セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

雀鬼のDVD

2005-05-04 22:29:53 | 文化
写真の花は我が家の隣の空き地の花。名前は調査中。ところで、編集メニューの画像フォルダの2つの同じ時刻を示している時計の写真を消除したら、書き込みからも消えることがわかった。
さて、今日レンタルビデオ店に寄ったら、「笑傲江湖」のDVDが6巻目以降の後半も置いてあった。実は昨日このブログの記入後に、インターネットから「笑傲江湖」決定版のDVD・BOXの②が4月27日に発売になったこと知り、早速アマゾン・コムで注文した。到着予定日は8日だ。ここはじっと我慢して、DVD・BOXの到着を待つことにした。
そこで借りたのは、「真・雀鬼」の8と9。雀鬼こと桜井章一さんをモデルにした裏世界の麻雀プロのドラマだ。なぜ8からかというと、7以前は昨年借りて既にみていた。そのとき偶然に「射英雄伝」のDVDがあることを発見、毎日のようにビデオショップに通い返しては借りるを繰り返したが、途中の巻から新作に付き1泊で返却しろといわれた。昼間勤めている身で、平日の毎日4話のノルマはきついので、どのみち欲しかったのでDVD・BOXを購入した。で、それ以後レンタルビデオ店へは行ってなかったのだ。
桜井章一さんは僕の共感する考え方をする人々のうちの1人だ。桜井章一さんと金庸、斎藤一人さん、親鸞、王陽明、立花宗茂は僕にとって同じ考え方の陣営の仲間だ。それはどんなところかというと、イデオロギーや大義名分、名声や権威、利害得失などに惑わされず、感じることを大切に自然の流れしたがって生きるということだ。
そこでお前の麻雀の腕はどうかと聞かれると困ってしまう。実は月曜日に久々に麻雀をしたのだが、大負けした。じゃー弱いのだと言われるとウーンとうなってしまう。4月に一泊で麻雀をした時は、半荘14回中9回プラスで内7回トップだった。そのときの他のメンバーは年に2・3回1泊旅行の時だけ麻雀をする者だけで、月曜の古狸達とは違う。
麻雀にオカルト派とデジタル派の2派がある。デジタル派は、麻雀は確率のゲームであり確率論を超えた流れというものは存在しないという立場。オカルト派はそうした流れを認める立場。僕も桜井さんもオカルト派だ。でもその流れがうまく働かず、逆に悪く働いたのが月曜の麻雀。リーチをかけても上がり牌がすべて使われていることも多かった。字一色と大三元と役満を2回聴牌したが上がれなかった。僕の思いが悪いのか。山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るのは難し、というところか。
オカルト派は幻想だって?いや違うよ。僕は麻雀をやっている時、稗に手を出す直前に「あ、積もった」とか「次ぎ積もる」と自然に声が出ることがあり。そのときは必ず積もって上がっている。意識的に声をだしてはだめで、意図せずに声がでるとそのとおりになるのだ。
麻雀界に桜井章一さんのファンや崇拝者は多いが、逆に反発するものも多い。ブログをみてもそれは分かる。「流れ」は唯物論者にはうさんくさく思えるだろうし、勝つことを目的としない麻雀も、麻雀をギャンブルの一つと考えるものには理解できないだろう。
でもね、有名な哲学者がふしぎな偶然を現象の受容の仕方の問題と捉えようとした本でも、片隅でそれだけでは理解しきれない戸惑いが出ている。