かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

三越本店・屋上 三囲神社(みめぐり)

2014-02-06 | 都内散策 寺院・神社




三囲神社縁起
 今から六四五年程前の文和年間 近江三井寺の僧源慶が東国を巡錫中 隅田川牛島ほとりの弘法大師建立になる 荒れはてた小堂に立ち寄った際 その床下より現れた壺をあけるとその中より忽然と白狐が現れ壺の中の 宇迦之御魂命の神像のまわりを三度めぐっていずこともなく消え去ったので爾今この社を「みめぐり」(三囲)と呼ばれるようになったと伝えられております
また元禄六年の旱魃の際 俳聖其角はこの社に
「夕立や田を見めぐりの神ならば」と
一句献じますと翌日早速雨が降ったといわれております
 爾来何でも願い事の叶う縁起のよい神として大正三年九月二十一日当屋上に遷座されて以来広く庶民より崇められております

活動大黒天縁起
 三囲神社本社境内にある大国神は 隅田川七福神の一つとして 広く知られております
 当屋上に奉斎する大黒天は「活動大黒天」といわれ福徳を授ける動的な御姿をあらわし台所を司る神とそて広く崇められております
 ご利益を祈願すると その霊験あらたかな「三囲神社」及び「活動大黒天」は商売繁盛と幸運をもたらす神として 庶民に親しまれて敬愛されております






写真 上野・寛永寺

2014-01-07 | 都内散策 寺院・神社
寛永寺 開山堂(両大師堂)












開山堂(両大師堂)
寛永寺を開山した慈眼大師天海僧正を祀るお堂として正保元年(1644)に建立され後に天海僧正が尊崇していた元三慈恵大師を祀ることにより両大師堂とも呼ばれています。毎月三日に縁日法要が有ります。特に元三大師の誕生日の九月三日には秘仏元三大師画像が公開され厄除特別祈祷札が出されます。(申込み制)又境内の御車返し(みくるまがえし)の桜が有名です。
(寛永寺パンフレットより)

1月2日 元三会(がんざんえ) 法要「三問一答」(『法華経』の内容について問答する形式の法要) に参列させていただきました。
厳粛で、かつよく通る問答の声と読経を神妙に聞いていました。


寛永寺 根本中堂







1月1日~7日 修正会
1月2日・3日 根本中堂特別公開(東京国立博物館提携)
        徳川家歴代将軍の肖像画の展示。
        内陣に入っての十二神将像の拝観。




慈眼大師 天海 略伝

2014-01-07 | 都内散策 寺院・神社
寛永寺開山 慈眼大師 天海 (南光坊天海)
天文5年(1536)~寛永20年(1643)10月2日 世寿108歳
伊達と並ぶ奥州の名族葦名家一族、舟木景光の長男。

1536 天文5年(1) 福島県会津美里(旧高田)に生まれる。幼名・兵太郎。
1546 天文15年(11) 稲荷堂別当の弁誉の下で得度。法名・随風。
1549 天文18年(14) 栃木県宇都宮の粉河寺の皇舜僧正に師事する。
1553 天文22年(18) 比叡山に登る。神藏寺実全について天台の教えを学ぶ。
1555 弘治1年(20) 三井寺(園城寺)の勧学院尊実権僧正について倶舎論等を学ぶ。
1557 弘治3年(22) 南都(奈良)興福寺の空実について三論と法相を学ぶ。
1558 永禄1年(23) 母の看病のため帰国。その死をうけて喪に服す。
1560 永禄3年(25) 栃木県足利の足利学校で孔孟(儒教)を学ぶ。
1564 永禄7年(29) 群馬県新川の善昌寺で禅僧道器から首楞嚴経と易経を学ぶ。
1569 永禄12年(34) 川越の蓮馨寺で存応(後の増上寺法主)と法論。(伝)
1570 元亀1年(35) 再び比叡山に向かうが果せず。
1571 元亀2年(36) 〇織田信長の叡山焼討ちによって山上の諸堂消失。
1571 元亀2年(36) 叡山の僧らと共に甲府の武田信玄の所へ赴く。
          論議の講師(こうじ)をつとめる。信玄の帰依を受ける。
1573 天正1年(38) 葦名盛氏の招請を受け会津に戻る。稲荷堂の別当となる。
1576 天正4年(41) 大寧禅師に禅を学ぶ。
1577 天正5年(42) 群馬世良田の長楽寺で葉上流の灌頂を受ける。
1582 天正10年   ■ 武田氏滅ぶ。
1583 天正11年   ■ 本能寺の変。
1585 天正13年   ■ 羽柴秀吉、関白となる。翌年、豊臣の姓を賜う。
1586 天正14年(54) 〇葦名義広が伊達と戦って敗れる。
           葦名氏が茨城に逃れるのに従う。
1587 天正15年(55) 川越の無量寿寺の豪海権僧正に師事する。名を天海と改める。
           この頃、徳川家康と対面か(一説)
1588 天正16年(56) 江戸崎の不動院と川越の北院(現・喜多院)を董す。
1590 天正18年   ■ 小田原・北条氏の滅亡。徳川家康、江戸入城。
1600 慶長5年(68) 栃木久下田の宗光寺を董し、三昧流の灌頂を受ける。
1603 慶長8年    ■ 徳川家康、征夷大将軍となる。江戸幕府開く。
1605 慶長10年(73) 家康の命を受け比叡山の紛争を解決する。

