玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「私闘」という言葉

2008年05月26日 | 日々思うことなど
ひとつの言葉をめぐっていくつかのブログで論争が起きている。

十数年前を見ているようだ :: 事象の地平線::---Event Horizon---
「私闘」でけっこう、「私闘」でなにがわるい? - 遠方からの手紙
「私闘」についてのメモ - PledgeCrewの日記
きまぐれな日々 「水からの伝言」騒動は「共感対論理」?、「私闘対公論」?
「私闘」宣言 - nagonaguの日記

「私闘」という言葉の意味について二つの意見がある。
ひとつは「多くの辞書に『個人的な恨みよる争い』に類した説明がある、これこそが正しい解釈だ」とするもの。
もうひとつは、「恨み以外の個人的理由による争いも『私闘』と呼んでいい、辞書の解釈は偏っている」とするもの。
私は後者の意見だ。「私闘」を「恨みによる争い」に限定するのは不自然としか思えない。

そう思うのには理由がある。
「私+○」という形の単語は多いが、ほぼすべてが漢字をそのまま開いて読めば理解できる。字面にない意味(「恨み」など)が含まれるのはたいへん特殊である。
具体的に例を挙げる。
「私+○」の単語は3種類に分けられる。「『私』を公・官・国などに入れ替えて反対語を作るもの」「入れ替えられないもの」そして「略語」だ。

■A 「私」を公・官・国などに入れ替えられるもの
  私費 <> 公費
  私服 <> 制服
  私益 <> 公益
  私有 <> 公有・共有
  私物 <> 官物
  私邸 <> 公邸
  私的 <> 公的
  私党 <> 公党
  私道 <> 公道・国道
  私憤 <> 公憤
  私法 <> 公法
  私立 <> 公立・国立

■B 入れ替えられないもの
  私案 
  私怨
  私刑
  私語
  私財
  私宅
  私利

以上の二種類はすべて「私+○」を「個人の○」「個人に関わる○」と読み替えて何の問題もない。
私費は個人の支払う費用であり、私案は個人的な考えであり、以下同様だ。

もうひとつ、略語としての「私+○」という系統がある。

■C 略語としての「私+○」
  私学 「私立学校」の略
  私大 「私立大学」の略
  私鉄 「私有鉄道」の略

こちらは「個人的な○」と解釈するとおかしなことになる。
私学は個人的な学校ではないし、私鉄は個人的な鉄道ではない。

それでは「私闘」という言葉はどうかといえば、その中のどれにも当てはまらないのである。
A群・B群のように素直に漢字を開いて「個人的なたたかい」と理解すれば辞書の説明と違ってしまう。
どこからか「恨み」を探してきてはめ込まなければならない。なんとも不自然だ。

C群のような略語だとしたらどうだろう。
私闘とは「私怨による闘争」の略であれば、「恨み」の出どころについて悩まずにすむ。
しかしそれも妙なのである。
私学・私大・私鉄はまず正式な呼び方があり、便宜として略語が作られた。
「私闘」の場合はその元となるべき正式な呼び方が見つからない。
仮にあるとすれば「私怨闘争」だろうが、私がこれまで見たことのない言葉だ。

はっきりした結論は出ないが、私の意見は変わらなかった。
「私+○」の形の単語は「個人的な○」「個人に関わる○」と理解するのが一般的であり、「私闘」だけを特別に「私怨によるたたかい」とする多くの辞書の説明にはかえって無理がある。「私怨闘争」の略語だとすれば納得できるが、そのような言葉は存在しない。


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23 コメント

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「私闘」の由来 (taka)
2008-06-02 07:24:08
大型辞書の日本国語大辞典では(広辞苑とは格が違う)「個人的な恨みなどによってたたかうこと。私怨による争い。」とあります。

と、ここで終わると「辞書通り」なんですが大型辞書の強みは凡例があることで「太閤記」と「史記」が引用されていました。

史記では「民勇於公戦、怯於私闘」とあり私闘の日本語での扱いが故事成語に近いものであることが伺えます(ゆえに公闘という語がない)また対になる言葉として「公戦」が挙げられていますが、これに対しては「私戦」という言葉がありこちらは単純に「私的な戦い」を意味するようです。

