玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

根拠なき「逃げ得」論の無責任

2008年01月12日 | 日々思うことなど
悪いことをしたあげく「逃げ得」を狙って実行する奴は悪質だ。
そして、必要もないのに「逃げ得」論を吹聴する手合いは無責任である。

福岡の飲酒運転による死亡事故の判決が「世間」の期待したほど重くなかったので「これでは逃げ得だ」「裁判所が逃げ得を推奨するようなものだ」といった意見が出ている。

福岡 飲酒 逃げ得 - Google 検索

Googleで検索すると一万件近くがヒットする。
誰が言い出したのか、自然発生的なものか、「逃げ得」説は多くの人の心を動かしたらしい。
怒っている人たちの気持もわかるけれど、私はこの事件で「逃げ得」を言い立てるのは逆効果であり無責任だと思う。

そもそも人間社会では、と話はいきなり大きくなる。
人間の情報収集能力と認識力に限界があるのは物理的事実である。
神様か仏様でもなければすべての事実を知り確証を得ることはできない。
どんな事件でも事故でも、犯人が逃げて逃げて逃げまくり、証拠隠滅してバレなければ「完全犯罪」「逃げ得」になるのはどうしようもない。何も他人事ではなく、ほとんどの人は大なり小なり事件・事故・イタズラをやらかして「バレずにすんだ」経験があるはずだ。たとえば子供のころのイタズラ、学生時代のカンニング、会社では出張経費のごまかし。本人にとってはラッキーだが周りから見れば「逃げ得」そのものである。
身も蓋もないことを言えば、人間社会の根本原理として不可避的に「逃げ得」が組み込まれている。
それを大っぴら認めてしまうとモラルに悪影響をあたえるので、常識を持った大人は必要以上に「逃げ得」論を吹聴しないものだ。
「逃げ得」を否定する言葉として「天網恢々粗にして漏らさず」というのがあるが、これは事実というより「そうだったらいいのに」という願望でしかない。


今回の福岡の事故の場合、「逃げ得」論がネットで約一万件も出てくるのはずいぶん多い。
最初にも書いたけれど、判決に納得できない人が「悪質な犯人に対して甘すぎる」と怒る気持はわかる。だがその怒りを表すのに「逃げ得」という言葉を使う必要が本当にあるのだろうか。

私は素人なのでよく分からないが、福岡地裁の判決で危険運転致死傷罪が適用されなかったのは検察の主張に確証が得られなかったためらしい。日本の裁判は証拠主義であり、刑事裁判の基本は「疑わしきは被告人の利益に」なのでやむをえないことである。
それでは確証を得られなかった理由が被告人が「逃げた」ためだったかというと、そうとは言えない。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 ◆危険運転致死傷罪の成否についての裁判所の判断】
 被告は相当量の飲酒をした上で乗用車を運転し、本件事故を起こした。当時、被告が酒に酔った状態にあったことは明らかである。しかし被告はスナックを出て、事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった。

 さらに、被告が当時、現実に道路や交通状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態にあったかどうかについて見ると、スナック前の駐車場を出発後、事故を起こして停車させるまでの約8分間、左右に湾曲した道路を道なりに進行し、その途中の交差点を左折したり右折したりし、幅員約2・7メートルしかない道路でも接触事故等を起こさず、車幅1・79メートルの車を運転していた。

 また、事故直前、被害者が乗ったRV車を間近に発見すると、急ブレーキをしてハンドルを右に急に切り、衝突回避措置を講じている。さらに、事故直後、車が反対車線に進出していることに気づくと、あわててハンドルを左に切り、車線を戻していることが認められる。これらの事実はいずれも、被告が道路や交通状況等に応じた運転操作を行っていたことを示すもので、当時、正常な運転が困難な状態にはなかったことを強く推認させる。

 他方、事故直前に相当時間にわたって脇見運転を継続したという事実は、当時正常な運転が困難な状態にあったのではないかと疑わせる事情と言えるものの、脇見運転を継続していた区間はほぼ完全な直線走路である上、車道幅員は約3・2メートルと広かったこと、被告にとっては通勤経路で通り慣れた道であったこと、交差点を左折してから進路前方を走行している車両は見えなかったことからすると、脇見をしやすい状況にあったと言える。

 また、脇見運転の継続中も蛇行等をした形跡はなく、車を走行車線から大きくはみ出すことなく運転していたと認められるから、漫然と進行方向の右側を脇見していたとはいえ、進路前方に対する注意を完全に欠いてしまっていたとまでは言い切れない。

 そして何より、脇見運転の前後で現実に道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行っていたことを併せ考慮すると、脇見運転の事実をもってしても、正常な運転が困難な状態にあったと認めるには足りないと言うべきである。

 さらに、事故前後における被告の言動中には、酒に酔っていたことをうかがわせる事情が存在する一方で、被告がいまだ相応の判断能力を失ってはいなかったことをうかがわせる事情も多数存在する。しかも、事故の48分後に実施された呼気検査の結果において酒気帯びの状態にあったと判定されていることからすれば、酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない。

