「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」の頃の輝きは今いずこ。劣化の止まらない立花隆がまたやらかしてくれた。
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 - 第78回 靖国参拝論議に終止符 天皇の意思と小泉の決断
私には小泉総理の表情は全く普通に見えた。立花隆がいったいどこに「変な表情」を見てとったのか見当もつかない。立花氏は眼科に行って検査してもらったほうがいいのではないか。
あの乱雑なメモのどこが「明々白々」なのかと不思議に思う。「昭和天皇の意思」(?)によって政治問題化した「靖国問題」の決着が付く、というのも訳がわからない。この人は日本国憲法を読んだことがないのだろうか?
日本国民の多くは立花隆より賢いので、「昭和天皇の意思」と「自分の考え」を切り分けていると思う(そう信じたい)。むしろ「公表を控えていた『ご意思』を引っ張り出して政治利用しようとする勢力」への嫌悪感のほうが強くなるはずだ。
立花隆は「日本国民の心は戦前の『臣民』と同じだ」と思っているのだろうか。ずいぶん戦後民主主義を馬鹿にした話だ。私は全く同意できないし、思想信条の自由を常識としている日本人は「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」という考え方を当然のこととして受け止めるだろうと思う。
「亡くなった天皇の言葉」に内閣総理大臣が「対抗しようがない」というのが仮に事実だとして(私は認めないけれど)、それをさも嬉しそうに囃し立てる立花隆の異常さに慄然とする。この人は小泉憎さのあまり象徴天皇制を捨てて明治憲法に回帰するつもりなのだろうか。
立花隆は個人の内心の自由に何の価値も認めていないようである。大御心の前に内閣総理大臣は恐懼して従うのが当然であり、「昭和天皇のご意思」に背いて靖国神社に参拝するのは逆賊だといわんばかりだ。狂信的な右翼でなければ言えないような天皇絶対化思想を(たぶん自覚なしに)主張する立花隆は全くどうかしている。
私は小泉総理と同じく、靖国参拝は個人の心の問題であり参拝するかどうかは自由だと考えている。
もし小泉総理が「昭和天皇のご意思」に影響を受け参拝しないことを選ぶならそれはそれでいい。「昭和天皇と自分は別だ」として参拝するのも自由だ。どちらにしても「敗北」したわけでも「勝利」したわけでもない。
立花隆のように内心の自由の問題を「勝った、負けた」でしか判断できない輩は汚らわしい俗物である。
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立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 - 第78回 靖国参拝論議に終止符 天皇の意思と小泉の決断
昨日(7月20日)の日経新聞の大スクープ、
「A級戦犯靖国合祀
昭和天皇が不快感
参拝中止『それが私の心だ』」
にはビックリした。
昭和天皇が当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語ったことが富田氏のメモでわかったのだが、まさかこのような大資料が今日まで眠ったままでいようとは思いもよらなかった。
テレビが映し出した小泉首相の心の動揺
しかし、このニュースに接したときの政府当局者たちのうろたえようといったらなかった。
みっともないの一語につきた。一応何でもないようなふりをしてみせたが、内心の狼狽ぶりは隠しようがなかった。
(中略)
しかし、セリフはいつもと同じだが、表情はいつもとちがっていた。異様にこわばった表情だった。あんな異様な表情の小泉首相の顔は、これまで見たことがない。もしかしたら、よくない病気にかかったのかもしれないと思うくらい、それは変な表情だった。
私には小泉総理の表情は全く普通に見えた。立花隆がいったいどこに「変な表情」を見てとったのか見当もつかない。立花氏は眼科に行って検査してもらったほうがいいのではないか。
靖国参拝反対は天皇の意思
さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。
あの乱雑なメモのどこが「明々白々」なのかと不思議に思う。「昭和天皇の意思」(?)によって政治問題化した「靖国問題」の決着が付く、というのも訳がわからない。この人は日本国憲法を読んだことがないのだろうか?