太閤記のほうでは私闘に対して「公勇」が使われていて単なる公の戦いではなく義勇軍的な戦う意義のほうを強調する言葉と対比されています。

自分自身は辞書通りの意味で理解していたので今回調べて追認を得た形なんですが、言葉は生き物ですから玄倉川さんのような捉え方の人が増えると今の国語辞典の意味は古語辞典に載るようになるかもしれません。

あと「自分の言いたいことを曲げる」と「読者から見て適切な表現を使う」は対立項ではないと思うので、玄倉川さんの論説が対峙する論客によって表現ゆえに反論の根拠にならなければいいなーと思います。「読解力の低い読者に合わせてまだるっこしい説明をつける気はありません」なんて表現されると(表明ではないと受け止めます)エリート主義者?と読まれかねないですし、この表現が玄倉川さんの標準なら自制した表現でも十分気の利いたそして挑発的でない文章になると思います。
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Unknown (SHR)
2008-06-01 14:45:54
玄倉川さん、ご返答ありがとうございました。

>外国語を勉強してるわけじゃないんですから。

玄倉川さんがこのフレーズを「日本語独自の文化を鑑みるべき」という意味で使用したのか、「母国語で会話しているのだから」という意味で使用したのかわかりませんが、私はまさに、英文を書くときに辞書の意味をきちんと理解して単語を使用する大切さを実感しています。たとえば「賢い」という意味の英単語を使用したい場合、wise, clever, smart 等は全て“賢い”という意味を持ちますが、ニュアンスはそれぞれ違います(英英辞書に書いてあります)。読み手は、文脈から“どういうニュアンスの『賢い』なのか”を読み取るのではなく、それぞれの単語のニュアンスの差を理解したうえで文意を汲み取ります。
一方、私のように英語を母国語としない人間の書いた英文では、しばしば上記のような「単語のニュアンスの差」が正しく理解されずに単語が使用されています。そのような文章を読む場合、「筆者は英語力が低いので、単語のニュアンスを正しく理解していないだろうから」と考えて、辞書の“ニュアンス”に関する部分をなるべく読み取らないようにする方が正しく意図を理解できるでしょう。

上述の例と同じ事は日本語においても当てはまると私は考えます。単語のニュアンスの書き分けができている文章には惹かれるものがあります。また、“辞書のニュアンス”を踏まえない文章というのは、語彙力の低い書き手による文章であると判断されても仕方ないと思います。
もちろん玄倉川さんの仰る「まともな大人の読解力」を持つ人なら、自分流に単語を操る筆者の文意をも読み取れるかもしれませんが、例え読者が文意を誤って読んだとしても、それは「読者の読解力がまともではない」のではなく「書き手の語彙力又は文筆力の不足」と考えて改善すべきだと思います。

但し玄倉川さんは

>読解力の低い読者に合わせてまだるっこしい説明をつける気はありません。

と仰って、ある意味読者を選択されている、つまり広義の意味での“蛸壺コミュニケーション”を妥協するお覚悟があるようなので、別に変える必要は無いのでしょう。上記の「改善すべき」というのは私自身に向けた言葉です。

>「馬鹿」をほめ言葉として使うこともあるでしょうし、「賢い」を悪意を持って使うこともあるでしょう。

これは例としては不適切ですね。仰られた内容自体はその通りですが、この例においては「馬鹿」「賢い」が辞書と違った意味で使われているのではなく、「馬鹿だけど愛しい」とか「賢くて卑怯」の様な文脈で使用されており、その「・・・だけど愛しい」「・・・くて卑怯」の部分を文脈から読み取らせているわけです。

以上ダラダラと感想文を書かせていただきまして、お目汚し申し訳無いです。以下、お返事です。

>適切と思われる場合に、適切な使い方をするつもりです。

お役人答弁・・・言い得て妙ですね(笑)。
明に書くと、「辞書通りに怨みの意味を込める時もあるし、私的解釈通りに怨みの意味を込めないる時もある」という事ですね?
とりあえず、「辞書通りの意味で使う事もある」という事が確認できて、私の質問の目的はある程度果たせたと考えます。ありがとうございました。
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Unknown (玄倉川)
2008-06-01 07:44:04
>SHRさん
言葉の使い方はシチュエーション、文脈、想定される読み手、などによって決まります。
ひどい言葉でもハマれば痛快なギャグになり、ご立派な意見も場をわきまえなければ滑ってしまう。
今回の「私闘」騒動は、著者のパーソナリティー・文脈・カッコ付の「私闘」という表現が一部(あるいは多く)の読者に理解されなかったことからおこりました。私自身はたんぽぽさんの表現が不適切だとはぜんぜん思いませんが、「騒動」が起きたことからみて不適切なのは明らかだ、とする人がいるだろうと思います。

