とあるブログで、というか別に隠すこともないのではっきりさせるが、NewsOLさんという方のブログでこんな質問をされた。
世の中を騒がすニュースとOLの妄想 : 【想像力を働かせるということ】について考える
私はこう答えた。
「不親切な奴だな、ちゃんとまじめに答えてあげればいいのに」とお思いになる方もいるだろう。
なぜ私が無意味だと切り捨てたのか書いてみる。
書いてはみるが、これを無意味な質問と思わない人が世の中にたくさんいるのだろうとも思う。
「共に考え・その考察を互いに深めてきたと私は思っていたのですが、
玄倉川さん、あなたにとってはそうではなかったのでしょうか…?」
という問いを私は「あなたはコミュニケーションの相手として信じられる人なのか」という意味に捉えた。
そんなことを相手に聞いてどうするのだろう。
私が「はい」と答えれば信用して「考察を互いに深め」るのか。
「いいえ」と言えば信用できない奴だと思ってあきらめるのか。
安直と呼ぶのにも値しない無意味な質問だ。
ここに「友人面したインチキ野郎」と「口の悪い友人」がいるとする。
二人に「私が困ったときに助けてくれますか、信用していいですか」と聞いてみよう。
友人面したインチキ野郎は「もちろんです、あなたは大事なお友達です」と言う。
口の悪い友人は「お前みたいなバカのために指一本動かす気はないよ」と答える。
さて、私はどちらを信用したらいいだろうか。
どちらを信用するか決めるのに「質問」は何の役にも立たない(インチキ野郎がカモを引っ掛けるのには役立つ)。
口の悪い友人は憎まれ口を叩いたが、まじめな友人ならインチキ野郎と同じ答えを返す。賢いインチキ野郎なら口の悪い友人の真似をするだろう。どちらの答えを得ても相手の正体は明らかにならない。
無意味な質問をして得られる答えはゴミであり、混乱を深めるだけだ。
しばらく前に数学・科学関係の本を何冊か読んだ。
「フェルマーの最終定理」か「ガリレオの指」「ポアンカレ予想を解いた数学者」のどれかだと思うけれど、「優れた質問をすることは答えを得るのと同じくらい価値がある」という言葉があった。私は「無意味な質問をされるのは答えを見失うのと同じくらい情けない」と思う。
世の中を騒がすニュースとOLの妄想 : 【想像力を働かせるということ】について考える
言葉の使い方の難しさ、コミュニケーションの難しさについて、
私のブログのコメントのやり取りを通じて、
共に考え・その考察を互いに深めてきたと私は思っていたのですが、
玄倉川さん、あなたにとってはそうではなかったのでしょうか…?
私はこう答えた。
無意味な質問ですね。
「そうだ」と答えても「そうではない」と答えても私にとっては同じです。
NewsOLさんの好きなようにお考えください。
「不親切な奴だな、ちゃんとまじめに答えてあげればいいのに」とお思いになる方もいるだろう。
なぜ私が無意味だと切り捨てたのか書いてみる。
書いてはみるが、これを無意味な質問と思わない人が世の中にたくさんいるのだろうとも思う。
「共に考え・その考察を互いに深めてきたと私は思っていたのですが、
玄倉川さん、あなたにとってはそうではなかったのでしょうか…?」
という問いを私は「あなたはコミュニケーションの相手として信じられる人なのか」という意味に捉えた。
そんなことを相手に聞いてどうするのだろう。
私が「はい」と答えれば信用して「考察を互いに深め」るのか。
「いいえ」と言えば信用できない奴だと思ってあきらめるのか。
安直と呼ぶのにも値しない無意味な質問だ。
ここに「友人面したインチキ野郎」と「口の悪い友人」がいるとする。
二人に「私が困ったときに助けてくれますか、信用していいですか」と聞いてみよう。
友人面したインチキ野郎は「もちろんです、あなたは大事なお友達です」と言う。
口の悪い友人は「お前みたいなバカのために指一本動かす気はないよ」と答える。
さて、私はどちらを信用したらいいだろうか。
どちらを信用するか決めるのに「質問」は何の役にも立たない(インチキ野郎がカモを引っ掛けるのには役立つ)。
口の悪い友人は憎まれ口を叩いたが、まじめな友人ならインチキ野郎と同じ答えを返す。賢いインチキ野郎なら口の悪い友人の真似をするだろう。どちらの答えを得ても相手の正体は明らかにならない。
