かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺めぐり 紀州徳川家墓所・他

2013-08-25 | 池上本門寺・池上市民大学
2013年8月

紀州徳川家墓所の前で熱弁をふるう池上本門寺公式ボランティアガイドの山崎さん。そして「本門寺めぐり」参加のみなさん。

今日は「池上市民大学」の開校日。
その前段として、午前中に「池上本門寺めぐり」(予約不要・無料)がありました。
朗子会館に集合。参加者は数十人。まずは今日歩くコースの座学。
朗子会館を出て総門前を通り、大坊(本行寺)方面へ向かう。多宝塔の前を通って右手後ろ石段を上って「紀州徳川家墓所」へ(山崎さんの説明と、檜山さんの詩吟朗詠)。そのあと、さらに石段を上って歴代墓所・池上宗仲公夫妻の墓所へ。左へ転じて「三日月藩 森家墓所」へ(ここでは宮内さんの解説あり)。正面の石段を下りて大坊・本行寺というコースでした。
(この日はやたら蒸し暑く、ヤブ蚊にもさされながらの寺めぐり。参加されたみなさま、おつかれさまでした。)




池上本門寺めぐり・妙見堂周辺の紫陽花(アジサイ) 2013

2013-06-16 | 池上本門寺・池上市民大学
2013.06.15(土)
すこし賑やかしになってきましたが、大田観光協会・大田区まち歩きネットワークとタイアップしたイベント「池上本門寺めぐり」です。
池上・朗子会館に集合。本日の参加者はざっと見たところ40名くらい。観光協会の女性職員さんもPRのためにきてました。座学のあと、外に出て妙見坂から妙見堂へとむかいました。
今が見頃の紫陽花(アジサイ) 観賞会。








池上・妙見堂



池上本門寺公式ガイドの市川さんより、アジサイについて細やかな解説。


檜山さんから万葉集のなかの紫陽花(あじさい)についてのお話と、詩吟朗詠。


檜山さんが説明用に配布した資料です。(画像を拡大してみてください)




























万両塚 (芳心院墓所)

こちらは、池上本門寺公式ガイドの山崎さんより元気のよい説明がありました。



池上市民大学(池上本門寺) 7期・第8回の講座

2013-05-26 | 池上本門寺・池上市民大学
ひさしぶりのレポートです。

2013.5.25(土)
池上市民大学 7期・第8回講座
参加してきました。内容盛り沢山、とりあえず目次を書き出してのおさらいです。

於「長栄の間」 (本院)
■ 仏教の話 「仏さまにお香を供養すること」
 講師 池上市民大学・クラス副担任・岡本先生
 読経と唱題。
 仏さまへの供え香、全般のお話。
栴檀(白檀)香、沈水香、迦羅香の薫りをかいで、お香を焚いた中でのお話でした。
お香による供養、ということでした。
普段はあまり意識してないお香。そしてお線香の事にも考えさせられました。
■ 池上本門寺の歴史 「池上本門寺の守護神信仰」
 講師 霊寶殿学芸員・安藤先生
・江戸時代、庶民の「現世利益」信仰の流れに乗って発展していった。(神仏習合)
・ご祈祷を主とするお堂である。
・けれども明治の神仏分離・廃仏毀釈により、多くは廃れていった。
 しかしながら、残るものは残った。
『新編武蔵風土記稿』(1810年起稿、1830年完成) にみる池上本門寺の守護神
番神堂 かなり古くからあった。何回かの焼失・再建を繰り返し明治の廃仏毀釈で没
常唱堂 元禄年中の造立。後世、故あって日朝聖人を祀る場として兼用する。
鬼子母神堂 これも古くからあった。何回かの焼失・再興を繰り返す。
    現在のお堂は、昭和初期に山内・厳定院別院として総門手前に建立された。
七面堂 江戸時代中期の勧請。現在はない。
大黒堂 江戸時代中・後期の造立。現在は長栄堂に祀らる。
長栄稲荷社 もとは鐘楼下の稲荷社。のち山内を守る長栄大威徳天のお堂となる。
鎮守堂 江戸初期、妙見大士を祀る。現在の妙見堂。
(最も賑わった「清正公堂」の造立は文政年間ではあるが、「武蔵風土記」出版も同じ頃のため、掲載はされていない。戦災による焼失後、再建されず。)