「しかし、何の注釈も無く綴られた言葉には、読み手は人口に膾炙した意味=辞書の意味を読み取ります。」
同意できません。外国語を勉強してるわけじゃないんですから。
目にしたことのない言葉ならともかく、「私闘」くらいなら「辞書=正解」だけじゃなくて文脈から適切な意味を読み取るのが私の考える「まともな大人の読解力」です。

「玄倉川さんは今後「私闘」という言葉をどのような意味で使用されるおつもりですか?」
適切と思われる場合に、適切な使い方をするつもりです。
お役人の答弁みたいですが、ほかにどういえばいいのか思いつきません。
言葉の使い方をあらかじめガチガチに決めておくつもりはありません。
「馬鹿」をほめ言葉として使うこともあるでしょうし、「賢い」を悪意を持って使うこともあるでしょう。
誤解は避けたいですが、自分の言いたいことを曲げるのもいやです。
読解力の低い読者に合わせてまだるっこしい説明をつける気はありません。
そのあたりのバランス取りは難しく、たぶん完全な解決はないのだと思っています。
返信する
ツールとしての言葉に対する態度 (SHR)
2008-05-31 16:24:46
はじめまして。

言葉は時代によって意味や使われ方が変化するものですので、今回のエントリーのような検証は興味深いです。しかし、何の注釈も無く綴られた言葉には、読み手は人口に膾炙した意味=辞書の意味を読み取ります。

もちろん、書き手は辞書から逸脱した用法で言葉を綴る自由がありますが、その書き手の想定した私的な用法を読み手に期待するのは無意味ですので、書き手は「意図を誤解されるリスク」を背負う必要があります。(この場合飽くまで、読み手が“誤読”を犯すのではなく、書き手が“誤解”させるのですが。)

ご質問させていただきたいのですが、エントリーの結論の続きとして、玄倉川さんは今後「私闘」という言葉をどのような意味で使用されるおつもりですか?誤解を承知で何の注釈も無しに任意の場面で、“私闘という単語に怨みの意味は無い”というスタンスで使用されますか?
それとも、玄倉川さん的解釈は解釈として、実用面では辞書用法に従いますか?
返信する
玄倉川さん (pooh)
2008-05-30 07:42:37
わきまえます。
返信する
叩き台 (玄倉川)
2008-05-30 01:06:05
>aliceさん
いえいえ、こちらこそありがとうございました。
またおいでください。

>ひでさん
「幻の謝罪請求」シリーズはあくまでも叩き台のつもりなのですが、事実と論理で叩いてくれる人が現れなくて困ってます。印象批評をした人は何人かいましたが。

>たんぽぽさん
私はコメント欄で派生的な議論が起きることを好みません。
まだ続くようであればたんぽぽさんのところでお願いします。
poohさんにもそのようにお願いします。
返信する
Unknown (たんぽぽ)
2008-05-29 20:11:58
poohさま、こんにちは。 たんぽぽです。
そのようにお考えのこと、はなはだ遺憾と、はじめにもうしあげます。

>ぼくはごく最初の時点でその私闘に与しないことを表明し、
>「好意的でない」との評価をいただきました。

これは、なんのことか、わからないんだけど...
最初にあなたのことを、「好意的でない」と思ったことがあるとしたら、
「たんぽぽは、数で論の正当性をしめそうとしている」と、
言われたことだと思うけど、このことでしょうか...?

「私闘」に参加しないから、「好意的でない」とは思ってないですよ。
(興味ないのなら、それはそれで、無理もないことですし...)
ただ、関心がなさそうなそぶりでいて、エントリを上げてくるのは、
不可解だし、あまりいい気持ちではなかったけど...


