玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

根拠なき「逃げ得」論の無責任 その2

2008年01月14日 | 日々思うことなど
ここ数日あちこちの検索エンジンで「逃げ得」について書かれたブログを探して読んでいる。

福岡 飲酒 逃げ得 - Google 検索

正直言って「読む価値があった」と思うものはほとんどない。
判で押したように被告人と福岡地裁の判決に怒りをぶつけて「このままでは逃げ得だ!」「逃げ得を許すな!」と叫ぶばかり。「けしからん!」「許せない!」と叫ぶだけなら小学生にもできる。
福岡飲酒運転事故の裁判において「本当に被告人が逃げて得をしたのか」とか「なぜ福岡地裁が世論に逆らうような『軽い』判決を出したのか」といった具体的な問題について考える人は少ない。残念なことだ。

多くのブログを見て、「逃げ得」論に具体的な根拠がないことに驚いた。
「事故の後で被告人が逃走を図った」「アルコール検査をごまかそうとした」ことは福岡地裁の認める事実である。
そして「懲役7年6月」という判決が世間の期待より軽かったのも間違いないだろう。
だがこの二つの事柄に因果関係があるのか考えた形跡のあるブログはほとんどない。来年には裁判員制度が始まろうというのに、こんなことでいいのだろうか。なんだか恐ろしくなる。

あらためて言うまでもないが、裁判においては因果関係の立証が最も重要である。
「行為A」が「結果B」の原因だからこそ、被告人Aは事件Bの責任を負い処罰される。
因果関係が問題になる例を挙げてみよう。

AがBを殺そうとして飲物に毒を入れた。
実はBには心臓の持病があり、毒入りの飲物に手を伸ばした瞬間に発作が起きて死亡した。

このような場合、被告人Aに殺人罪を適用できるか。
もちろん無理である。Aが殺人の意図をもって毒を混入したのは事実だが、Bはそれを口にしていない。Aの毒とBの死の間に因果関係がない。Aを殺人罪に問うのは無理だ(殺人未遂は成立する)。
素朴な正義感の持ち主が「殺そうとしたこと・相手が死んだことは事実なのだから、細かいことを言わず殺人罪を適用しろ」「これでは逃げ得だ」「裁判所は毒殺を認めるのか」と叫ぶかもしれない。感情的にはわからなくもないが、非論理的な主張である。



福岡の飲酒運転事故の場合、「被告人が逃げようとしたこと・アルコール検査をごまかそうとしたこと」と「『軽い』判決」の間に因果関係があれば逃げ得説が成立する。だが、私の知る限りそのような事実はない。
福岡地裁の判決要旨を見てみよう。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ◆危険運転致死傷罪の成否についての裁判所の判断】
 被告は相当量の飲酒をした上で乗用車を運転し、本件事故を起こした。当時、被告が酒に酔った状態にあったことは明らかである。しかし被告はスナックを出て、事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった。

福岡地裁が危険運転致死傷罪の適用を見送ったのは、被告人の事故当時の運転能力を総合的に判断したためである。特に「事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった」という認定が効いている。もちろん被告人が「逃げる」以前の行動だ。仮に被告人が事故後に逃走を図ろうと図るまいと、水を飲もうと飲むまいと、危険運転致死傷罪は適用されなかった可能性が高い。
逆に被告人は僅かに300m「逃げた」ことにより自ら罪を重くしてしまった。

 ひき逃げの犯行は、酒気帯び運転の発覚を恐れて逃走を図ったもので、その動機は身勝手かつ自己中心的で、酌量の余地はみじんもない。友人に促されるまで事故現場に引き返そうともせず、市役所職員の身分を失いたくないとの自己保身から、友人に身代わりを頼み、浅はかにも水を飲めば飲酒検知の数値が低くなるのではないかと考え、友人に水を持ってきてもらうなどしている。被害者のことなど全く考えることなく、自己保身に汲々(きゅうきゅう)としており、ひき逃げの犯情も誠に悪質である。

「逃げ得」どころか被告人は「自己保身に汲々」「誠に悪質」と厳しく指弾され適用可能な法律による刑期の上限を言い渡されている。逃げずに救助活動をするか、それが無理でもおとなしくしていれば情状酌量が付いたかもしれない。
被告人にとって「逃げ得」どころか「逃げ損」だ。

福岡の事件のことはこれくらいにしておく。検察は控訴する方針だそうであり、高裁で新しい事実が明らかになるかもしれない。


根拠薄弱な「逃げ得」論が広まるのを見て私が恐ろしく思うことは二つある。

・「事実A」と「事実B」を簡単に因果関係で結びつけてしまう危うさ
因果関係についてはすでに書いたがもう一度念を押しておく。
人間の脳には「因果関係ジェネレーター」とでも呼ぶべき機能が備わっているそうだ。事実Aと事実Bの心理的距離が近ければ「AとBのあいだには因果関係がある」と思い込んでしまう。それを利用した商売はどれも繁盛している。たとえば怪しげな健康食品、開運グッズ、血液型性格診断など。どれも「因果関係の思い込み」を巧みに利用している。
ワイドショーを信じて健康食品を買い「効いた」と信じるのはある意味ほほえましい。だが裁判でいいかげんな因果関係をもとに判断されてはたまらない。それこそ冤罪や逃げ得が多発する。「逃げ得」論を叫ぶブロガーの正義感は結構だが、まず事実と論理を重んじてほしい。

・逃げ得を煽る副作用に気付かない愚かさ
こんなことを言いたくはないが、世の中はさもしい人間ばかりである。もちろん自分もそうだ。
「濡れ手で粟」「お買い得」が嫌いな人は少ない。たぶん人間の心の原始的な層に「得」を求める回路がある。
交通事故を起こしてしまったとき、「時間を戻して事故をなかったことにしたい」と誰もが思う。そんなとき「逃げ得」という言葉が頭に浮かんだらどうなるか。混乱し機能低下した脳が「逃げれば自分にとって事故をなかったことにできる」と思わないだろうか。私には自信がない。
「これでは逃げ得だ」と叫ぶのは同時に「こうすれば逃げ得だよ」と宣伝することでもある。飲酒運転するようなドライバーはもともと順法意識は低いから、「逃げ得」の誘惑は特に効くだろう。
逃げ得になるような法の欠陥があれば指摘するのは当然である。だが、思い込みだけで逃げ得論を吹聴するのはそれこそ単なる宣伝、いや、法秩序を破壊する扇動だ。まともな人間であれば扇動の手助けをしてはいけない。


参考リンク
 「逃げ得」説の流布は許されない犯罪助長行為である! - 碁法の谷の庵にて - 楽天ブログ(Blog)
逃げ得説を振りまく人たちこそ、かえって逃走を助長しているということには、彼らは感づいていないのでしょうか。

 「ひき逃げが増えたのは飲酒運転が厳罰化して逃げ得になったから」というのは本当か? - TERRAZINE
世論なんてものは、情報操作でどうにでもなるのさ。

いいように操られたくなかったら、元ソースに当たる。これが絶対条件。

 PBI - 交通行政監察官室