Alfred Cortot / Debussy ~ Preludes ( 仏 LVSM FALP 360 )
いつもより遅い時間に起きて、ターンテーブルにレコードを載せて聴き始めるが、どうもステレオ盤の音が冴えない。
いつもの大きく拡がる音場感が出てこない。理由はわからないが、今日はステレオ系統は機嫌が悪いらしい。
何だよ、一体、とブツブツ言いながらも何枚か試してみるが、どれもイマイチ。
こういう日は諦めるに限る。ご機嫌を取ったりもしない。近づかないのが一番いい。
しかたがないので、古いモノラル盤に切り替える。こちらは問題なく、いつも通りの音色が出てくる。
コルトーが弾くドビュッシーの前奏曲。
コルトーは昭和の時代、おそらく日本で最も人気のあったピアニストだろう。でも、現代の耳で聴けば、その演奏はガタガタと
言わざるを得ない。大家の芸風、という言えばまあそうなんだけど、若い頃の演奏はSP初期の劣悪な音でしか聴けないから、
こういう晩年の演奏が聴く対象とならざるを得ないが、もはや大芸術家としての不動の地位もあり、昔から誰も文句など言わず、
ありがたく拝聴されてきた。
そんな訳で私はコルトーを熱心に聴くことはないのだけれど、このドビュッシーだけは例外。
抽象芸術の先駆者であるドビュッシーの曖昧なピアノ曲を、私はこのコルトーの古い演奏を聴いた時に初めて、そういうことだったのか、
と思うことができた。それまでは現代のピアニストたちが高音質な環境で録音してきたディスクをいろいろ聴いたが、
音楽の輪郭がまったく掴めず、その良さがさっぱりわからなかった。
ところが、このコルトーの演奏を聴いた時に目から鱗が落ちた。初めてドビュッシーの前奏曲が本当の意味で理解できた気がした。
楽譜に記された音符の連なりが初めて見えた。
それ以来、ドビュッシーやラヴェルに関しては、初めての曲を聴く時は古い演奏をまず聴くところから始めた。
そうやって、私は近代フランス楽派の音楽を覚えてきて、今に至る。
このコルトーの古いレコードは、私にドビュッシーを最初に教えてくれた、思い入れのある1枚。
忘れた頃に取り出してきて聴くと、何かを想い出させてくれる。