セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

シャガとポパー哲学

2005-05-05 20:21:07 | Weblog
前日の写真の花は、シャガであった。かなり派手できれいな花なのできっと載っていると、書棚にあった「花のおもしろフィールド図鑑」を取り出したが、何度ページをめくっても出てこない。そこで、困った時のインターネットと、「季節の花300」というサイトを見たら見つかった。「シャガ」という花であった。そこで「シャガ」を先の図鑑の索引をみたら「春111」とやや薄い字で書いてあるではないか。春?目次に戻っても春なんて項目もなく、111ページは別の花。そしてやっと気付いたことは、僕の図鑑は「花のおもしろフィールド図鑑 秋」だったのだ。
そんなわけで外出したときに書店で、「花のおもしろフィールド図鑑 春」を買ってきた。おお!111ページにシャガが載っている。その解説を読むと、シャガは不思議な花だ。日本原産ではなく昔中国から渡来したものが野生化したらしい。でも中国では花の後に実をつけるが、日本のシャガは染色体が違い、実をつけることができずに、地中の地下茎だけで増殖しているとのことだ。それでも本州・九州・四国にも分布している!
「季節の花300」によると、お寺の庭に好んで植えられているとのことなので、人為的に各地のお寺に植えられたものがそこを基点に広がったのと考えられる。そんなわけで野生の花なのにやけに色っぽい感じがするのには由来があるわけなのだ。
さて「花のおもしろフィールド図鑑 春」を買った僕は、これで家の周りの花がすべて分かると思い、近所や自宅の軒先、庭先の花を調べたら、なんとまた出てこない。今度はまた別の書店へ行って載っている図鑑「季節の花図鑑」を買ってきた。そこで理由が分かった。「花のおもしろフィールド図鑑」はフィールドのつまり野生の草花の図鑑。「季節の花図鑑」は園芸用の花を中心とした図鑑だ。つまりシャガは隣の空き地の野生の花、我が家の軒先のシラーは植えられた園芸用の花というわけだ。
花の名前の結論だけですむのに、何故ながながと自分の失敗の記録を書くのかと思うかもしれない。職場でもよく「すごくうれしそうに自分の失敗したことを話すね」といわれる。
まあこれは僕がポパー哲学の信奉者だからかもしれない。つまりそれは失敗ではなく、図鑑の使い方と草花の見方の自分にとっての発見過程というわけ。

雀鬼のDVD

2005-05-04 22:29:53 | 文化
写真の花は我が家の隣の空き地の花。名前は調査中。ところで、編集メニューの画像フォルダの2つの同じ時刻を示している時計の写真を消除したら、書き込みからも消えることがわかった。
さて、今日レンタルビデオ店に寄ったら、「笑傲江湖」のDVDが6巻目以降の後半も置いてあった。実は昨日このブログの記入後に、インターネットから「笑傲江湖」決定版のDVD・BOXの②が4月27日に発売になったこと知り、早速アマゾン・コムで注文した。到着予定日は8日だ。ここはじっと我慢して、DVD・BOXの到着を待つことにした。
そこで借りたのは、「真・雀鬼」の8と9。雀鬼こと桜井章一さんをモデルにした裏世界の麻雀プロのドラマだ。なぜ8からかというと、7以前は昨年借りて既にみていた。そのとき偶然に「射英雄伝」のDVDがあることを発見、毎日のようにビデオショップに通い返しては借りるを繰り返したが、途中の巻から新作に付き1泊で返却しろといわれた。昼間勤めている身で、平日の毎日4話のノルマはきついので、どのみち欲しかったのでDVD・BOXを購入した。で、それ以後レンタルビデオ店へは行ってなかったのだ。
桜井章一さんは僕の共感する考え方をする人々のうちの1人だ。桜井章一さんと金庸、斎藤一人さん、親鸞、王陽明、立花宗茂は僕にとって同じ考え方の陣営の仲間だ。それはどんなところかというと、イデオロギーや大義名分、名声や権威、利害得失などに惑わされず、感じることを大切に自然の流れしたがって生きるということだ。
そこでお前の麻雀の腕はどうかと聞かれると困ってしまう。実は月曜日に久々に麻雀をしたのだが、大負けした。じゃー弱いのだと言われるとウーンとうなってしまう。4月に一泊で麻雀をした時は、半荘14回中9回プラスで内7回トップだった。そのときの他のメンバーは年に2・3回1泊旅行の時だけ麻雀をする者だけで、月曜の古狸達とは違う。
麻雀にオカルト派とデジタル派の2派がある。デジタル派は、麻雀は確率のゲームであり確率論を超えた流れというものは存在しないという立場。オカルト派はそうした流れを認める立場。僕も桜井さんもオカルト派だ。でもその流れがうまく働かず、逆に悪く働いたのが月曜の麻雀。リーチをかけても上がり牌がすべて使われていることも多かった。字一色と大三元と役満を2回聴牌したが上がれなかった。僕の思いが悪いのか。山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るのは難し、というところか。
オカルト派は幻想だって?いや違うよ。僕は麻雀をやっている時、稗に手を出す直前に「あ、積もった」とか「次ぎ積もる」と自然に声が出ることがあり。そのときは必ず積もって上がっている。意識的に声をだしてはだめで、意図せずに声がでるとそのとおりになるのだ。
麻雀界に桜井章一さんのファンや崇拝者は多いが、逆に反発するものも多い。ブログをみてもそれは分かる。「流れ」は唯物論者にはうさんくさく思えるだろうし、勝つことを目的としない麻雀も、麻雀をギャンブルの一つと考えるものには理解できないだろう。
でもね、有名な哲学者がふしぎな偶然を現象の受容の仕方の問題と捉えようとした本でも、片隅でそれだけでは理解しきれない戸惑いが出ている。

金庸原作「笑傲江湖」のDVD・BOX

2005-05-03 20:26:39 | 文化
GWを利用してというわけではないが、金庸原作の「笑傲江湖」のDVD・BOX完全版①を見た。中国の中央電子台製作のテレビシリーズ。1枚ごとに4話の5枚セットで20話である。①なのでまだ未発売の続編があり楽しみである。
ところで昨年は同じ金庸原作の「射英雄伝」のテレビシリーズのDVD・BOXも購入してみた。「射英雄伝」は(しゃちょうえいゆうでん)と読むが、森繁久弥が主演で小林桂樹・加東大介・三木のり平が出演の東宝映画の「社長シリーズ」とは関係ない。
どちらも面白く、金庸ファンの僕にとっては宝物である。
製作時期的には「笑傲江湖」が先で「射英雄伝」が後である。「射英雄伝」は昨年末からチャンネルNECOで放送されているが、その紹介放送で両方の主人公を演じているリー・ヤーポンが「『笑傲江湖』がよくなかったので『射英雄伝』では云々」といっていた記憶があった。また、「射英雄伝」DVD・BOXの解説では、金庸の要請で原作に完全に忠実に製作したと書いてあった。他方「笑傲江湖」の解説では原作者の反発をかってまで脚本を改編したと書いてあった。
そんなわけで、やや期待薄でみた「笑傲江湖」のDVD・BOXであるが、これが面白い。確かに場面の順序などで原作と違うような気がしたが、登場人物や事件などは同じで違和感がない。むしろ黄健中監督は文芸派ということなのか、映像も美しく、ヒーローとヒロインの愛と生き方の描き方もよい。僕としては、どちらかに軍配を上げるとすれば「笑傲江湖」のほうだ。