宗家)。
狩野宗家の狩野貞信(狩野光信の長男)に養子として入り惣領家を嗣いだ。

狩野探幽・尚信・安信の三兄弟は狩野永徳の孫にあたる。
この時期、活動の拠点を京都から江戸に移し、徳川幕府の御用を勤めた。


墓所 池上本門寺
狩野探幽(守信) 多宝塔に向かって左手前。瓢箪(ひょうたん)墓。
狩野尚信  多宝塔に向かって右側。
狩野安信  多宝塔に向かって右側。
狩野常信(木挽町2代) 五重塔の隣(北西側)
 


〇板橋区立美術館
「江戸文化シリーズNo.29 狩野3兄弟 ~狩野探幽・尚信・安信~」
開催中 2014年3月30日まで
*ギャラリートークで学芸員・佐々木英理子さんから各絵の解説がありました。初々しい佐々木さん、着実に狩野派絵画の専門家としてのキャリアを積んでいる、と感じました。







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