天皇絶対主義の時代はとうに終わったとはいえ、天皇発言の持つ影響力はいまだに日本の社会においてきわめて大なるものがある。
天皇は自己の発言力の大きさを十分すぎるほど知っていたから、いまの天皇も、先代の天皇も、できるだけ自分の個人的な意思を表現しないようにしてきた。
戦後、天皇が意識して影響力を行使したことはない。天皇にはもちろん天皇個人の意思があるだろうが、天皇はそれを傍目から全く見えないように見事に隠してきた。しかしそれだけに、今回のように、個人的意思がたまたま外にもれ出してしまうときには、その意思がより一層の影響力を持ってしまうものである。天皇の意思と一般社会の意思がぜんぜん正反対に食いちがっているというならともかく、そうでなかったら、天皇の意思の方向にことは動いていくだろう。
日本国民の多くは立花隆より賢いので、「昭和天皇の意思」と「自分の考え」を切り分けていると思う(そう信じたい)。むしろ「公表を控えていた『ご意思』を引っ張り出して政治利用しようとする勢力」への嫌悪感のほうが強くなるはずだ。
それに対して、小泉首相が、
「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」
として、あくまで靖国参拝を貫くか、といえば、そうはならないと思う。
天皇の意思としてこれだけ明確なものが出てきた以上、国民の大多数は「A級戦犯合祀に反対」「A級戦犯がまつられている靖国神社への首相の公式参拝反対」の声が圧倒的多数派になるのは、時間の問題だと思う。
立花隆は「日本国民の心は戦前の『臣民』と同じだ」と思っているのだろうか。ずいぶん戦後民主主義を馬鹿にした話だ。私は全く同意できないし、思想信条の自由を常識としている日本人は「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」という考え方を当然のこととして受け止めるだろうと思う。
敗北感に打ちのめされた小泉首相
(中略)
参拝した場合、中国や韓国からの反発を招くという程度のことであれば、小泉首相は平気の平左で、そんなものは無視しただろう。しかし、自分のプランに対する主たる反対者が亡くなった天皇の言葉ということになると、小泉首相としても、それに対抗しようがない。
それを平気に踏みにじることもできないし、相手との折衝で抜け道を見つけることもできない。要するに、対抗手段がないのである。
これが小泉首相が敗北感に打ちのめされた理由だろう。
「亡くなった天皇の言葉」に内閣総理大臣が「対抗しようがない」というのが仮に事実だとして(私は認めないけれど)、それをさも嬉しそうに囃し立てる立花隆の異常さに慄然とする。この人は小泉憎さのあまり象徴天皇制を捨てて明治憲法に回帰するつもりなのだろうか。
立花隆は個人の内心の自由に何の価値も認めていないようである。大御心の前に内閣総理大臣は恐懼して従うのが当然であり、「昭和天皇のご意思」に背いて靖国神社に参拝するのは逆賊だといわんばかりだ。狂信的な右翼でなければ言えないような天皇絶対化思想を(たぶん自覚なしに)主張する立花隆は全くどうかしている。
私は小泉総理と同じく、靖国参拝は個人の心の問題であり参拝するかどうかは自由だと考えている。
もし小泉総理が「昭和天皇のご意思」に影響を受け参拝しないことを選ぶならそれはそれでいい。「昭和天皇と自分は別だ」として参拝するのも自由だ。どちらにしても「敗北」したわけでも「勝利」したわけでもない。
立花隆のように内心の自由の問題を「勝った、負けた」でしか判断できない輩は汚らわしい俗物である。
関連ブログ
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[リスクマネジメント No. 33]富田朝彦メモと立花隆の正体 - 猫ジジイのたわごと
JIBUTARE: 冷静な議論の土壌に腐った液体
らくがき2.0:靖国参拝論議に終止符 天皇の意志と小泉の決断
綾川亭日乗 - 立花隆氏がさっそく「富田メモ」をふまえて熱弁をふるっておられる
bluecamelの日記 - 空疎な立花の感想文に「反論」をつけるバカを見て,壁の高さを想う
左は富田メモを肯定することが公式参拝反対の論拠になる。右の場合にも意外にメモは消極的に肯定する人もいますね。たとえ本当だとしてもなどという人は結構いるようです。ただ、参拝反対とかに直結しないわけで。右のかたには分祀に賛成されるかたもいますしね、そう単純ではないのが実情です。玄倉川さんをどこかにカテゴライズしているわけではありませんので念のため。
私はメモが「天皇の発言を富田氏が書き記した」ものであることを疑ってはいませんが、富田メモを政治的に利用しようとする人たち(左右とも)には辟易してます。
