この本を取り上げるのは看過できない誤謬と暴論だからだ。もちろん誤謬と暴論の本は世に溢れているからいちいち取り上げる必要はないのだが、著者の堀川氏が自作の新語まで捏造して木に竹を継ぐような珍理論を誇らしげに掲げている。すこしでも事実を知っている者からみれば堀川氏は真逆のことを言っているのは明らかだ。
堀川氏の本のタイトルは『略奪される日本経済』だ。このタイトルはジェームス・スキナー氏のベストセラー『略奪大国』を意識して小判鮫商法を狙ったと思われる。しかし内容は全く反対だ。スキナー氏は「利子の原資は生産だが政府はなんら生産をしない。従って国債はネズミ講に金を貸すようなもの」という主張。略奪の主語は日本政府で略奪されるのは日本国民だ。しかし堀川氏の略奪の主語は「冷たい『石の心臓』を持つユダヤ人を中心とするウオール街の金融マン」ということになる。しかし来るべき財政破綻にさいして日本国債の空売りでウオール街の金融マンが儲けるその金額が大きいとしても日本国民が失う全体からすればほんの一部だ。また空売りが直接のキッカケになりうるが、財政破綻の真因は別なので空売りがなくても遅かれ早かれやってくる。空売りをしかける金融マンは便乗者にすぎない。だからウオール街とユダヤ資本がすべて陰謀のシナリオを書いている主要原因のような堀川氏の本のタイトルと帯の「ユーロ危機で儲けたのは誰か?日本人の金融資産1500兆円も狙われている!」はミスリードを誘うものだ。堀川氏の本文はややニュアンスが違うので、タイトルも帯も編集者の商業的意向が入っているのだろう。
本論に入る前にちょっと言っておきたいことがある。それは堀川氏がウオール街のユダヤ人を中心とする金融マンを「冷たい『医師の心臓』を持つ紳士たち」との書き出しではじまっている。ここから始まる論理は後で検証するが、ある種の人々を「冷たい」と決めつけて反射的に自分が暖かいとイメージを醸成しようとする手法はよく見られるが、僕からみれば、言っている本人こそが不誠実で本当の目的を隠していると思えてくる。昔(今もかな)共産党が首長選挙に候補者を立てると必ず対立候補(多くは現職)を「社会的弱者に冷たい人間」と非難していた。僕は「共産主義者以外はみんな冷たいということはあるまい。もっと政策や予算を精査した論争が必要ではないか」と思ったものだ。リフレ派の人の本にも同じ特徴かある。リフレ政策に反対するのは貧しい人々に冷たいからだという。どっかで聞いたような高飛車な論調だと思ったら40年ほど前に共産党が「諸悪の根元である日米安保条約に反対しないのは貧しい人々に冷たいからだ」と言っていたのを思い出す。
困っている人を助けるためと看板で自己の利益を最優先に確保するのは役人の常套手段だ。昔区役所で市民税の事務をやった時非常に怪訝に思ったことがある。思えばそれが我がリバタリアン意識の始まりであった。それは所得税及び市県民税の寡婦控除についてだ。今インターネットで寡婦控除を見ても当時と同じ内容だったかは思い出せない。ただ今でも同じだが一番困っているシングルマザーが除外されている。税法で予定されているストライクの対象は公務員や大会社の社員の旦那さんを亡くした人だ。自分の家族もいつそうなるかと思えば役人も可哀想で身につまされるだろう。しかしシングルマザーなど元々困っている人は免疫があるからいいだろうと言うのだろうか。しかも公務員の場合は寡婦自身も公務員と言う場合を除いても、非課税の遺族年金があるうえに、たいていは就業先を紹介してもらえる。公務員の寡婦控除はいけないとは言わないが、最も困っている人をほっておいて寡婦に優しい施作をしているというのは欺瞞だ。官僚組織と言うものは本当に社会に必要なことに目を向けなく自己の利益を増やす名目だけを求めている、と思った次第である。そして彼らは公務員だけの優遇について問われると「決められたものを受け取っているから不正ではない」というのみ。もっと違った角度からの発言はないのだろうか。