池上本門寺の境内と周辺
■ お堂巡り
案内・解説 安藤先生 引率 クラス担任・吉田ご住職(池上永寿院)
 ● 本院・松涛の間 加藤清正坐像の拝観
前にも書きましたが「松涛の間」は知っているかぎり最上位のお部屋の一つと思われます。
本門寺関係以外では、法事を行う方ぐらいで、一般の人が入れる機会は、そうはないでしょう。
以下は、いづれも堂内に上がっての拝観でした。初めてです。(貴重な体験!)
 ● 長栄堂 長栄大威徳天像、大黒天像
 ● 妙見堂 妙見菩薩立像
 ● 常唱堂(日朝堂) 日朝聖人像
■ 霊寶殿 見学
復歴十六世長遠院日樹聖人の御遺宝を中心にした展示。安藤学芸員の解説付き。


記)
池上市民大学については、毎回、詳しいレポートを書いている、お若い女性受講生がいます。
こちらは「ま、いいか」ということでしたが、今回、安藤さんの「池上本門寺の守護神信仰」が入りましたので、備忘録代わりに載せました。
午前中には「池上本門寺めぐり」があり、ガイドの市川さん、山崎さん、参加者30名位(?)の後ろにくっついて歩きました。今日は、主として「歴代聖人御廟所」(檜山さんの詩吟付き)と「多宝塔」でした。

午後からの「池上市民大学」と、すぐ隣、池上實相寺さんでの寺子屋池上・宗教講座 『零(ぜろ)からの法華経』(講師・正木先生)が重なりました。当初、寺子屋池上を優先にと思っていたのですが、お知らせハガキ、学芸員・安藤さんの長栄堂他のお堂案内、を見て変更。
「法華経」のほうは、始まったばかりなので、なんとかなるでしょう。(??)




池上本門寺 「深徳院墓所」調査現場の見学会

2012-08-03 | 池上本門寺・池上市民大学
2012.07.31
池上本門寺・「池上市民大学」の野外講座です。
「深徳院墓所」調査現場の見学会に参加してきました。

深徳院についてのおさらい
紀州藩第5代藩主・徳川吉宗(のち徳川8代将軍)の側室。第9代将軍・徳川家重の生母。
俗名は大久保氏、須磨(須摩)。家重は江戸赤坂の紀州藩邸で生まれた。
戒名は深徳院妙順日喜大姉。











案内は、池上市民大学・クラス担任の吉田先生(山内寺院、池上・永寿院のご住職)です。





池上本門寺・霊宝殿の学芸員、本間さんから今回の発掘調査についての説明がありました。

明日以降は、墓所の周りをシートで覆ったうえでの発掘作業に入るそうなので、一般の人は見学できない、とのことでした。
発掘作業の途中経過は、報告会として池上市民大学の講座でも取り上げる予定とのことです。



こちらは五重塔の裏手奥。弥生住居跡、古墳の発掘作業が行われており、担当の方からの説明をお聞ききしました。




貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

例によって追記
「深徳院」の読み―(しんとくいん)ではなく、(じんとくいん)と言ってました。その場では聞き流してしまったのですが、後から気になってきました。確認しないといけない。



池上本門寺 「深徳院墓所」調査現場の見学会(予定)

2012-07-31 | 池上本門寺・池上市民大学
最近は「池上市民大学」の記事を載せてませんでしたが、講座のお知らせハガキに、表題の「深徳院墓所」調査現場の見学会の案内が記されてました。これは行くしかない。

その前に、すこし予習をしておこうという次第です。
深徳院 1688年~1713年(元禄元年~正徳3年10月24日) 享年26歳
紀州藩第5代藩主・徳川吉宗(のち徳川8代将軍)の側室。第9代将軍・徳川家重の生母。
俗名は大久保氏、須磨(須摩)。家重は江戸赤坂の紀州藩邸の生まれ。
戒名は深徳院妙順日喜大姉。墓所・池上本門寺。
宝暦13年(1763)、従二位追贈。

吉宗が将軍職に就いたのは享保元年(1716)なので、深徳院(お須磨の方)については、紀州徳川家時代のことである。
吉宗のあと、長男・家重が徳川第9代将軍になったことにより、池上本門寺は紀州徳川家の菩提所に加え、徳川宗家菩提所の一つになった。




発掘調査に入る直前の「深徳院墓所」


参考 深徳院 - Wikipedia