>レッドカーペット

具体的に、どことどこなのかは、想像がつくけれど...
(以下、わたしの想像する2か所が、あたっているとして。)

おふたりとも、それぞれ思うところがあって、
異論反論を唱えているのだと思います。
わたしのために、「露払いの如く登場して論陣を張」ったんじゃないでしょう...
というか、どちらも、あなたの親しいかたに、
不本意に議論を仕掛けられたんじゃないですか...?

わたしが出てくるのが遅いのが、なにかあると思っているのかな...?
単に書くのが遅いだけですよ。(これは、本当に、ごめんなさいね...)

>潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、
>と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

「そうか、これが、たんぽぽ(たち)の
『私闘』というものなのか」とおっしゃりたいのかしら?
「つぶれた」のかどうか、知らないけれど、
わたしが想像する2か所は、論が正当じゃなかったからだと思います。
はじめられたのも、あなたたの親しいかたなのですし、ご自分(たち)の中に、
反省材料はないかと検討されたいと思います。
返信する
あえて的を外しますが (ひで)
2008-05-29 19:51:10
この騒動が本当に深刻だと感じることは、本来、批判した側であるはずのたんぽぽさんの記事内の一語の意味やニュアンスまで分析されるのに対して、批判された側に対しての同様の行為が非難されると言うことではないかと思っています。

これ自体、何度も指摘されていることですが……

元エントリーが多くの問題性を内包していたためにたんぽぽさんの批判の対象となったにも関わらず、その問題に対する議論を深めることが出来ていない。

今回の「私闘」についても、全体の文脈からニュアンスを読み解けば、ほとんど問題にならないなずなのですが、誰かがそれを指摘すると、その分析に躍起になっている現状があります。

また、「幻の謝罪要求」についても同様で、玄倉川さんのご努力で、本来は議論全体の方向修正に使えるはずのものだったはずが、なぜか問題提起のように捉えられ足踏みしています。

多くの人が多くの時間を費やして、様々な視点に触れられたことは有意義でしたが、本来、これは議論の副次的な産物のはずで、本来の議論に戻りたいというのが実感です。
返信する
Re:語感 (alice)
2008-05-29 19:30:22
重ね重ねすみません。

つまり、意味的には「私的論争」もしくは「私論」と同じなのですね。
また玄倉川さんとしては「私闘」の方が締まった感じがするということなんですね。

お返事、どうもありがとうございました。意味合いがわかれば、私としては満足です。

もちろんたんぽぽさん自身の真意そのままかどうか、断定するつもりはありません。玄倉川さんが第三者として経緯を知っている方だと思いまして質問しました。重ねてお礼申し上げます。
返信する
語感 (玄倉川)
2008-05-29 19:19:56
>aliceさん
「~といったニュアンスがこめられているように感じます。」
そういうニュアンスを感じる人は多いようですね。
私はむしろ漢字そのままに「わたくしの(個人的な)たたかい」という意味に解釈して特別なニュアンス(「私利私欲」「不当な公的圧力に対する孤独な戦い」等)を感じないほうです。字面にないニュアンスを感じる人がなぜこれほど多いのか私には分かりません。

「単なる私的論争とは異なる意味合いをこめたということなんでしょうか?」
私はたんぽぽさんじゃないので真意はわかりませんが。
「私的論争」と書くとなんだか悠長です。「私闘」のほうが締まっていてカッコいい。私があの文脈で文章を書くとしたら、やっぱり「私闘」を使いそうな気がします。
返信する
私論なら (alice)
2008-05-29 18:49:09
aliceと申します。

新参者で、全部の経緯を追っかけておらず申し訳ないのですが、もしよろしかったら教えて下さい。

まず思ったのは、たんぽぽさんが「私闘」という言葉を使わず、「私論」とか「私的論争」と書いてあれば、するっと読めてしまったはずだということです。

「私闘」という言葉のイメージは、「私論」や「私的論争」とは異なり、「私利私欲」もしくは「不当な公的圧力に対する孤独な戦い」といったニュアンスがこめられているように感じます。Webで少し調べた限りでは、私闘は、日本では武家などが自分の土地を守るために行う戦いについてしばしば使われたようです。あとは、「空手に私闘なし」とか言われるようです。最近ではやはり政治的な文脈で使われることが多いように思いました。
不思議といくつかのオンライン和英辞書で英訳しようとしても「私闘」は出てきませんでした。

それでここからが実際の質問なのですが、

たんぽぽさんが「私闘」という言葉を使われた時、「私的論争」ではなくこの言葉が真っ先に浮かんだということは、たんぽぽさんがこの言葉で表したかったもの、つまり単なる私的論争とは異なる意味合いをこめたということなんでしょうか?

