玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

有害無益な「最低投票率」

2007年05月16日 | 政治・外交
憲法改正を現実的なものとする「国民投票法」が14日に可決成立した。
たいへんめでたい。
護憲派からは「なぜ今なのか」とか「改憲に前のめり」とかいった(お約束の)批判が出ているが、これまで実際に改憲を可能にする手続法がなかったのがおかしいのである。憲法96条に改正の手順が定められているのに、それを実施するための法律が整備されないのはそれこそ憲法の精神に反している。

護憲派が主張する「最低投票率」には反対する。有害無益としか思えない。
ボイコット運動を誘発し、棄権を増やし、民主政治を衰弱させるだけだ。
最低投票率を主張するのは「健全な民主政治より憲法9条が大事」な人たちなのだろうと思っている。
憲法12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と定められている。棄権(文字通り投票する権利を棄てた)者の意思を過剰に忖度する必要はない。

「最低投票率に達しなければ廃案とする」のは棄権者の意思を「現状維持」「改正反対」と見なすことだが、妙な考え方である。
棄権とは「どちらでもいい」「おまかせします」であって「反対」ではない。
私の考える「棄権者の意思」を見なす適切なやりかたは
 1・成否どちらであれ選挙結果に従う(勝者に加算)
 2・選挙の得票率に応じて配分する
のどちらかであり、当然ながら投票結果を動かすものではない。

極論すれば、棄権を「賛成」とみなすことだってできる。
憲法96条で定められた改正発議の条件は「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」である。非常にハードルが高い。だが、その高いハードルを乗り越えた場合は「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」国会(第41条)が圧倒的多数で可決した改憲案なのだから、おおよそ国民全体の意思に沿ったものと見ることができる。棄権者の意思は「三分の二が賛成している」と見なすのが適切である。
まあこれは半分冗談だが。

思考実験として、「憲法改正」ではなく「現行憲法の信任投票」が行われるとしたらどうだろう。「最低投票率に達しないときは不成立(不信任)」という方法で。
そのときは現在「最低投票率を規定せよ」とか「有権者の過半数の賛成が必要だ」と主張する人たちが一転して「最低投票(得票)率など必要ない」と言い出すはずだ。これは確信的想像である。

もうひとつ思考実験。
最低投票率の主張は「棄権者は現状維持を望んでいると見なすべき」ということなのだろうが、この考え方を他の選挙に導入するとどうなるか。
最低投票率を50%として、「現職候補50万票・対立候補100万票 投票率45%」の場合、棄権者は現職を信任したと見なして「選挙無効・現職続行」ということになる。それで納得できるのか。

私は生まれてこの方ずっと現行憲法の価値観の中で生きてきたので、当然ながら健全な民主政治が実現することを望んでいる。もちろん選挙の投票率は高いほうがいい。
だが、最低投票率というアイデアはかえって有権者の投票意欲を削ぎ民主主義を衰弱させる愚劣な考えとしか思えない。「投票率が高いことを望む」のと「最低投票率制度」は似て非なるものだ。

参考記事
 おおやにき 最低投票率の問題

 できるだけごまかさないで考えてみる
    朝日新聞を使って、一緒に憲法と民主主義について勉強しよう!<国民投票法案
    甘ったれるのもいい加減にしたら?<最低得票率、最低投票率
    世論調査だけでなく、社説でも図に乗る朝日さん<最低投票率
    最低投票率/最低得票率の正当性を理論づけようとする、伊藤真の主張を検証する その1


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