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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「水からの伝言」とカードの城

2008年01月23日 | 「水からの伝言」
野次馬と呼ばれても仕方ないが、左翼・リベラル系政治ブログ界の「水からの伝言」騒動はとても興味深い。
人間性や道徳について考える材料をたくさん与えてくれる。

 左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する
 たんぽぽさんと斉藤さん

以前「なぜこれが騒動の火種になるのか不思議」と書いたが、彼らは「批判の存在を否定せざるを得なかった」のである。大切なカードの城を守るために。

らんきーブログ 言葉の結晶

色んな言葉を発せられた水の結晶を見た事がある。
汚い言葉をかけつづけた水の結晶はひどいものだった。
「ありがとう」等の愛のある言葉はダイヤモンドのようにきれいな結晶になります。 
水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更というのは言うまでも無いでしょう。
思っているだけではなく、やはり口に出して言う事は大事な事なのです。
 ※「水の結晶 言葉」とかで検索すると画像も見られるサイトがいくつかありました。
(科学的には証明はされていないということらしいですが・・私的はそれはどちらでもいいことです) 

最後に
「ここまで読んで下さりありがうございました。皆様のお蔭様で今日も書く事が出来ました。
本当にありがとうございます」 
今日の記事は結晶にすると、どんな形になったでしょうか?

【追記:2008/01/07)
なお「水の結晶」の話しは科学的に完全に否定されています。
[参考]「水からの伝言」を信じないでください
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/


騒動の発端となる記事を書いた「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏は、どうやら「言葉が水の結晶(?)の形に影響を与える」という「水からの伝言」(以下『水伝』と表記)の主張を信じてはいないらしい。追記を見るかぎり「科学的に完全に否定されている」ことは理解しているようだ。
だが、ぶいっちゃん氏は「水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更」「科学的には~どちらでもいい」という主張を撤回していない。
ぶいっちゃん氏の現在の態度はつまりこういうことである。

 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

私にはインチキと嘘を「愛」という綺麗事の言葉で正当化しているとしか思えない。
要するに偽善である。自分を騙し、読者を騙し、共に愚者の楽園に向けて行進している。
バカバカしくも痛々しくて見ていられない。

ぶいっちゃん氏と仲間たちは何かといえば連帯・共感・応援・共闘・優しさ…といった「美しい」言葉を並べる。たぶん彼らは「水伝」の主張と同じく「人間の心と『美しい言葉』が直接的に対応する」と思いたいのだろう。だが、彼らがそれを心から信じることは決してできない。
ぶいっちゃん氏自身が「水伝」のインチキ性を知りつつ「水伝」の主張を肯定しているのである。そこには明らかなごまかし、知的・道徳的不誠実が存在する。彼が同じごまかしを用いてニセモノの「連帯」や「共感」を賞賛しないと誰が信じられるだろう。

「水からの伝言」は科学の偽ブランド商品だ。偽ブランド商品を作る連中が詐欺師なのは言うまでもない。
そして、偽ブランド商品をそれと知りつつ「いいものだ」と賞賛し、身につけるのを恥じない人の誠実さは疑われる。偽ブランド愛好家はインチキやごまかしに違和感を持たない人だ。彼らの甘言を信じることはできないし、一緒に仕事をするのは困難だ。

「水伝」がインチキであると知りつつ受け入れ、お互いを「応援」し「共闘」する人たちの道徳的退廃を見ると寒気がする。
嘘のレンガを偽善のシックイで固めた城に住むのは裸の王様だけで充分だ。政治性を自認するブログの書き手が裸の王様を真似るのは滑稽である。しかも、彼らの城はたんぽぽの葉を揺らす程度のそよ風にも耐えられない「カードの城」なのだ。



偽善というテーブルの上に薄っぺらな「連帯」「共感」のカードで建てた城を守るには、真実を運んでくる風の進入を許さない鉄壁の守りが必要である。そして、彼らは見事にそれをやってのけた。たんぽぽさんの「非礼」をなじり、批判に聞く耳を持たず、お互いの連帯感を再確認してカードをさらに高く積み上げた。すでに頭の高さを超え、「TVチャンピオン」の決勝に残れそうだ。
なんという偉業、そしてなんという愚行!
眩暈と吐き気がする。


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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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属人思考の問題も (cap@創難駄クリキンディーズ)
2008-01-24 14:31:40
お久しぶりです。
ずっと拝読はしておりましたが。

この話、エセ科学に対する姿勢が間違っている人が少なくないという科学リテラシーの問題だけでなく、属人思考(事柄自体の是非より人的要素に判断の重きを置く考え方)の問題でもあると僕は考えます。

ぶいっちゃん氏とそのお仲間が、批判を「攻撃」、批判者を「敵」と認識してたんぽぽ氏に敵意を燃やしたのは「賛否と好意・敵意を混同する感情的属人思考」であり、お仲間の方々が、
「同志が攻撃されているぞ、これは一大事だ!」
と、集団的自衛権(の拡大解釈)みたいな感じで客観的には到底正しいと思えないインチキ科学とインチキ論理を応援したのであれば、それは「発言の内容よりも発言者を重視する認知的属人思考」です。
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それはニセ科学ではない (ふま)
2008-01-25 11:50:07
> 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
> 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
> 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

良いか、悪いか、はともかくとして、これが示すところは

ニセ科学ではない

ということです。

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応援ありがとうございます (たんぽぽ)
2008-01-31 23:16:27
玄倉川さま、こちらでは、はじめましてですね。
エントリでご紹介にあずかりました、「たんぽぽ」です。