それとも単に、たんぽぽさんがらんきーブログみたいな政治系のブログを巡回しているうちに「私闘」という言葉に慣れてしまい、「私的論争」とまったく同義のものとして使ったに過ぎないんでしょうか?
返信する
Unknown (玄倉川)
2008-05-28 01:02:29
>エディさん
ご忠告ありがとうございます。
返信する
知らないなら調べたら? (エディ)
2008-05-28 00:24:25
>「oruteさんやssfsさん」
>どちらの方も存じ上げません。

「水伝」とかニセ科学批判に首を突っ込まれるのであれば、orute氏はともかくssfs氏については知っておく(kikulog、apjさんの掲示板、yahoo!掲示板等)べきかと思います。
返信する
コメントありがとうございます (玄倉川)
2008-05-27 19:42:40
>poohさん
「oruteさんやssfsさん」
どちらの方も存じ上げません。

「ぼくは痛ましく感じます。」
poohさんは優しい人ですね。

>てんてけさん
「単なる孫引き、手抜きなんじゃないか」
実はそれを疑っています。

>くろさん
情報ありがとうございます。
権力者にとって厄介だから「私闘」が禁止され、言葉自体にも悪いイメージを持たされるようになった、とういうことでしょうか。「私闘」を忌むべきもののように見るのが封建意識の残滓だとしたら情けないことです。

最後に、kojitakenさんにひとつお願いがあります。
poohさんの反論に再反論したいかもしれませんが、どうかおやめください。
お互いに一撃ずつ、恨みっこなしということでここでレフェリーストップにします。
これ以上続けたければご自分のブログでお願いします。
返信する
私闘の用例 (くろ)
2008-05-27 15:39:18
はじめまして。ちょっと考えてみました。

「私闘」の用例を検索すると、高い確率で「私闘禁止令」に行き当たります。武士間の私闘を為政者が禁じた法令です。
(例)
1.惣無事令(そうぶじれい)→豊臣秀吉が出した法令で、大名間の私闘を禁じたもの。
2.武家諸法度(江戸時代)→諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。平日須ク謹慎ヲ加フルベキナリ。モシ遅滞ニ及ブベキノ儀有ラバ、奉行所ニ達シソノ旨ヲ受クベキ事。
訳:大名は私闘をしてはならない。日頃から注意しておくこと。もし争いが起きた場合は奉行所に届け出て、その指示を仰ぐこと。

お上が介入しない武士間の争いを封じようとして生まれた「私闘禁止令」の「私闘」の概念に一種のマイナスイメージが付与されたとしてもおかしくないように思います。また私闘禁止令以外の用法が比較的少ないことから仇討ちなどを想起させる「恨み」を辞書的意味に付与したと考えることもできるのではないでしょうか?

ところで、ヤフーの辞書検索(大辞林)では「個人的な利害や恨みなどで争うこと。」とあり、恨みと利害が並立されていて、必ずしも「私闘」に「恨み」は付きものという説明ではないようです。闘いの原因はさまざまなので当たり前といえばそうなのですが。

たんぽぽさんの「私闘」は私闘禁止令とは何の関係もなく、個人的な闘いの意味で差し支えないと思われます。ただ、耳慣れない言葉ではあるので議論になったのでしょうね。

長文失礼しました。最後になりましたが玄倉川さん、お疲れ様です。ご無理なさいませんよう。 
返信する
言葉についての考察 (てんてけ)
2008-05-27 10:53:47
私財の対は公共財のような気がする。
>>「私闘」だけを特別に~
江戸時代なんか、私怨以外の個人的な闘いには、別の名前が付けられていたんじゃないかしら?
喧嘩の「助っ人」は、その人にとって私事だけど私闘とは言わないし。
と思ってATOKで「たたかい」を変換したら、
戦い=武力を用いて争う。勝敗を競う。戦争、戦闘、対戦
闘い=利害の対立する者が争う。病苦などに立ち向かう。闘争、闘病。
戦いは状態を表し、闘いは動機を暗示しているような。共闘というと思惑が一致してって感じだけど、同盟とか連合だと条約を交わして機械的、計画的という感じ。
あと、
>>~多くの辞書の説明にはかえって無理がある。
という指摘は、「単なる孫引き、手抜きなんじゃないか」という意味でなければ言語学者に無礼なんじゃないかしら。
返信する
kojitakenさんへ (pooh)
2008-05-27 07:57:28
すみません。あまりにも雑な書き方だと自分でも思いますので、追記をご容赦ください。

