「幻」はすべてが幻というわけではなかった。
「水伝騒動」において
「たんぽぽさんが執拗に謝罪を要求したという認識には事実の裏づけがなく、まさに『幻の謝罪要求』である」
というのがこれまでの認識だった。
幻の謝罪要求
幻の謝罪要求(2)
ぶいっちゃん氏と水葉氏の以下のコメントこそ「幻の謝罪要求」の火元であり、責任のほとんどはこの二人にあると思っていた。
らんきーブログ 色々な人に支えられて・・・ 【感謝と反省】
その認識を修正する必要があることがわかった。
akikoさんという方が情報を教えてくれた。私が見逃していた1月7日のたんぽぽさんのコメントだ。
わんばらんす 敵は本能寺にあり!・・・「大同小異」でいきませんか?
1月7日の時点で「ぶいっちゃんとその賛同者に、自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」と発言している。これを謝罪要求である、と見る人は少なくないだろう。
歯切れの悪い言い方をしたが、私自身はこれを謝罪「要求」だとは思わないのである。それでは何かといえば、喜八氏のお気楽な認識への「切り返し」だ。
言い換えると「そんなに呑気にしてていいんですか?自分たちの非をはっきり認めないと『ぶいっちゃんと愉快な仲間たち』はますます信用をなくしますよ」ということだ。皮肉五割、怒りが三割、忠告が二割。たんぽぽさん自身には自分が謝罪を要求しているという意識はほとんどなかったと思う。「自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」という言葉はレトリック(修辞)として使われている。
もちろん私はテレパスではないので、たんぽぽさんの真意はわからない。もしかしたら「本気で謝罪を要求していた」のかもしれない。だがここでは推定無罪の原則に従って、「謝罪要求の意図はなかった」としよう。
それでも「自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」という言葉が「謝罪要求に見える」のは確かだ。アンケートをとったわけではないが、10人いれば5人から8人くらいは「謝罪要求だ」と思うだろう。
たんぽぽ不利、である。
だが、言葉は文脈・会話の流れの中で理解すべきものだ。「たんぽぽ発言」のあとのコメントを見てみよう。
2008.01.07 23:03 ココロ
2008.01.07 23:32 三介
2008.01.08 08:43 喜八
2008.01.08 17:53 ニケ
2008.01.08 21:42 たんぽぽ
2008.01.09 00:02 ココロ
2008.01.09 00:27 ココロ
2008.01.09 23:23 (管理人のみ閲覧)
2008.01.10 00:56 ココロ
2008.01.12 15:16 三介
2008.01.14 17:51 ココロ
2008.01.15 16:12 ニケ
2008.01.16 20:38 suyap
2008.01.17 16:12 ココロ
2008.01.18 15:11 (管理人のみ閲覧)
15個のコメントが続いているが、一つとして「謝罪」を話題にした発言はない(「管理人のみ閲覧」については不明)。
このことから、「わんばらんす」では「たんぽぽさんが謝罪要求した」という認識は生じなかったのだと推定できる。おそらくたんぽぽさんには謝罪を要求する意思がなかったし、たぶんそれがその場にいた全員の共通認識だった。
急に話は変わるが、生物の進化の過程は決して一本道ではない。
たとえば人類にしても、太古に生きていた多様な化石人類(アウストラロピテクス・北京原人・ネアンデルタール人等)の系統がすべて現代人につながっているわけではない。