*その後、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたり、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関わっていった。
1613 慶長18年(81) 家康、天海に日光山を管掌させる。
1615 元和1年(83) 〇秀忠、京都で禁中並公家諸法度を下す。
1615 元和1年(83) 〇幕府、諸宗諸本山法度を下す。
1616 元和2年(84) 〇駿府で大御所徳川家康没(76)、久能山に葬られる。
1616 元和2年(84) 天海、大僧正となる。
1617 元和3年(85) 〇家康、東照大権現の神号を受ける。
1617 元和3年(85) 〇日光東照宮造営。家康の遺骨、久能山から日光へ改葬。
          天海が主導権を握り、すべてを取り仕切った。
1625 寛永2年(93) 天海を開山とし、上野東叡山寛永寺竣工。


参考) リ-フレット「寛永寺だより」
『東叡山開山慈眼大師縁起』(通称胤海伝) 胤海(いんかい)…天海の直弟子
 天海は俗世・幼年の事を語らなかった。葦名氏の滅亡によりその周辺事情も不明、とのこと。



元三慈恵大師 良源

2014-01-07 | 都内散策 寺院・神社

比叡山延暦寺・中興の祖 慈恵大師 良源 (じえだいし りょうげん)
延喜12年9月3日~永観3年1月3日 (912~985)
平安時代の天台宗の僧。第18代天台座主。
諡号 慈恵大師、尊称 元三大師(がんざんだいし)・角大師・豆大師・厄除け大師

康保3年(966)、天台座主に就任。村上天皇の皇后の父、藤原師輔の後援を得て比叡山・根本中堂の再建、諸伽藍の復興をなした。命日が正月三日であることから元三大師とも通称される。
比叡山横川(よかわ)の住房跡に、四季講堂(春夏秋冬に法華経の講義を行ったことによる。元三大師堂とも)が建っている。
弟子に「往生要集」の著者、恵心僧都 源信がいる。


   

初詣ガイド

2013-12-30 | 都内散策 寺院・神社

神田明神 千代田区外神田
江戸総鎮守 明神さま縁起の「勝守」授与 江戸っ子の守り神
商売繁盛・家内安全・縁結び祈願

湯島天神 文京区湯島
学問の神様 一月二十五日(初天神)~ 鷽替え神事、木鷽授与
合格祈願・縁結び・開運招福・厄除祈願

東京大神宮 千代田区富士見 飯田橋
東京のお伊勢さま 商売繁盛 特性御神矢授与
家内安全・縁結び・開運厄除け祈願

日枝神社 千代田区永田町
エスカーでお山に登る初詣
厄除・商売繁盛・家内安全・縁結び

富岡八幡宮 江東区富岡 門前仲町
深川の八幡さま 縁日(月次祭)毎月1日・15日・28日

松陰神社 世田谷区若林
吉田松陰先生留魂の地 松陰先生の気概を胸に「志」高い一年を

乃木神社 港区赤坂 乃木坂
往時を尋ね百年にむけて… 伝えよう 日本の心 -明治の精神-
学業成就・夫婦和合・勝負運向上

根津神社 文京区根津
開運厄除・営業繁栄
江戸最大の神社建築(重文七棟)

亀戸天神社 江東区亀戸 錦糸町
東宰府天満宮 太鼓橋に 今、第一歩 初詣
試験合格・家内安全・開運厄除


〇大國魂神社  府中市宮町
武蔵の国の神々を祀る武蔵総社
縁結び・厄除け・八方除け・家内安全・商売繁盛

〇五徳山 水澤観世音  渋川市伊香保町水沢
坂東三十三観音霊場 第十六番札所
徳川幕府の祈願所 元旦より大護摩修行

〇高麗神社  日高市新堀 高麗・高麗川
高麗郡建都 一三〇〇年

〇武田神社  甲府市府中町
甲斐国つつじが崎 信玄公屋形跡 鎮座

〇妙見・本宮 千葉神社  千葉市中央区
人の星を司る妙見様の総本宮

〇笠間稲荷神社  笠間市笠間
日本三大稲荷

〇村松山 虚空蔵堂  那珂郡東海村村松
日本三体の一 開運招福


初詣に行く場所というわけではなく、新聞に載っていた皆が行くであろう神社ということで、確認用にあげてみました。