まず、ぼくはkojitakenさんをたんぽぽさんの取り巻きとも黒幕とも思っていませんし、思ったこともありません(ほかの方々についても同様です。絶対にそのようなことはないはずだ、と当初から今に至るまで考えています)。自分のところのエントリを含め、ぼくがそのような書き方をしたことはいちどもないはずです。むしろ、そうではないはずの方々がそう云う印象を与えうる行動をとられているのが不思議だ、と云うことを述べています。
ただ、こう書いてもkojitakenさんにとっては肯んじ得ないだろうな、とも思いますし、ほかの方々も同様でしょう。

揚げ足を取るようで居心地が悪いのですが、ぼくの書いたことをそのようにkojitakenさんがとられたのは、ぼくの文章や発言のコンテクストが、そのように考えている、と云う「印象」を与えるものだったからだと思います。これはもちろんぼくの責任ですが、印象と云うものがそう云うバイアスを与えうるものである、と云う例でもあると思います。

ぼくが最初に書いたコメントにある「構図」は、そのような種類のものです。ぼくは最近のたんぽぽさんを直接批判したエントリを書く前に同様の構図を2箇所で目にしましたし、自分のところでも同様の構図になるのを見ました(試したわけではもちろんないのですが)。
ぼく自身はこの印象に基づいてなんらかの判断を(使いたくない言葉ですが)「批判派」の方々の論に対して下すことはしていません。最初に書いたように当初から考えているからです。ただ、この印象は判断へのバイアスを生じせしめうる、と思っています。

ぼくのところにいらしたかつさんにしろ、玄倉川さんにしろ、(表明する機会はありませんでしたが)ぼく個人は論者として以前より敬意を抱いていましたし、通常はこのような「印象」の部分にも充分な配慮をされている、と感じています。なので、不思議だ、と書いた次第です。
返信する
失礼しました (pooh)
2008-05-27 06:22:42
> kojitakenさん

ぼくは「印象」について書いています。


> 玄倉川さん

> こういう自嘲・卑下は格好よくありません。

あぁ、失礼しました。
これは自嘲ではなくて、ぼくなりの現状置かれた状況の認識を書いたものです。このことと「自分の論を自分でどう認識しているか」は別の話です。

> 潰れるとか潰れたというのはブログ閉鎖のことでしょうか。

違います。
具体名を挙げておわかりいただけるかどうかわかりませんが、ぼくが直接関与することになった範囲では、oruteさんやssfsさんと云った「論者としての命脈を絶たれた」方のことをイメージしています。彼らは「潰された」ことによる(おそらくは感情的な)傷によって、事実上議論することも、他者に顧慮してもらえる論を張ることもできなくなってしまいました。彼らの姿を、ぼくは痛ましく感じます。


いずれにせよ、玄倉川さんやほかの方々のイノセンスを、ぼくは疑うものではありません。
失礼しました。
返信する
もう一度追記 (玄倉川)
2008-05-27 03:38:24
>poohさん
目が冴えてしまったのでもう一度追記します。

「つまるところそれは「勝敗と云う結果に向かうもの」と云うこととして捉えています。」
たんぽぽさんはどうか知りませんけれど、私は議論の勝敗にはこだわりません。
対立や矛盾を昇華できれば一番いいし、負けても自分の認識が広がれば「得をした」と思います。

「ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが」
こういう自嘲・卑下は格好よくありません。
「やくざなウェブログ」のほうがまだしも、です(こっちもあまり感心しませんが)。