ネアンデルタール人 - Wikipedia
ネアンデルタール人は進化の袋小路に入り込み子孫を残せなかった。
現在生きている人間の誰も「ネアンデルタール人の曽曽曽曽曽曽曽曽(略)祖父母を持たない。
私は「わんばらんす」における「1月7日のたんぽぽ発言」もそのような存在だと思う。
だれも「謝罪要求があった」とは認識せず覚えていなかった。それは、私が「幻の謝罪要求」を書いた4月19日から今まで約一ヶ月の間、誰も「1月7日のたんぽぽ発言」に気付かなかったことからも明らかだ。
1月7日のたんぽぽ発言は「子孫」を残さなかったのである。
だが、それを証明することは不可能だ。
「わんばらんす」でコメントを残さなかった読者が「たんぽぽ発言」をどのように受け止めたか知ることは難しい。もしかしたら誰かが「謝罪要求があった」と信じて、そのような「真実」を広めたかもしれない。その可能性は否定できない。
「1月7日のたんぽぽ発言」に対する心証は明るいグレーだ。
ほとんど白だが、絶対に白だとは言い切れない。
たんぽぽ発言を前提として「幻の謝罪要求」が生まれた原因を考えると、私の判断はこうなる(敬称略)。
ぶいっちゃん = 40%
水葉 = 40%
たんぽぽ = 20%
実際以上にたんぽぽさんの責任を重く見たつもりだが、そう思わない人もいることだろう。
「水伝騒動」において
「たんぽぽさんが執拗に謝罪を要求したという認識には事実の裏づけがなく、まさに『幻の謝罪要求』である」
というのがこれまでの認識だった。
幻の謝罪要求
幻の謝罪要求(2)
ぶいっちゃん氏と水葉氏の以下のコメントこそ「幻の謝罪要求」の火元であり、責任のほとんどはこの二人にあると思っていた。
らんきーブログ 色々な人に支えられて・・・ 【感謝と反省】
01.11 01:15 ぶいっちゃん 「例え、私が100正しくとも、子供に頭ごなしに言っても素直に
聞かないこともある。無理強いして「わかったか!謝れ!」と
言っても反発心だけが残るかもしれません。」
01.11 08:06 水葉 「何年も前に書いたものに対しても全てに責任を持ち、釈明や
謝罪の義務を課せられるのなら、もうブログに戻らなくても
いいや、という気持ちにさえなったり・・・。」
その認識を修正する必要があることがわかった。
akikoさんという方が情報を教えてくれた。私が見逃していた1月7日のたんぽぽさんのコメントだ。
わんばらんす 敵は本能寺にあり!・・・「大同小異」でいきませんか?
ココロさん、こんばんは~。
私も「内ゲバは嫌だな~」という気持ちがあります。
これは自戒の念を込めて言うのですが、気にくわない人がいたとしても、いちいち構わないで放置しておけばいいですよ。
それに、ぶいっちゃんをイヂメても世の中はちっとも良くならないですからね(笑)。
そんなことをしているヒマがあったら、政治家や官僚を正面から批判して、自分の記事から、きっちりリンクを張ったり、トラックバックを送ったりするといいんじゃないですかね~。
これ、結構効果があると思います。
(ココロさんにはお勧めしませんが 笑)
そういうこともやらないで、ぶいっちゃんをやいのやいのと責め立てるのは本末転倒だと思います。
2008.01.07 21:03 URL | 喜八 #WE/hy34. [ 編集 ]
喜八さま、こんにちは。
たんぽぽです。
自分たちのまちがいを、無視黙殺しようとする、
ぶいっちゃんとその賛同者たちに非があるのに、
わたしが悪いかのように、責め立てるほうこそ本末転倒ですよ。
こんなところで、わたしの批判をしている時間があったら、
ぶいっちゃんとその賛同者に、自分たちの非を認めて、
おわびするよう、説得してはいかがかな...?