 以上を総合すれば、事故当時、被告がアルコールの影響により正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない。


福岡地裁は「危険運転致死傷罪」で規定された「正常な運転が困難な状態」について総合的に判断している。アルコール検査の数値はあくまでも多くの要素のうちの一つにすぎない。
「逃げ得」論は被告人が「逃げ」て「水を飲んだ」ことがアルコール検査の数値を下げたとしているようだが、それには大いに疑問がある。
被告人が事故後「逃げた」のは距離にして300mだという。

車転落事故で飲酒追突の福岡市職員逮捕…長男死亡、犠牲3人に : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 事故は対向車線を走っていたタクシー運転手らが通報。今林容疑者は事故後、すぐに車を停車させず、逃走しようとしたが、約300メートル走ったところで車が故障した。

 署員が駆けつけた時は徒歩で現場に戻っており、「自分が運転していた」と申し出た。


アルコール検査をごまかすため飲んだ水は最大4リットルであり、水を口にすることは警官も認めていたという。

「今林被告は飲酒運転20回」公判で友人証言 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 幼児3人が犠牲になった福岡市東区の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた同市東区奈多3、元市職員今林大(ふとし)被告(22)の第2回公判が19日、福岡地裁=川口宰護(しょうご)裁判長=で開かれ、事故直後、今林被告から身代わりを依頼されて断り、現場まで水を運んだ友人男性の証人尋問があった。

 男性は「警察官が『そろそろ飲酒検知を始める。水を飲むならうがいぐらいにして』と今林被告に話した。『水を飲むな』とは言わなかった」と証言した。

 男性は「2リットルのペットボトル2本に水道水を満タンに入れて運んだ。(今林被告は)少し目が充血していた。酒のにおいがしたが、ふらついて歩いてはなかった」と述べた。


「300m」と「(最大)4リットルの水」がはたしてアルコール検査の数値を下げるのにどの程度役立ったのか。私は医学知識がないのでわからないが、ほとんど効果はないだろうと思っている。
「300m車を走らせて歩いて戻る」ことで稼げる時間はどれくらいかといえば、せいぜい10分だろう。実際のところ「署員が駆けつけた時は徒歩で現場に戻って」という状況であり、逃走は時間稼ぎのためにはまったく役立っていない。むしろ逃げたためにひき逃げの罪が加わり、「逃げ得」どころか逆の結果を生んでいる。
「(最大)4リットルの水」はどうか。劇的にアルコール検査の数値を下げる効果があるのか疑わしい。本当に効果があれば先人によって実践され広まっているはずだ。効果は皆無ではないにしても気休め程度ではないか、というのが私の考えである。被告人を検査した警官が水を口にするのを止めなかった点から見ても、水を飲んでも数値はそれほど下がらないことが推測できる。むしろ裁判官に対して「検査をごまかそうとする悪質さ」を印象付けて逆効果だった。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 ひき逃げの犯行は、酒気帯び運転の発覚を恐れて逃走を図ったもので、その動機は身勝手かつ自己中心的で、酌量の余地はみじんもない。友人に促されるまで事故現場に引き返そうともせず、市役所職員の身分を失いたくないとの自己保身から、友人に身代わりを頼み、浅はかにも水を飲めば飲酒検知の数値が低くなるのではないかと考え、友人に水を持ってきてもらうなどしている。被害者のことなど全く考えることなく、自己保身に汲々(きゅうきゅう)としており、ひき逃げの犯情も誠に悪質である。


こうして自分なりに具体的に考えてみると、今回の福岡飲酒事故裁判において被告人の「逃げ得」は成り立っていないと思う。「逃げた」ことも「水を飲んだ」こともアルコール検査の数値を下げて危険運転致死傷罪の適用を避ける効果があったとは考えられない。
「逃げ得」論を叫ぶ人たちは「数値が0.25mg/Lと低かったのはおかしい、犯人が逃げて・ごまかしたからだ」と考えているのだろうが根拠薄弱である。むしろ警察の検査方法に疑問を抱き批判すべきだ。たとえば「40分後の検査は遅すぎる」とか「検査が不十分ではないか」とか。
あるいは地裁が危険運転致死傷罪の適用を避けた判断を批判するのも結構である。だが、被告人の行動が罪を逃れるために「正解」であるかのような印象を与える「逃げ得」論を叫ぶ必要はない。


具体的な「逃げ得」の事実がないのに声高に「逃げ得」論を叫ぶのは逆効果であり無責任だ。
逆効果というのは頭と良心の弱い人たちが「逃げ得」論を真に受けて「じゃあ俺も逃げてやろう」と思うこと。
無責任というのは、結果的に愚か者を煽って「逃げ得」意識を広めてしまうこと。
仮に福岡地裁の判決が完全な間違いだとしても(私は今のところそう思っていないが)、批判する人たちは「逃げ得」という不必要に劣情を煽る言葉を使わずに「法律の構造的欠陥」や「警察・検察の捜査手法」「裁判官の判断の是非」について具体的に語ってほしい。