「文芸春秋の座談会」「文春の座談会」と下手な選挙のように連呼するだけで、具体的に証明、説得あるいは反論をしていません。ようするに、現物をみた三人が言っているから信じろということです。太平洋戦争当時の大本営発表を信じろという態度と同じです。自分たちは大本営報道部員のつもりらしい。なお、下記ブログにて「富田メモ演習」として16本の記事があります。今後も書いていく予定です。からかうには格好の話題ですからね。ネタ不足に悩むマイナーなブロガーとして、見逃す手はありません。
http://whole-week.mo-blog.jp/weakhole/
なお、上記ブログでは富田未亡人国会参考人招致シリーズ数本など 富田メモ・ネタ多数。伏して謝す、自ブログを宣伝せしことを。
この問題で文春関係者の足並みが馬鹿に一致していることに注目しています。日経に頼まれてメモの鑑定をした一人は文春のOBである半藤一利氏ですが、テレビのコメンテーターとしてよく出てくる勝谷雅彦という人も文春系列なんですね。かれがメモが出た直後からあちこちで「あれはホンモノです」と不自然に強調しているんですね。しかも、おかしいのは何故ホンモノと彼が信じる理由を明らかにしないことです。文春一家の掟なんですかね。先輩の言ったことは無条件に擁護するというのは。日経・文春発表=大本営発表という図式です。文春一家はみんな、大本営報道班員に任じられたらしい。
8月3日でしたか、週刊新潮は富田メモ偽造説を特集しましたが、同日発売の週刊文春にはこの関連の記事はまったくなし。週刊文春の元編集長の花田さんはさすがに決まり悪かったのか、夕刊フジの週刊誌時評でこの問題にふれていましたが、真贋についての意見は一切なし。ようするに取り上げ方の対照的なのを報告しているだけです。それでも他の文春一家のなかではやや良心的かな。
メモ発表から1ヶ月たらず、色々な問題が指摘されていますが、今の時点で立花隆がどういうか、もう一度書かせてみたい。どうせ強弁を塗り重ねるのでしょうが。
1 あなたにそう見えたのは事実なのでしょう。
2 私には普通の表情に見えました。
3 小泉総理がどう思っていたかは本人に聞かないとわかりません。
4 テレビ視聴者の多くがどう思ったかは、調査されていないので不明です。
谷口さんにとっての「事実」とは1だけなのですか?
私にはずいぶん視野が狭いように思えます。
たしかに立花氏の言うとおり、質問に
答えていたときの小泉は、顔が
こわばっていたのは事実。
テレビカメラって怖いなと思った。
もちろん立花氏の記事を読む前の印象として。
普通にみえたというのは、そう言ってる
人がおかしいんじゃないかな。
くだんのメモの公表に関し、宮内庁の内部事情に関する部分は秘匿されているとか。ここからは妄想ですが、私的メモの公表に関しては、記入者の勤務先と発言者の遺族の了承を得るのが常識人の行動かと思います。
勤務先の最上級のトップも、後継者が馬鹿なことを言うのを防ぐため、了承済みであったので、ニュースを聞いても悠然としていたのかもしれませんね。
国家公務員法によって一般公務員の政治活動が禁止されているのですから、政治家の宗教行為についても
「ただし、内心は自由であっても、公職者は具体的な行動に移す上で、制約があって当然と思っています。」
というお考えには一理あると思います。
ただ、それを実現するために道徳論を振りかざしても小泉総理のような変人には通じませんし、既存の法律・憲法で禁止するのも無理っぽい(先日の最高裁判決)です。
総理大臣が靖国神社に参拝するのは望ましくない、とお考えの方たちは民意を動かして参拝する人が総理に選ばれないようにするか、政治家(閣僚以上?)の宗教活動を禁止する法律・制度を作ることを主張されるのが合理的だと考えます。
「世論の形成」は安倍人気を見るとうまく行ってないようですし(私は安倍さんへの期待の高さを不思議に思ってますが)、法律で規制するのは憲法違反のおそれがあります(私も反対です)。
私も靖国神社が誰を祀ろうが勝手、その靖国神社を天皇であろうと首相であろうと、国民の誰であっても、どう「思おう」と信教の自由で、内心の自由。というところまでは同じ意見です。
ただし、内心は自由であっても、公職者は具体的な行動に移す上で、制約があって当然と思っています。
少し落ち着いてから自分の文章を読み直してみると、批判というより感情のまま書き殴った罵倒でした。少し恥ずかしいのですが、「大御心に従え!」と叫ぶ手合いへの嫌悪感は変わりません。
南郷力丸さん、コメントありがとうございます。
私は「A級戦犯」合祀も「遊就館史観」も本当は気に食わないのですが、だからといって信仰の自由、内心の自由を抑圧してよいとは思いません。
