どうやら「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶべきだと思っている)を原則的に禁止することを勧告する報告書が出るようだ。代理出産には重大な社会的・倫理的問題があると思ってきた(カテゴリ「代理出産問題」)私にとっては朗報である。
asahi.com:代理出産「依頼者も罰則」 学術会議報告案
基本的に異論はないので、報告書案がそのまま学術会議の勧告となり国会で速やかに立法されることを望む。
記事中で気になったことが一つある。
子供がほしくても自分で産めない女性はたしかにお気の毒だ。
だが代理出産は「産む権利」ではなく「他者に産ませる」ことである。依頼者側が「産む権利」を言うのはおかしい。
仮に「代理母志望」の女性たちが「自分以外の誰かの子供を産んであげる権利」を言うのであればわかるが、記事はそういう意味には読めない。あくまでも依頼者側の視点だ。
代理出産問題をめぐる報道や世論には朝日の記事に見られるような視点の偏りが多い。
代理出産を「させたい側」の意見や感情ばかりで、「引き受ける側」のことをほとんど無視している。
依頼者は身体的リスクを負わずに子供を手にする。
代理母は時に命の危険さえある出産リスクを冒すのに子供を抱くこともできない。
このごろ派遣労働とかワーキングプアといった問題が話題になる。
「企業が労働者を使い捨てにするのはよくない」というのが社会的コンセンサスのようだ。
それならなぜ代理出産を容認する世論が過半数を超えるのか。私には不思議でならない。
「代理出産」とは端的に言って依頼者が女性を「出産労働力」として使い捨てにすることだ。
子供という果実は依頼者が取り、代理母は身体的精神的負担を引き受けて自己満足を得る。
これが本当に正しいことなのか。美談としてもてはやしていいのか。
依頼者の欲望を「産む権利」と勘違いするのは、滑稽なだけでなく犯罪的な過ちである。
asahi.com:代理出産「依頼者も罰則」 学術会議報告案
日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」(鴨下重彦委員長)は18日、代理出産を原則禁止したうえで、営利目的で行った場合、依頼者や実施した医師、仲介者に刑罰を科す法律をつくるべきだとする報告書案をまとめ、公表した。ただし、研究などで例外的に代理出産を認めることも検討課題として残した。
委員会は、政府の依頼を受けて設置された。報告書案に対し、委員の中には異論もあり、3月末の最終報告まで議論を続ける。
代理出産をめぐっては、日本産科婦人科学会が指針で禁止している。しかし、法律はなく、長野県内のクリニックで50代後半の女性が娘夫婦の子を代理出産したケースや、海外で依頼する例が明らかになっていた。
タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さん夫妻が米国の女性に代理出産を依頼し、双子が生まれたが、東京都品川区が出生届を受理せず、訴訟になった。最高裁は昨年3月、民法上、夫婦との親子関係は認められないとの判決を出す一方、法整備の必要性を指摘していた。
18日にあった委員会では、「遺伝的なつながりがない子宮の中で育つ子どもへの影響はどうなのか」「第三者の体を生殖の手段として使っていいか」など、解禁に慎重論が多く、原則禁止の方向でまとまった。
さらに、学会の指針や国の行政指針では強制力がないことから、法整備の必要性を強調。営利目的での実施には、「依頼者のほか、あっせん仲介業者、妊娠に携わった医師を処罰の対象にすべきだ」との意見が大勢を占めた。日本人が、国外で実施するケースについても「処罰することになろう」としている。
一方で、医師に罰則を科すことに、委員から「国民の意識調査で、半数が認めている行為を罰していいものか」と疑問の声もあった。
また、子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。将来、国の管理下で行う臨床研究のような形で例外的に実施し得るのかどうかなどを、今後の課題とした。
委員会は3月末まで審議を継続し、国に最終報告する予定だ。法整備に向けた議論はその後、国会にゆだねられることになる。委員会のメンバーには「自分たちは考え方を示した。これからは国会が決めなければ、今回の報告も全く意味はなくなる」という声が多い。
ただ、03年に厚生労働省の審議会が代理出産禁止の方針を打ち出した時は、国会で「一律に禁止していいものか」との異論が出て議論が進まず、うやむやになった経緯がある。
今回も、与党議員の中には「個人の価値観で意見が分かれる事案で、法制化は容易ではない」「ねじれ国会で、どこまで議論にのぼるのか」の指摘もあり、法整備への道のりは不透明だ。
基本的に異論はないので、報告書案がそのまま学術会議の勧告となり国会で速やかに立法されることを望む。
記事中で気になったことが一つある。
子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。
子供がほしくても自分で産めない女性はたしかにお気の毒だ。
だが代理出産は「産む権利」ではなく「他者に産ませる」ことである。依頼者側が「産む権利」を言うのはおかしい。
仮に「代理母志望」の女性たちが「自分以外の誰かの子供を産んであげる権利」を言うのであればわかるが、記事はそういう意味には読めない。あくまでも依頼者側の視点だ。
代理出産問題をめぐる報道や世論には朝日の記事に見られるような視点の偏りが多い。
代理出産を「させたい側」の意見や感情ばかりで、「引き受ける側」のことをほとんど無視している。
依頼者は身体的リスクを負わずに子供を手にする。
代理母は時に命の危険さえある出産リスクを冒すのに子供を抱くこともできない。
このごろ派遣労働とかワーキングプアといった問題が話題になる。
「企業が労働者を使い捨てにするのはよくない」というのが社会的コンセンサスのようだ。
それならなぜ代理出産を容認する世論が過半数を超えるのか。私には不思議でならない。
「代理出産」とは端的に言って依頼者が女性を「出産労働力」として使い捨てにすることだ。
子供という果実は依頼者が取り、代理母は身体的精神的負担を引き受けて自己満足を得る。
これが本当に正しいことなのか。美談としてもてはやしていいのか。
依頼者の欲望を「産む権利」と勘違いするのは、滑稽なだけでなく犯罪的な過ちである。