ついでだけど、今もどうか知らないけど公立保育園の入所基準もおかしいと憤慨した。周何時間かの就業実績がないと入所できないだって。これじゃあ生活が苦しくて子供をあずけて働きたいと思っても実績がないとダメということになり生活保護しかなくなる。すると公立保育園にすんなり入れるのは母親が公務員の子供となる。本来的には公務員の子供は公立保育園に行くべきではないと思うが、こんなことを言うと出産した公務員は退職せよと言うのかと総スカンを食らうな。でも公立保育園は就業条件の厳しい市民が優先されるべきものだ。公務員と大企業の社員は自分たちで保育組合を作ればよい。そのために国や自治体は法的整備をして保育園設置基準の緩和と施設提供の便宜をはかる。一定の講習で休職中の公務員(会社員)も保育士作業を行えるようにする。トラブル防止対策と起きた時の対応はそれぞれの保育組合が規約で定めておく。そんなのはできっこないと役人は必ずいうな。でもやり切る気がないとできないのは当たり前。役人は出来ない理由をあげるのは得意だからね。肝腎なのは問題を認識して必ず自分の手で解決するという決意だ。ついでに保育園の待機児童のことだけど、ふと思ったのだが、市内の大規模商業施設に施設内に保育所の設置を義務づけて定員の半数にパートを含む従業員の子供、半数を近隣居住者か近隣就業者の子供にするようにしたら良い。スーパーの雇用対策にも顧客対策にもなる。いろいろ書いたけど僕は児童関係の仕事をしたことがないから、まったくピント外れのことを言っている可能性がある。だから不明な点はご容赦願いたい。でも「出来っこないという」批判には「フーンそうなの」と言うしかない。
さてさて本論に入ろう。この『略奪される日本経済』の不思議な所は、各所に事実関係の正しい認識がありながら、主張部分がそれとは無関係以上に反する結論になっていることだ。この統合失調状態には堀川氏のどんな事実も寄せ付けない強力な思い込みがある。
堀川氏によるとウオール街の金融マンは「冷たい心臓」の弱肉強食の信条を持つリバタリアンばかりで世界の「負債の経済学」により定期的にくる経済危機を虎視眈々と狙っている。アメリカ経済は30年前にレーガン大統領が採用した「リバタリアニズム経済」によって経済格差がおおきくなった。日本も「リバタリアン経済」よって格差が拡大した。日本経済の犯した3つの過ちは「国家ぐるみの『負債の経済学』」「ケインズ経済学の失効後のケインズ政策の続行」「リバタリアニズム経済の失敗」とのことだ。日本経済を救う方法はインフレ化政策と政府紙幣の発行である、とのことだ。
書いていてイライラするな。他の文献で全く見られない「リバタリアニズム経済」という言葉を堀川氏は捏造したけど、通常使われる「新自由主義経済政策」とか「市場万能主義」というなら一応文章として読めるけど、「リバタリアニズム経済」では支離滅裂。だってリバタリアニズムと「国家ぐるみの『負債の経済学』」とか「ケインズ経済政策」は同時に存在し得ないもの。リバタリアンは「国家ぐるみの『負債の経済学』」の意味する金融政策にも「ケインズ経済政策」の意味する財政政策にも絶対反対だもの。堀川氏はリバタリアニズムを本来は真逆の「強欲資本主義」と同一視していることからくる錯誤だ。またウオール街の金融マンにはリバタリアンがいないわけではないが、彼らは金融緩和政策に反対しているので極めて少数派だ。
堀川氏はアメリカの経済格差は「リバタリアニズム経済」のせいであるかのようにいっているが、「リバタリアニズム経済」なるものがアメリカに存在してこなかったことは脇において、本当の経済格差の原因を確認できそして堀川氏も本の中で認めている事実から探ろう。
1 アメリカの上位1%が全米資産の44%を持つに至った内容と原因は株式を始めとする金融資産の膨張である。
2 アメリカの金融の量的緩和は、失業率の改善の為と言う名目ではじめられるが、結果としてほとんど失業率の改善に影響がなかった。つまり実態経済に影響はなかった。
3 金融の量的緩和が噂されると高級百貨店の株価は急騰するが、庶民を対象とする小売業の株価は変化しない。