2008.01.07 22:00 URL | たんぽぽ #ZiqE0vWU [ 編集 ]
1月7日の時点で「ぶいっちゃんとその賛同者に、自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」と発言している。これを謝罪要求である、と見る人は少なくないだろう。
歯切れの悪い言い方をしたが、私自身はこれを謝罪「要求」だとは思わないのである。それでは何かといえば、喜八氏のお気楽な認識への「切り返し」だ。
言い換えると「そんなに呑気にしてていいんですか?自分たちの非をはっきり認めないと『ぶいっちゃんと愉快な仲間たち』はますます信用をなくしますよ」ということだ。皮肉五割、怒りが三割、忠告が二割。たんぽぽさん自身には自分が謝罪を要求しているという意識はほとんどなかったと思う。「自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」という言葉はレトリック(修辞)として使われている。
もちろん私はテレパスではないので、たんぽぽさんの真意はわからない。もしかしたら「本気で謝罪を要求していた」のかもしれない。だがここでは推定無罪の原則に従って、「謝罪要求の意図はなかった」としよう。
それでも「自分たちの非を認めて、/おわびするよう、説得してはいかがかな...?」という言葉が「謝罪要求に見える」のは確かだ。アンケートをとったわけではないが、10人いれば5人から8人くらいは「謝罪要求だ」と思うだろう。
たんぽぽ不利、である。
だが、言葉は文脈・会話の流れの中で理解すべきものだ。「たんぽぽ発言」のあとのコメントを見てみよう。
2008.01.07 23:03 ココロ
2008.01.07 23:32 三介
2008.01.08 08:43 喜八
2008.01.08 17:53 ニケ
2008.01.08 21:42 たんぽぽ
2008.01.09 00:02 ココロ
2008.01.09 00:27 ココロ
2008.01.09 23:23 (管理人のみ閲覧)
2008.01.10 00:56 ココロ
2008.01.12 15:16 三介
2008.01.14 17:51 ココロ
2008.01.15 16:12 ニケ
2008.01.16 20:38 suyap
2008.01.17 16:12 ココロ
2008.01.18 15:11 (管理人のみ閲覧)
15個のコメントが続いているが、一つとして「謝罪」を話題にした発言はない(「管理人のみ閲覧」については不明)。
このことから、「わんばらんす」では「たんぽぽさんが謝罪要求した」という認識は生じなかったのだと推定できる。おそらくたんぽぽさんには謝罪を要求する意思がなかったし、たぶんそれがその場にいた全員の共通認識だった。
急に話は変わるが、生物の進化の過程は決して一本道ではない。
たとえば人類にしても、太古に生きていた多様な化石人類(アウストラロピテクス・北京原人・ネアンデルタール人等)の系統がすべて現代人につながっているわけではない。
ネアンデルタール人 - Wikipedia
ネアンデルタール人類は55万年から69万年前にホモ・サピエンスの祖先から分岐した別種で、現生人類とのつながりは無い
ネアンデルタール人は進化の袋小路に入り込み子孫を残せなかった。
現在生きている人間の誰も「ネアンデルタール人の曽曽曽曽曽曽曽曽(略)祖父母を持たない。
私は「わんばらんす」における「1月7日のたんぽぽ発言」もそのような存在だと思う。
だれも「謝罪要求があった」とは認識せず覚えていなかった。それは、私が「幻の謝罪要求」を書いた4月19日から今まで約一ヶ月の間、誰も「1月7日のたんぽぽ発言」に気付かなかったことからも明らかだ。
1月7日のたんぽぽ発言は「子孫」を残さなかったのである。
だが、それを証明することは不可能だ。
「わんばらんす」でコメントを残さなかった読者が「たんぽぽ発言」をどのように受け止めたか知ることは難しい。もしかしたら誰かが「謝罪要求があった」と信じて、そのような「真実」を広めたかもしれない。その可能性は否定できない。
「1月7日のたんぽぽ発言」に対する心証は明るいグレーだ。
ほとんど白だが、絶対に白だとは言い切れない。
たんぽぽ発言を前提として「幻の謝罪要求」が生まれた原因を考えると、私の判断はこうなる(敬称略)。
ぶいっちゃん = 40%
水葉 = 40%
たんぽぽ = 20%
実際以上にたんぽぽさんの責任を重く見たつもりだが、そう思わない人もいることだろう。
1月7日の「わんばらんす」でのたんぽぽさんの発言を引き出したのは、喜八氏のコメントですね。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-642.html
に書いたように、喜八氏は「騒動」が勃発する前の昨年11月22日に、同じ「わんばらんす」でコミュニティ内部での議論を「連合赤軍」にたとえるコメントをしています。
謝罪要求の件もそうですが、「批判派」を連合赤軍にたとえた第2次騒動に対しても、喜八氏が果たした役割は小さからぬものがあると思うのですが、いかがでしょうか?
