廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ベニー・ゴルソンの復習

2019年07月06日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Clifford Brown / Study In Brown  ( 米 EmArcy MG 36037 )


ブルーノート東京のステージでベニー・ゴルソンはなぜあんなにブラウニーの話をたくさんしたんだろう、ということがずっと気にかかっている。
"I Remember Clifford" へのイントロダクションだと言えばそれまでだけど、印象としては単にそれだけのことではなかったように思える。

自分のことを語る際にとにかく自分の話ばかりする人には閉口させられるものだけれど、自分以外の話をする人なら一緒にその物の見方や世界観を
経験することでその人のことを知ることができるというのはよくあることで、そのほうがよりその人に接近できるものだ。 ベニー・ゴルソンは
後者のタイプの人だったようで、彼が語るブラウニーの姿を通して我々は彼のことをより深く知ることができたのかもしれない。

フィラデルフィアのクラブでジャム・セッションをしていた時に見知らぬ若者がやってきてトランペットを吹き出したのを聴いて「一体、何者だ?」と
とにかく驚いた、と笑いながら2人の出会いの様子を語っていたゴルソンは幸せそうな顔をしていた。 25歳で亡くなってしまったブラウニーには
ジャズ界によくある人物評伝がほとんどなくて、有名な割にはその人物像はあまりはっきりしない。 だから、彼にゆかりのあった人たちが語る話は
それが例え断片的なものであったとしても貴重である。 そして、ブラウニーのことを語る人たちは一様に幸福な表情を浮かべるようだ。

コナン・ドイルの「緋色の研究」に引っ掛けたタイトルのこのアルバムはブラウニーのトップに位置付けられる作品だが、私の場合は聴く頻度は低い。
アレンジがかっちりとし過ぎていて、いささか堅苦しい。 間違えて買ってしまったサイズの小さいワイシャツを無理して着て1日を過ごした時の
ような気分が残ってしまう。 演奏レベルは間違いなくトップランクだと思うけれど、愛着のあるなしはそれだけで決まるものではない。

とにかく演奏が凄い、という話でしか語られることがないせいで固定観念化したブラウニーのイメージは、彼の音楽へのパターン化した印象を人々に
非常に強く縛り付けているように思う。 でも、ゴルソンが語る彼の想い出を聴きながら、ブラウニーがかつて確かにこの世にいて、ゴルソンと共に
過ごした日々があったんだなあという実感がじわじわと湧いてくるのを感じた時、私の中のブラウニーの作品への印象も少し変わったような気がする。

来年の来日を心待ちにながらベニー・ゴルソンの復習をしていく過程の中で、ブラウニーのことも少し聴き直してみるのも悪くないかもしれない。


コメント
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