個人の宗教行為に「参拝しろ」とか「参拝するな」とか余計なお世話です。彼らが法治国家の主権者らしく制度や法律(「首相の参拝義務規定」とか「参拝禁止法」)を作って目標を達成しようというのであればそれは理にかなってますが、道徳とか民意とか国益とか「大御心」を振りかざす手合いは嫌いです。
靖国神社が東條や松岡・白鳥、ソウルで元気に暮らしているキム・ヒジョンさんを祀ろうが勝手なことで。祀るのに宮内庁の裁可が必要という制度自体がおかしいわけです。
そこに参拝するのにも、それぞれが勝手に決めればいいことで、他人がとやかくいうことではない。これが憲法の原則でしょう。
おそらく、玄倉川さんは、こういう立場で、他人に言われるのも、言うのも不快に思ってられると思いますし、それは一貫性があるかと思います。
ところが、世の中には、他人に言われるのは嫌だが、言うのは大好きという人がいるわけで、天皇や首相は参拝すべきだなどと言ってるわけです。
好意的に見れば、そういう一貫性のなさを揶揄するのに、立花氏も同じように、自ら一貫性のないことを書いているのかも知れません。
氏の皇統ミトコンドリア説というのは、あまりにバカバカしい意見でしたが、その結果、同じように、Y染色体説のバカらしさも知られる効果がありました。同じような効果を狙ったんじゃないですか。
いつも楽しみに読ませていただいております。
本日は、
「「愚劣で卑怯で二枚舌で隠れファシストで権威主義で抑圧者で恥知らずでどうしようもない馬鹿」
に完全同意したくまかりこしました。ほんとによくぞ書いてくださいました。
立花氏やカーティス教授のような「小泉は大御心に従え」論を右翼・極右の天皇崇拝者が言うのであれば何とも思いません。
ですが、左翼が自分の都合のいいように自分でも信じていない「天皇の権威」を振りかざすのは腹が立ちます。いや、もう本当に頭にきます。
立花氏のことを「汚らわしい俗物」と書きましたがそれでもまだ言い足りません。
「愚劣で卑怯で二枚舌で隠れファシストで権威主義で抑圧者で恥知らずでどうしようもない馬鹿」と呼んでやりたい。
たしか中野好夫もそんなことを言ってたような。
身体でも悪くして、粘り強い思考に身体がついて行かなくなったのか、それとも昔の業績も実は「プロジェクト立花隆」であって、この人個人の業績ではなかったのか・・・
同感です。小生も玄倉川氏の揚げた2著作に感銘を受けたものですが・・・。
思えば「サル学の現在」が最後の輝きだったような気がいたします。
立花隆、汝はや老耄せしか。残念!
普段は「意味が無いから」と天皇制不要としている人でしたので、びっくりしました
特定の年代より上には、天皇という存在はかなり大きいようです
今回のメモ発見ですが、誰が何の目的で行ったのでしょうか?
単純に考えると小泉-阿部陣営の弱体化ですけど
立花(や自分の親)の反応を見るにつけ、天皇制に政治力を持たせたい人かも知れないと思っています
でも昔から朝日的な見解のお先棒を担いだコメントを出していましたね。
新聞社が表立って言えない希望を先取りしてコメントする、という役割を忠実にこなしている点では一貫しているのかも。イタイですね(笑)
逆に言えば氏の主張は、今回のスクープなるものを演出した人達の望んでいることなんでしょうね。アホクサ
裕仁天皇が内心を漏らしただけでしょ?
#メモが本物と仮定してですが
それで右往左往してるのを見ると、いつから先帝独裁国家になったんだろうかと思っちゃいますね。
思うに、そんなメモが政治的に意味があるなら今上陛下がどう考えてるかの方がよっぽど大事なはずなんだけど。
先帝だろうが、今上帝だろうが、どの天皇がどう思っていようが、それによって国民の思想信条が抑制されるなんて憲法違反はあっちゃならんのですがね。
反小泉のために、中学生でも習う憲法を失念するとは…
>この人は小泉憎さのあまり象徴天皇制を捨てて明治憲法に回帰するつもりなのだろうか
明治憲法下でも御内意にそぐわないこともありましたし、昭和帝ご自身が機関説を当然と思われていた様ですので、「象徴天皇制Vと明治憲法」というより、「絶対君主制と立憲君主制」の方が的確かと思います。
揚げ足取りですみません。
玄倉川様は結構リベラルな方の様に感じられまして、私とは立ち位置が違う様に思いますが、最後は同じ様な意見になっています。不思議です。
もう一つ忘れてはいけないのは、あのメモで特定アジアが大喜びだけど、総理大臣の参拝がこれで無くなっても、それが特定アジアの意向に沿った物では無く、「日本」の天皇家の威光によるものと解釈される事を理解してるのだろうか?
特定アジア、特に中国による日本の属国化がまた一つ潰えたのだと考える。
小泉憎しで反靖国なのか、反靖国の為参拝をする小泉が憎いのか分かりませんが見苦しいの一言に尽きると思います。