無意味な質問をして得られる答えはゴミであり、混乱を深めるだけだ。
しばらく前に数学・科学関係の本を何冊か読んだ。
「フェルマーの最終定理」か「ガリレオの指」「ポアンカレ予想を解いた数学者」のどれかだと思うけれど、「優れた質問をすることは答えを得るのと同じくらい価値がある」という言葉があった。私は「無意味な質問をされるのは答えを見失うのと同じくらい情けない」と思う。
エントリー内容、興味深く読ませていただきました。
確かに、ゴミのような質問をしても意味はないですね。
わかりやすい例えで思わず笑ってしまいました。
私は、読解力、文章表現力に加えて、質問力も
磨かないといけないと改めて反省しました。(^^;)
玄倉川さんと意味のある対話ができるようになるためには、
様々な面でのスキルアップが必要のようです…。
一日で突然別人のように変わることは難しいと思いますが、
毎日、少しずつでも成長できるように努力を重ねますので、
口の悪い友人(←勝手に決めつけてしまいました)として、
本音ズバリのご意見を下さることを望みます。
今後とも馴れ合いではなく、本気のおつきあいをどうぞよろしくお願いいたします。
私は今のところNewsOLさんの友人になれる自信がありません。
いい年をして無邪気すぎる大人の友達になるといろいろ厄介ですから。
記事にある「友人」に少し反応させていただきます。
人はどのような年月を、体験を積み重ね経験化する過程を経て、然る後に友情としか名付けえぬ他者との関係を自らのものとするのか。それは年月の問題ですらないのかもしれない。
友情とは無償の行為であり、それを他者に求めるときに他者に負わせるものを想像しえたら、軽々に口に出しえるものではない。それを無償の行為として成しうる精神の交感が互いに存在しえるときはじめて、友情は確固たるものとして互いに存在する。それは相互なのか否かすらその時点では互いに問題でなくなっている。
お付き合いと友情は似て非なるものですらない。本気という言葉を冠した時のその覚悟のほどはいかばかりか。あまりにも無邪気な受容は、他者への思いやりの欠如であり想像力の貧困である。
これは、NewsOLさんへの横レスではなく、一般論として「友情」についての感慨を述べたものです。
これが無意味な質問とは思いませんが?いくら対話しようとしても相手がダメージを与える事しか考えていなければ通じませんから。
このエントリーを読んで思い出したんですが(全く関係ない話でスミマセン)、口が悪くてユーモアのセンスもない人ってリアルで会うと扱いに困るんですよね・・・
少なくともぼくには無理なようです。多分「人間力」の不足なんでしょうけど。
過分な評価をいただくと困ります。いや本当に。
私は友達がほとんどいませんからご立派な綺麗事が書けるのです。ただそれだけのことです。
>傍観者さん
そうですか。
>poohさん
「お世辞を言う ←→ 喜ぶ・お世辞を返す」
という反応がデフォルトの場所に行くと私は息苦しくなり窓を蹴破りたくなります。
コミュニケーションの温度が高いのは苦になりませんが、湿度が高いとベタベタして不快です。
>どちらを信用するか決めるのに「質問」は何の役にも立たない(インチキ野郎がカモを引っ掛けるのには役立つ)。
言葉より日頃の行動ですよね。
>「お世辞を言う ←→ 喜ぶ・お世辞を返す」
という反応がデフォルトの場所に行くと私は息苦しくなり窓を蹴破りたくなります。
穏やかな方を想像していたので、意外でした。この状況はほんとに気持ち悪いです。
ところで私は今まで何故疑似科学と911陰謀論を結びつけて語られるのか不思議に思っていたのですが玄倉川さんのエントリーを読んで、ふとこういう事なのかなと理解しました。
玄倉川さんは発言の内容よりも誰の発言かを重視する
↓
「911公式見解はお上が言っている事なので多少の矛盾や疑問点があっても間違っているはずがなかんべ~」と無邪気に思っている
もしそうなら、玄倉川さんもナントカ大の教授が・・・等と説明されたら案外簡単に疑似科学を信じてしまう様な気がします。
そう言う手合いに対しては、論理で説明しても意味がないんですよね。それで、敵か味方かを判断するのは、自分を褒めてくれたとか、言葉遣いが気に入らないとかそのような他愛もないことだったりします。