このたびは、「水からの伝言」の議論に、
興味を持ってくださって、まことにありがとうございます。
一連の議論をとてもていねいに見てくださって、
応援までしてくださり、重ねがさねありがとうございます。

「らんきー」たちが、偽善的だというのは、
わたしも感じていたのですが、それを指摘してくださったのを見て、
「そう思うかたもいるんだ」と、うれしく思っております。
(なんて言ったら、「らんきー」にちょっと不謹慎かな...?)
このエントリを読んで、むかしの市民団体との
議論を思い出して、既視感を感じたりもしていました。

「らんきー」たちが、偽善的と言ったかたは、ほかには見当たらないですね...
今回のことで、「らんきーがああいう人だとは思わなかった」と
見かぎったかたも、ぜんぜんいないみたいですし...
(まあ、そんなものだと言ってしまえば、それまでだけど、
あれだけ人数いるのに、ひとりもいないのは、ちょっと異様かも...)
返信する
はじめまして (シカゴ)
2008-02-24 14:41:38
玄倉川さん、はじめまして。

かつさんのところからやってまいりました。ちょっとお邪魔いたします。

たんぽぽさん、こんにちは。「水伝」の記事は拝見しております。

>見かぎったかたも、ぜんぜんいないみたいですし...

人それぞれに感じ方は異なりそれに対する行動もさまざまなのではないでしょうか。
日本人というのはよかれあしかれ批判を口に出していうことに抵抗を感じるのでしょうね。しかし無言ではあってもそれを何らかの行動では示さざるをえない。今回の件で「見限った」か「評価を変えた」かした方はそれなりにいるのではないでしょうか。

それはほかならぬ『らんきーブログ』に改めて掲載された「おともだち」リンクをみれば分かります。以前載っていたリンク集は膨大なものでした。今回のリンクでぶいっちゃんによって切り捨てられたリンク先はなんらかの形で「見限った」か「評価を変えた」かしたとぶいっちゃんによって認定されたサイトです。私もその一人ではあります。

それはそれとして、私のところには『らんきーブログ』へのリンクは残してあります。まだ完全には見限ってはいないということの表明として。

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サイレントマジョリティ (たんぽぽ)
2008-03-02 15:47:34
シカゴさま、はじめまして。
「たんぽぽ」ともうします。
「水からの伝言」の議論、ご覧くださって、ありがとうございます。

完全ではないけれど、ある程度は見限った、というかたなのかな...?
そうでしたら、「ぜんぜんいない」と、前のコメントで書いたことは、
失礼しましたとおわびいたしますね。

「人それぞれに感じ方は異なりそれに対する行動もさまざま」
なのですから、ひとりくらい、みんなとちがって、
「批判を口に出していうことに抵抗を感じ」たりしないで、
それを言うかたがいてもおかしくない、というのが、
わたしが思ったことだったんだけど...

サイレントマジョリティは、黙っているがゆえに、
動向がわからないので、判断がむずかしいんですよね...
さしあたって、その場の雰囲気に同調していると、
判断するのが、無難なんじゃないかな...?
(じつはむかし、うかつに信用して、ひどい目にあったことがあったりします...)


>『らんきーブログ』に改めて掲載された「おともだち」リンク

あからさまに気に入らない人だけはずすと、しらじらしいので、
「公平を期する」ために、全部はずしたんだけど、
それだと不便だし、本当に好意的な人たちに対して失礼なので、
一部のあきらかにだいじょうぶな人たちだけ復活させた、
というところじゃないかな...?

おともだちリンクに復活していないというだけでは、
ぶいっちゃん氏のほうから見限られたとは、限らないように思いますよ。
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Unknown (シカゴ)
2008-03-10 15:50:53
たんぽぽさん、こんにちは。

サイレントマジョリティもさまざまだと思いますよ。「黙っているがゆえに、動向がわからないので、判断がむずかしい」というのはその通りだと思いますが。まあ、今回は少なからぬ人たちがぶいっちゃんに対する評価を変えたのではないかと私は思っていますが……。

『ことば・その周辺』という私のブログはタイトルからお分かりのように政治ブログでも社会問題ブログでもありません。「ことばとは何か」について私なりに考えたことを少しずつ書いているブログです。中心は言語学と認識論で、実用的な観点からコンピュータの記事もそこそこ、それと仕事がらみで数学や科学の記事が少々といったところです。今回の件に関しては一般論として「科学とは何か」という記事を書いたくらいです。

私の基本的なスタンスは『遠方からの手紙』のかつさんと同じです。たぶんたんぽぽさんはご覧になっていないと思いますが、私の考えについては複数のブログのコメントで表明しております。また、私はかなり前から似非科学批判のブログのリンクを私のブログに載せており、今回はそれに加える形で臨時のリンク集にもそういった記事へのリンクを貼っております。見る人が見れば私の立場はお分かりになるでしょう。

ただ、私は「人間は誰でも誤りを犯すことがある」という考えでこれまでやってきましたし、これからもその考えが変わることはありません。ぶいっちゃんについてもそれは同じでその後を見守っているというだけのことです。一度つながった人間関係をそう簡単に切りたくはないというのが本音のところです。

でも、最近のぶいっちゃんの記事はタイトルを見ただけで(RSSリーダーに登録してあります)読む気が起こらないのも確かですね。いいわけがましいばかりで覇気がまったく見られません。非常に残念なことではありますが、このままでは遠からず見限るということになるかもしれません。
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