
今朝は、何もない空で明けました。
しかもその空は1日中続き・・。
右を見ても左を見ても前も後ろも、
青 ― 青 ― 青。本当に良いお天気!
そんな日本晴れの空の下、
映画 『
樺太1945年夏 「氷雪の門」』 を
観て来ました。
映画を観終わった後の気分・・。
今日の美しい空と何という違いでしょう。
それは何とも陰鬱な重苦しい雨に
打たれた気分・・といった処でしょうか。
この映画は、1974年(昭和49年)に
制作されたものの、
ソ連の圧力によって封印されたとか。
それだって戦後29年も経っていますのに。
それから又々、36年を経て、やっと封切られたという訳です。
映画の封切でさえ、しめて65年の歳月。
圧力に弱い・・日本らしいと言えばそうですが・・。
でも、そんな事で本当に良いのでしょうか。
周知の如く、未だに北方4島はロシアに実行支配されたま返還されていません。
返す意思さえもない? これこそ、江戸時代から日本固有の領土でしたのに。
この映画の内容は以前、本を読んだ事もあり、大略は知っていたつもりです。
でも、あくまでも想像上の書物と視覚に訴える映像の違いでしょうね。
後味の悪さ・・こればかりは、どう仕様もありません。
あまりにも、リアルで悲惨。
観ていて気分が悪くなるような映画です。それと言いますのも・・。
1945年(昭和20年)、8月15日に終戦を迎えたにも関わらず、
ソ連軍は、侵略を繰り返します。一般市民を巻き込んで。
いいえ、巻き込んで・・なんて生易しいものではありません。
「戦争は終わったのだから侵攻はしても銃は撃たないわ」
そう信じていた女性や子供達にも、正面から銃を向けて撃ち殺すのですから。
しかも日本とソ連は、「日ソ不可侵条約」 を結んでいたのに・・です。
言葉は悪いけれど、「火事場の泥棒」 と一緒ですものね。
白旗を掲げている日本軍なのに、完全無視。
「国際協定違反では」 という精一杯の問いかけにも、
「敗戦国が何を言う」 と言い、これ又、撃ち殺すのです。
戦争映画は、これまでにも幾度か観て来ましたし、
戦争による悲惨さも分かっているつもりです。
市民、国民など非戦闘員を巻き込んでしまう殺戮などから
戦争の悲惨さを描き、2度と戦争を起こしてはいけないと考えさせる作品と、
「バジル大作戦」 に見られるように、
戦闘要員同志との一大スぺクタクル・エンターテイメントの様相のものも。
それは、ある意味、戦争賛美? のような面もあり、
戦勝国に対する恨みや憤りを感じた事は、ほとんどありません。
しかしながら、いくら戦争とは言え、この映画ほどの残忍無比な国を知りません。
こんな時、司馬遼太郎作の 「坂の上の雲」 を思い出します。
ロシアに苦しめられていた、ヨーロッパの国々から、
「残忍なロシアと戦ってくれる日本」 と称賛された本当の意味を知る事になろうとは・・。
ソ連軍は、日露戦争に負けた仕返しをしたのかも知れませんね。
こんな卑怯なやり方で。
それにしても9名の電話交換手の乙女達。
郵便局長初め、なぜ彼女達を守ってやれなかったのか・・残念です。
身を呈してでも真っ先に本土に送還すべきだったと思うのです。
最後に。「死後、政府による勲章よりも彼女達は生きたかったであろう」
~と結んでありましたが、正にその通りだと思います。
10╱22付の産経新聞に 「北方の悲劇」 と題した記事が載っていました。
紛れもなく今日の映画の歴史的背景。以下に記して置きます。
【北方の悲劇】
8月15日、日本は降伏した。だが、ソ連軍は侵攻をやめない。
ソ連の戦車は今はサハリンと呼ばれる樺太で国境線を突破。
南下して日本の将兵のみか婦女子も多数殺戮した。
死亡者は引き上げ船が撃沈された事もあり、四千数百人に上る。
ソ連が樺太全域の占領を目指したからで、終戦5日後の8月20日、
南の真岡にソ連海軍は艦砲射撃を加え上陸した。
そのソ連軍のもとへ停戦交渉に赴いた日本側軍使一行は
白旗を掲げていたが、射殺された。街には火災が発生する。
真岡の名は日本の辞書にはもうないが、
世界地図にはホルムスクと出ている。
戦争中は人口2万、全人口が40万の南樺太では大都会だった。
その真岡郵便局に踏みとどまって最後まで勤務した9人の電話交換手の
少女達は、ソ連軍が迫るや、「皆さん、これが最後です、さようなら」の
通信を豊原に送って青酸カリで自決した。 |