「潰れます。潰れた」
潰れるとか潰れたというのはブログ閉鎖のことでしょうか。
私の知る限り「騒動」に関わったブログで閉鎖したのは水葉さんのところだけです。
「批判派」の一人としてブログ閉鎖を望まなかったし、もちろん喜んではいない、と確信しています。
それとも心が傷ついた、ということでしょうか。
論争に関わればたいていの場合どちらにも心の傷が残ります。
完全勝利したらしたで空しく、負ければ悔しくて眠れません。中途半端な決着はストレスの元です。
傷つきたくなければ論争に口出ししないのが一番です。
返信する
poohさんへ追記 (玄倉川)
2008-05-27 01:40:51
>poohさん
追記します。
仮に誰かが「たんぽぽなんて大嫌いだ!あんなやつネットから消えてしまえ!」と叫んだとしても、「批判派」は「ふーん」で済ませると思います。
しかし、「たんぽぽは○○した」「○○と言った」という事実に関わることで気になる違いを見つけたら、どうしても一言いいたくなる人が出てきます。人事だから放っておけ、というのが大人の態度なのかもしれませんが。
さらに、「たんぽぽの取り巻きは○○だ」という批判がなされたら、自分がそのように見られている可能性を考えて「それはどういうことですか」とたずねたくなります。
ひとこと言ったり疑問をたずねたりすると議論が始まります。
私も「疑問点をたずねた」結果として黒猫亭氏との議論に引きずり込まれました。
くどいようですが、あれはまったく不本意なことでした。
返信する
わかりません (玄倉川)
2008-05-27 01:10:19
>poohさん
「歓迎されないのは承知しておりますが。」
とんでもないことです。そういう言い方をなさるとpoohさんご自身が卑屈に見えてしまいます。
私は好意のもてない相手のために一生懸命の弁明はしません。

「彼女に対して「好意的」な論者」
その中に私が含まれるとしたら誤解です。
たんぽぽさんを取り上げた最初(「たんぽぽさんと斉藤さん」)からこれまでの記事・コメントを読んでいただければ、決して好意的なだけでないことがお分かりいただけるはずです。

「その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する」
たしかにこういう構図は見苦しいものです。他人があまり代弁しすぎないほうがいい、とは思います。
しかし、黒猫亭さんやapjさんの批判は「たんぽぽ批判」にのみとどまらず、「たんぽぽ周辺の『批判派』」にも及んでいます。それに反論するなというのは酷な話です。

「潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。」
そういうことです。
それをお分かりの上でpoohさんはいったい何を主張なさるのでしょうか。
まさか愚痴ではありますまい。私は困惑するばかりです。

>kojitakenさん
poohさんは「接近戦」を好まない方ですから、なるべく穏やかにお願いします。
返信する
下衆の勘繰り (kojitaken)
2008-05-27 00:48:13
poohさんのコメント

> 不思議なのは、彼女に対するその種の批判に、彼女に対して「好意的」な論者が露払いの如く登場して論陣を張り、その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する、と云う構図が成立してしまっていることです。

こういうのを、「下衆の勘繰り」といいます。
こんなことを書く以上、poohさんには、具体例を示す必要があります。さもなければ単なる「印象批評」と言われても仕方ない。

この「水伝」騒動で、私は黒幕と称されたり、やはり一時「黒幕」と疑われたことのあるブログ「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんの下僕と称されたりしましたが、今度はたんぽぽさんの取り巻きですか。

妄言もいい加減にしてほしいものです。

でたらめな前提に基づいて、

> ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが、そうじゃない方はこの構図だけで潰れます。潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

などと書くのを、「悪質なデマゴギー」といいます。
返信する
お邪魔します (pooh)
2008-05-26 23:17:53
歓迎されないのは承知しておりますが。

私怨かどうかは知りませんが、ぼくはたんぽぽさんの「私闘」と云う言葉を、「動機も成果も自分個人に帰属するもの」と読みました。つまるところそれは「勝敗と云う結果に向かうもの」と云うこととして捉えています。

それはそれでかまわないのです。ぼくはごく最初の時点でその私闘に与しないことを表明し、「好意的でない」との評価をいただきました。その後も直接の批判を行いました。そのあたりの当否は、読むひとが判断することです(まぁ結果は袋だたきですが、それは甘受すべきことでしょう)。

不思議なのは、彼女に対するその種の批判に、彼女に対して「好意的」な論者が露払いの如く登場して論陣を張り、その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する、と云う構図が成立してしまっていることです。

ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが、そうじゃない方はこの構図だけで潰れます。潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

それでいいのなら、それでいい、と認識している方々だ、と理解して話は終わりなのですが。
返信する