4 選挙が近づいても経済成長率や失業率が芳しくないと、金融資本から量的緩和の圧力がでる。リバタリアンならそんな要求はしない。たがらリバタリアンの金融マンは少数派の異端児。でも正しく破局を予言するのはリバタリアンだけ。
つまりこれらの事実から言えるのは、ウオール街の強欲資本者達は量的緩和という公的資金で大儲けして資産を増やしたのだ。つまり最近の急激な経済格差の元凶は量的緩和なのだ。量的緩和により金融機関が莫大な利益をあげると、経営者や金融マンは自己の手腕でないのに株式オブションを始め膨大な報酬を要求する。その反面膨大な損失を出して公的資金の救済を求めても相変わらず高額の報酬を貰っている。金融業でMBA所有者たちが高額の報酬をもらうと、他業種にいるMBA所有の経営者たちも自分たちも高額の報酬をもらう権利があると思い報酬を釣り上げる。かくて全産業で一般従業員と経営者との収入格差が大きくなる。
ここで堀川氏の思い込みと違うが、よく観察すると確認できる二つの事実を挙げて見るのも有益だとおもう。
1 他と比べて不当に高いと思われる収入の業種は必ず公的機関の関与がある。
2 永続する独占企業は自由競争の結果ではなく、政府関与の結果である。
給料のいい職場と言って思い出すのは、公務員はともかくとして銀行とかマスコミ放送関係を思い出すよね。銀行は今はどうか知らないけど護送船団方式で旧大蔵省の統制下に置かれていた。放送局は免許制の独占企業。新聞社も役所の排他的記者クラブの他に社屋のある場所はいずれも国有地の払い下げをうけている。電力会社も公的関与による独占企業だね。
堀川氏によればリバタリアンは弱肉強食の優生学思想の持ち主で、経済競争で優れたものが勝ち負けた者を食物にしてよいと考えているらしい。でも上の事実をみれば量的緩和で儲けている金融資本を脇においても、多くの不当とも思える高額収入業種は政府関与の結果なのだが、不思議にそれらの職種に務めるものは自分達は試験に勝ち抜いて優秀な者であるから一般より高い収入で当然だと考えている者が多い。リバタリアニズムは優生学思想から発生したという真逆のことを言う堀川氏の本から堀川氏自身の優生学思想がプンブン臭うのだな。それは後で例証するけど。
堀川氏はマルクス経済学のシェーマに無意識に影響を受けているらしく経済競争が必然的に独占になり、富む者はますますとみ貧しいものはますます貧しくなると考えているらしい。しかし不当な経済格差は公的関与に原因があるのと同じように恒久的な独占も政府がフレームワークを作っている。でもマイクロソフトやニンテンドウは公的関与なしに独占企業になったではないかと言われるかもしれない。でもそれは恒久的ではない。新しい新機軸のものを持った企業が新規参入すれば一変に没落して倒産する可能性さえあることは今の世の中誰でも分かるだろう。
これはマルクス経済学で説明がつかなくても、オーストリア学派では説明がつく。オーストリア学派では、すべての人間は考え意識的に行動するという共通の特性をもっている。しかしながら完全な情報を持ってすべてを見通す個人も集団も存在しない。従って完全な情報を前提とする計画経済はうまく機能しない。誰もが不完全な情報しか持ち得ないため新しく事業を起こすことはリスクを伴うが、そのリスクを引き受けて起業する者が社会を進歩させるアントレプレナーとなる。しかし一度成功した者でも成功し続けることはむつかしい。なぜなら完全な情報を持つものは誰もいないからである。
だからオーストリア学派では経済競争で常に勝ち続ける優秀な人間も集団も存在しないし、一番優秀なものが最終勝利者となるという考えもない。オーストリア学派つまりリバタリアニズムは根本的に優生学に反する思想なのだ。そうそうリバタリアンというのはウインドーズよりリナックスやウィキペディアが好きなのだよ。権威的存在や経済的利益よりみんなのボランティアでより良い物を作り上げるということが好きなのだから。
