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セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

家の取り壊しが始まった。

2008-08-28 13:16:21 | Weblog
先週初めから家の取り壊しが始まった。建築業者に家を建て替える依頼をした時の取り壊しの開始日の予定がこちら希望での7月中旬だったのが、7月初め、7月末、8月7日、8月15日、8月18日と何度も変わっていった。初めの7月中旬は、退職してからの1週間で家財の運び出しをするつもりでお願いしたもの。それが業者の都合で、7月初めとなった。そのときはまだ6月の退職前だが土日と休暇でがんばればなんとかできると思い同意したが、その後市役所への届出と許可のために大幅に遅れたわけだ。まあこれがうわさの官製不況のもとになっている建築関係法規の改正によるものらしい。でも結果としては、時期的に家財の整理と運びだしにはぎりぎりセーフの期限だった。もし7月中旬または7月初め、いやいや7月末でもの取り壊しだったら家財の整理運び出しができなくてこちらがパニックになって、頭を下げて取り壊しの延期をお願いする羽目になっただろう。結果は「これでいいのだ」。
退職と家の建て替えはセットになって頭に浮かんだ。4月中に6月末で退職する旨の届けを出してから、家を建て替える構想が頭に膨らんできたところ、4月末に母が骨折して入院した。幸か不幸かこれで家の完成まで母をあずかってもらえる見込みができたわけだ。母を病院に見舞った帰りに車で寄ったのが、タマホームの展示場。そのときは見学だけのつもりで寄っただけなのだが、職員との話の流れで依頼をすることになってしまった。僕は納得できないものはまったく無視する性格だが、とくに断る理由がない場合は、細かく検討などはしなくて流れに乗ってしまう。結果としてだが、日本の住宅業者のうちタマホームだけが僕の用意できる資金での立替が可能だったような気がする。結果は「これでいいのだ」。

退職した。

2008-07-16 22:41:24 | Weblog
6月30日に退職した。7月からは自由の身で、このブログにも毎日のように記入できるかなと思っていたが、退職を決めたときからはじめた家の建て直しのための引越し準備が膨大で、本を読む時間もブログを書き込む余裕もなかなか取れなかった。
どうして勤めをやめたのかって?定年でもなく、首になったわけでも、なにか不都合を起こしていたたまれなくなったわけでもない。病気になったわけでもない。もっともこのままでは病気になったかもしれないけどね、慢性の睡眠不足で。欝になりそうにない人間を欝にする実験のための人事かなとも思えたけど。
まあ今はやりの脱藩というわけだ。もっともこっちは脱藩官僚ではなくて、脱藩胥吏(しょり)というわけだ。惰性を排して、あらゆる方向の選択肢を考えれば退職がベストだということは一点の疑いもない。ベストにして唯一の道だと判ればそれ以外の行動しかとれないもの。陽明学を誤解した言説で、「言行を一致させることが大切」ということが時々聞かれる。でもそれは朱子学的で陽明学ではない。陽明学なら、判ったことはそれ以外の行動はとれないのだと思う。「言行」ではなくて「知行」は一致しているものだ。