喜八氏は、
http://kihachin.net/klog/archives/2008/01/rankeyblog2.html
で「ぶいっちゃんと共闘する」とも宣言しています。その後、なぜか沈黙してしまわれましたが(全然共闘してないじゃん)。
幻の謝罪要求の最大の理由は「謝罪して当然」という状況にあって、経緯を見ていた人が「(実際にあろうがなかろうが)謝罪要求が正当なもの」と考えていたからだと思いますが。なので、読み手にも60%くらいあげてください。
>「たんぽぽ発言」のあとのコメントを見てみよう。
>15個のコメントが続いているが、一つとして「謝罪」を話題にした発言はない(「管理人のみ閲覧」については不明)。
>おそらくたんぽぽさんには謝罪を要求する意思がなかったし、たぶんそれがその場にいた全員の共通認識だった。
これは、「タンポポ発言」の「わたしの批判をしている時間があったら」という「私を批判(話題に)するな」に対応しただけでしょう。あとでコメントした人は、「場の空気」を読んだ可能性も。
「謝罪要求」の部分より「わたしの批判をしている時間があったら」の方が問題かも知れません。
>「おわびするよう、説得してはいかがかな.? 」
この部分は、対象を明確に書いていないのでたんぽぽさんも含めての誰かに「謝罪要求」していることになると考えます。
もし、「おわびする」対象が自分(たんぽぽさん)でなければ、誰に「おわびする」のか引っ掛かる所です。
TBくださって、ありがとうございます。
新しい事実の発見、ありがとうございます。
わたしも、すっかり忘れていました。
(うーむ...)
|おわびするよう、説得してはいかがかな...?
この言い回しは微妙で、「謝罪要求の要求」で、直接の要求じゃないですね。
(「発言意図」を言うと、本気であやまってくれるとも、
あやまるよう説得してくれるとも、思ってなかったけど...)
喜八氏は「身内」ですから、説得に応じたとしても、
「批判側からの要求ではない」と言うこともできるけど。
>だれも「謝罪要求があった」とは認識せず覚えていなかった。
察するに、このあと、喜八氏が[2008.01.08 08:43]で、
「自分は、たんぽぽを批判してない」と言っているので、
そこで「事実誤認」扱いされて、このお話はなかったことに
されたのかもしれないです。
これはぶいっちゃんの元日のエントリーでニケ氏がたんぽぽさんに反論した事で事態が悪化した経験から、あえて話題にするのを避けていたのではないでしょうか。
喜八氏は翌日に「ぶいっちゃんと共闘する」というエントリーをあげています。これはたんぽぽさんのコメントを強い謝罪要求、もしくは脅しと捉えたからではないですか?
http://kihachin.net/klog/archives/2008/01/rankeyblog2.html
色々なところでのakikoさんの発言を読むと、どうやってもたんぽぽさんを貶めたいようにしか感じられません。
玄倉川さんに言うよりも、ご自分でご自分なりのまとめを作られて、披露したら宜しいのではないでしょうか?
こうやって小出しに小出しに突くような行為では、印象捜査のように思えます。
今回、発掘された事実では、とても「して回った」というほどの証拠物件ということはできない。
(そして、玄倉川さんがいわれるごとく、その影響力を及ぼした形跡もない)
いつもながら「フェアであろうとする」玄倉川さんの姿勢には頭が下がります。そして、そのように「フェアであろうとする」努力すらも、
事実(*)をねじ曲げる材料にする人たちは、いつまでも勝手にやっていてください。
(*)事実については↓
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51292449.html
>(「発言意図」を言うと、本気であやまってくれるとも、あやまるよう説得してくれるとも、思ってなかったけど...)
どう書こうか迷いますが、たんぽぽさんが「発言意図」として「本気であやまってくれるとも、あやまるよう説得してくれるとも」と書いてしまうと、これまでの発言「わたしは、もちろん、謝罪の要求をしたことなど、ぜんぜんないです」との整合性がとれなくなってしまうでは。発言意図としても自分(たんぽぽさん)は「謝罪の要求していない」すべだと考えます。訂正した方がいいと思います。
おひさしぶりです。
さきのコメントは、「期待してない→要求のつもりはない」のつもりでした。
>「期待してない→要求のつもりはない」のつもりでした。
すいません。上の引用文は、(発言意図として謝罪を)「期待してない」→「発言意図として謝罪要求のつもりはない」でしょうね?
それでも「つもり」はまずいのではと考えます。発言者が「発言意図」を「つもり」として書いてしまうと読み手に判断(解釈)させることになります。だからたんぽぽさんの書いた文との整合性をとるなら「要求はない」とするべきだと考えます。(2008.01.07 22:00)の文の「発言意図」として書いた文だからです。