でもビル・ゲイツやジョブスを嫌いではない。アントレプレナーとして尊敬している。アントレプレナーはすべてリバタリアンとは言えないが共通する価値観をもつ。アントレプレナーは金銭よりも自己実現に価値をおく。その証拠に彼らは財産の多くを公益事業に寄付している。それとは対照に政府機関や中央銀行により利益をえている金融資本家や天下り役人の強欲なこと、しかも彼らは「自分達は優秀だから当然」とうそぶいている。もちろん彼らはリバタリアンではない。税金で儲けるリバタリアンはいないもの。
さて弱肉強食の優生学思想の持ち主の勘ちがいの「優秀な人間」はどこでよく見られかというと公務員だ。河村たかし氏が初めて名古屋市長になったころに名古屋市職員の給与水準が話題になったことがある。その時に2チャンネルの名古屋市職員スレッドには「おれは旧帝大卒で民間に行った友人はもっともらっている。優秀なおれはもっともらってもいいくらいだ」というような内容の書込みが多かった。その時僕の感想は、日本社会には努力(試験勉強)とか金銭の出費(塾とか家庭教師)をした者には相応に報いてやらなければならないという心情があり、そのため民間で使えないハバを地方公共団体が引くことになったのだな、というものだ。しかもそうした「優秀な人たち」には役所というのは住みやすい環境なのだ。大体公務員というのは「仕事内容ではなくて勤務条件のみで志望される不思議な職場」(大原瞠『公務員試験のカラクリ』光文社新書)で、「困難を乗り越え子供を救う人材が集まるところではない。この元職員は断言する。『そんな人間はそもそも公務員にならない』」(「選択」編集部編『偽装の国』新潮社、第一部・児童相談所)からだ。だから彼らは異動先に出世の早いと云われる総務局を希望する。何が面白のかな。僕の主張は前にも書いたけど支払われた税金以上の効用を市民に返しているかということだ。これ以外に判断の基準はない。
おっと話がそれてしまったが、現代の優生学思想には優秀な人間とは学歴や資格を持つ人間だという暗黙の前提がある。堀川氏は「所得格差が学歴格差を生む」と息巻いているが、結局のところ高学歴の人間が優秀なのだと広宣流布しているのだ。極めつけは日本救済策に「国立の『経世済民』塾」をつくれという。おやオヤ松下政経塾の二番煎じかと思ったら、「松下政経塾もいいが、今回の卒業生の姿を見てみると、実務経験が欠けているのがわかる」そして厳しい選抜試験がないから駄目とのことだ。しかし卒業生の姿からの堀川氏の推測と違って松下政経塾は実務経験重視のカリキュラムのはずだし、選抜も松下幸之助の選んだ有識者によって行われたはずで厳しくなかったはずはない。これはリフレ派は結果により反証されても考えを改めず、常に前のはtoo late でtoo small だったからいけないと言い逃れをする同じパターンだ。真の問題はそこを出れば看板になるという学校をつくるから、その看板目当ての人しか集まらないことだ。さらに多くの勘ちがいの「優秀な人間」の資格を作るのは害毒でしかない。堀川氏は「前は松下幸之助といえども私人、今度は国立だぜ、ワイルドだろ」と言いたいのかもしれないが大間違いだよ。歴史上に役だった塾なり教育機関は、当時はそこで学んでも世間的には不利だが、ただ自己の生き方として学びたいと入門したところだ。上級武士の高杉晋作はエリート校の藩校をやめ幕府の咎人で蟄居中の吉田松陰が農民や下級武士を対象としている松下村塾へ入った。河井継之助は中国地方の小藩備中松山藩の参政で陽明学者の山田方谷に無理やり弟子入りした。だから僕のいう「堀川氏自身の優生学思想がブンブン臭う」という意味がわかるだろ。
くり返すけどアメリカの有名なアントレプレナーは多くは大学を中退してリスクを自身で引き受けて起業し、得た資産の多くを寄付している。大学をでて金融機関や役所に勤めた連中は公共の為の口実で激しく自分の利益を追求してリスクは税金でカバーしようとする。これ日米共通。
堀川氏はインフレ化対策をせよという。でも堀川氏は同じ本の中でアメリカの量的緩和は効果がなかったと認めているのにね。何のこっちや。でも量的緩和推進の影の車は政府のリスクで金融資産を増やそうとする富裕層の強欲だもの。理屈じゃないか。
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