シャガとポパー哲学

2005-05-05 20:21:07 | Weblog
前日の写真の花は、シャガであった。かなり派手できれいな花なのできっと載っていると、書棚にあった「花のおもしろフィールド図鑑」を取り出したが、何度ページをめくっても出てこない。そこで、困った時のインターネットと、「季節の花300」というサイトを見たら見つかった。「シャガ」という花であった。そこで「シャガ」を先の図鑑の索引をみたら「春111」とやや薄い字で書いてあるではないか。春?目次に戻っても春なんて項目もなく、111ページは別の花。そしてやっと気付いたことは、僕の図鑑は「花のおもしろフィールド図鑑 秋」だったのだ。
そんなわけで外出したときに書店で、「花のおもしろフィールド図鑑 春」を買ってきた。おお!111ページにシャガが載っている。その解説を読むと、シャガは不思議な花だ。日本原産ではなく昔中国から渡来したものが野生化したらしい。でも中国では花の後に実をつけるが、日本のシャガは染色体が違い、実をつけることができずに、地中の地下茎だけで増殖しているとのことだ。それでも本州・九州・四国にも分布している!
「季節の花300」によると、お寺の庭に好んで植えられているとのことなので、人為的に各地のお寺に植えられたものがそこを基点に広がったのと考えられる。そんなわけで野生の花なのにやけに色っぽい感じがするのには由来があるわけなのだ。
さて「花のおもしろフィールド図鑑 春」を買った僕は、これで家の周りの花がすべて分かると思い、近所や自宅の軒先、庭先の花を調べたら、なんとまた出てこない。今度はまた別の書店へ行って載っている図鑑「季節の花図鑑」を買ってきた。そこで理由が分かった。「花のおもしろフィールド図鑑」はフィールドのつまり野生の草花の図鑑。「季節の花図鑑」は園芸用の花を中心とした図鑑だ。つまりシャガは隣の空き地の野生の花、我が家の軒先のシラーは植えられた園芸用の花というわけだ。
花の名前の結論だけですむのに、何故ながながと自分の失敗の記録を書くのかと思うかもしれない。職場でもよく「すごくうれしそうに自分の失敗したことを話すね」といわれる。
まあこれは僕がポパー哲学の信奉者だからかもしれない。つまりそれは失敗ではなく、図鑑の使い方と草花の見方の自分にとっての発見過程というわけ。

ここまでわかったこと

2005-04-30 23:20:09 | Weblog
「権力闘争の手段としての歴史認識」でロシアの10月革命のときにレーニンの武装蜂起に反対したのは、一人はジノビエフだが、他の一人はブハーリンではなくカーメネフであった。文の趣旨に影響しない事実関係だから直接訂正した。
しかしその前にも「吹かねども」の歌を蒲生氏郷の辞世の歌そのものと勘違いしている。おっと「魔邪」もあやまり、「魔」は摩擦の「摩」の「摩邪」であった。
書く前に調べて確かめるのが正しいのかもしれないが、資料を調べて確認とっていたら、書く時期を逸して日記で無くなる可能性がある。日記のようであり壁新聞のようであり、書いた責任もでてくるので、誤りが判明した段階で訂正することにしよう。
ついでに、この間まで、長い文章がいくつもこま切れで書き込んだが、それは新規投稿のサイトで長い文章を入れるとプレビューが消えるので、長い文章は一度に入れられないと思っていた。しかし最近プレビューが消えても投稿できることが判明した。

今日起った不思議なこと(後編)

2005-03-26 22:50:49 | Weblog
2つの時計に起ったことは、もう一つ不思議な面を持っている。
今読んでいるマーク・ブキャナン「複雑な世界、単純な法則」(草思社)に、有名な物理学者ホイヘンスにまつわるやはり同じ部屋の2つの時計の調和の話が載っていて、二三日前にそこを読んだばかりなのである。おお!シンクロシニティ。でもシンクロシニティ自体は僕の生活でよく起ることだ。
たたホイヘンスの場合は、時刻の表示ではなく、振り子のリズムの調和だ。ホイヘンスの部屋の向かい合う壁にある2つの時計の長い振り子が完全にリズムが一致していた。ホイヘンスが一方のリズムを乱しても数分もしないうちに再び調和する。一つを離れたところに置くと同期しなくなる。元の位置に戻すと再び同期する。ホイヘンスは床のかすかな振動を原因と結論した。
でも我が家の2つの時計は床やあるいは天井の振動では説明できない。僕の考えは、物かあるいはそれを包む空間に何か意識に似たスピリチュアルなものがありそれが作用しているのではないかと思う。我が家の時計はあたかも、四角い時計が丸い時計に捕まって先に進めずもがいて振動しているように見える。ホイヘンスの時計も同じことが原因だと思う。