玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

野狐禅リベラルの後悔

2008年04月18日 | 「水からの伝言」
少し後悔している。格好つけすぎた。何様のつもりだ俺は。

身の程知らずにも「リベラル」(以下目障りなのでLと表記)について自分なりの考えを二回書いた(こちらこちら)。
書いたことが間違っているとか自分に嘘をついたとか思わないけれど、ずいぶん恥ずかしいことをしてしまった。後悔が入道雲のように湧きあがる。
自分はLについてろくに勉強したことがない。それなのになぜLを自称しているかといえば、中立を名乗るのはおこがましくて落ち着かず、左翼や右翼、保守主義や進歩主義を名乗るのは気が進まず、かといって個人主義を標榜するには稼ぎが足りず、あいまいで使い勝手がいい「リベラル」という言葉に引かれたというのが本当のところだ。
子供のころにケネディの伝記を読んで「Lってカッコいい!」と思い込んだのも原因の一つである。大人になって「ベスト・アンド・ブライテスト」を読みケネディ政権の内情に「…」という思い(どんな思いだ)を抱いたけれど、それでも「なんとなくL志向」は変わらなかった。
つまり私は自称L、なんちゃってL、付け焼刃L、気分だけL、知識も覚悟も鼻糞ほどの野狐禅Lであり、そんな奴の書いたL論もどきなど本来は人様のお目にかけるようなものではないのだ。

いまさら後悔しても遅いので、せめて誤解を防ぐためいくつか言い訳を並べる。

■ 宣伝ではない
リベラリストは「良心と理性に従って自由に考え、同時に他者の自由を尊重する。」なんてきれいごとを書いた。それは嘘じゃないけれどやっぱり嘘なのだ。禅宗のお坊さんがすべて仏陀と同じ悟りの境地に達するわけではないし、Lを名乗る人がみなそんなに立派であるはずもない。「そうだったらいいのにな」という話であり、それはたぶん夕食がカレーである確率と同じくらいだ。

■ 常に立派だったり正しかったりするわけではない
Lはときに独善的であり、現実から目をそむけ、浮世離れした理想を振りかざし、自己満足のため常識的な人たちに迷惑をかけ、知ったかぶりで恥を知らず、言いたいことを言って責任をとらず、興奮しやすくて考えが浅く、社会への要求は多いが納税額が少なく、無駄に疑い深いくせに騙されやすい。…と、思うことがよくある。
L派言論人・市民運動の具体的な行状についてはHALTANさんが何度も批判している。

躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌

リベラル・左派・市民運動系のダメさ加減についてはまじめに働いたり考えたりしている人ほど実感しているようだ。私はどうしようもない怠け者なのでよく知らないけれど。無能な働き者はなるべくおとなしくしてくれたほうが社会のために役立つ。

■ 集団でも運動でもない
身のほど知らずなL論を二回も書いたのはLを「集団」「運動」の問題として批判した文章に対する違和感からだった。私にとってLとはまず思想であり生き方の問題である。Lを仲立ちにした集団や社会運動はあって当然だが、それが全てではないはずだ。
「共闘」や「批判スキル」といった問題(それ自体は大事なことだ)をL論の本質のように語られると、政治論と称して選挙対策ばかりを聞かされたような嫌な感じがする。

■ そもそも自分はLなのか
自称Lを変えるつもりはないけれど、時と場合によって立場を変えている自分に気付く。
皇位継承については男系維持(伝統主義)、政治は小泉・麻生ファン(体制派)であり、憲法改正には前向きで、単純労働者の移民は受け入れるべきでないと思っている。どれも日本の(左寄り)正統派Lの人たちから顰蹙を買うのはまちがいない。
それでも「自分を曲げて大勢に合わせるのがLじゃないだろう」と開き直っている。ただのオポチュニストかもしれない。


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1 コメント

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引き受けるしかない。 (jabberwock)
2008-04-19 10:21:48
玄倉川さん
このエントリーを上げられたお気持ち、わかる気持ちでいます(なぜ、わかるかは、あえて書きません)。しかしそれでも、最近二つのエントリーに関して、私は(いまでも!)同意します。もちろん、私もまた、今回の成り行きについては、批判される立場にあり、非難されることもあるかもしれませんが。反省すべきは受け容れながら「でも、ここは間違っていなかった」といいつづけるしかないと思っています。

下記コメント欄に、現時点の私の考えを述べました。ご一読いただければ、光栄です。

http://ch06683.kitaguni.tv/e516117.html#comments

(2008年04月19日 09:57のコメントです)
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