玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

北極星の孤独

2007年09月05日 | 日々思うことなど
誰もが知っているあの星、世界でただ一つの偉大な星は、孤独な星だった。


星新一 一〇〇一話をつくった人


「ショートショートの神様」星新一の今のところ唯一の伝記。
読み終わって思わず大きな溜息をついた。
星さんの作品の半分以上は読んだはずなのに、自分は星さんのことを何も知らなかった。
読書の楽しみを教えてくれた恩人に「ありがとうございました」の一言も伝えられなかったくやしさと申し訳なさ。
物理的な厚み(約560ページ)はもちろん、精神的にも重さを感じる本だった。

あなたは北極星という星があることをご存知だろうか。
…と、聞いてみることさえ馬鹿らしい。
誰もが小学校の理科の時間に教わったはずだ。アークトゥルスやプレアデス星団の名前を知らない人はいても北極星を知らない人はいない。常に天の北極近くにあり、何千年、いや何万年ものあいだ旅人や航海者を導いた。
だが、実際に晴れた夜空の下で「北極星を指差してください」と言われたとき自信を持って答えられる人はどれほどいるだろう。私も調べたわけじゃないので本当のところはわからないが、たぶん正解率は半分以下だろうと思う。

  1. 北極星は天の中心にあるように思われているが、実は1度ほどずれた位置にある。北極星は空白(目に見えないような小さな星はあるが)の周りを回っている。

  2. 北極星はそれほど明るい星ではない。2等星であり、天空で一番明るい星であるシリウス(-1.5等)の25分の1の明るさだ。

  3. 北極星は孤独な星だ。所属するこぐま座には北極星より明るい星はない。おおぐま座やカシオペア座のように誰もが形を描ける星座ではない。


北極星の唯一性、知名度の高さと孤独さを、つい星さんの姿に重ねてしまう。
日本SF界の綺羅星を従える天の中心であり、多くの教科書に掲載される国民的作家、ショートショートの神様の名をほしいままにしながら、晩年は充分な名誉と尊敬を与えられない空しさと淋しさを感じていたようだ。
特に直木賞を強く望んでいたという。昭和35年下半期の直木賞候補になったものの残念ながら落選している。当時は安倍公房に比されることもあり、「新しい文学」の旗手として周囲から期待され自負もしていたようだ。それがいつのまにか「平易でわかりやすい」星さんの文章が「子供向けの軽い読み物」と誤解され、比類ない知性とユーモア、ニヒリズムが注目されなくなってしまった。
直木賞はともかくとして(筒井康隆も小松左京も山田正紀も神林長平もとってない)、大いに星さんのお世話になったSF界から賞が贈られていないのは淋しい。日本SF大賞にも星雲賞にも無縁だった。没後の98年に日本SF大賞特別賞を贈られているが、なぜ生前にできなかったのだろう。あまりにも偉大なので賞を差し上げるのはおこがましい、という意識があったのかもしれないけれど、受賞者一覧の中に星さんの名前がないのは不思議だ。

「SF界は星さんの功労に報いることが少なすぎた」と批判する私自身も、恩知らずの一人である。
83年に「ショートショート1001編」の偉業が達成されたとき、私は小遣いの多くを早川SF文庫と創元推理文庫SFシリーズに費やすSFファンの端くれだった。もちろん星さんの作品集の多くを(ほとんど文庫本で)そろえ、何度となく読み返している。80年代まで間違いなく星新一は日本のSFファンの基礎教養だった。
そんな私も、「1001編達成」のニュースを聞いたとき「すごい偉業だ」「星先生おめでとうございます」と喜びはしたものの、「どうしても読みたい」「読まなければ」と感じることはなかった。実際に読んだのかどうか覚えていない。原稿を受け取った編集者たちでさえ「1001編」の内容を覚えていなかったそうであり、特に印象に残るような作品群ではなかったのだろう。
「1001編」達成時すでに星新一の作家として力量が衰えていたことは否定できない。だがそれにしても、星さんの偉大な業績に目に見える形でSF界が応えることがなかったのはあまりにも残念だ。自分自身ハガキ一枚であってもファンレターを書いておけばよかったと悔やまれる。

「星新一 一〇〇一話をつくった人」の最終章から引用する。

 ぼくはサービスしすぎたかな―――。
晩年の新一が親しい編集者の前でしきりに口にしていた言葉だ。生前最後のショートショートとなった「担当員」(「小説現代」平成五年一月号)にも、「おむかえの係」に対して主人公が「サービスの、しすぎかもしれない」とつぶやく場面がある。
 幼いころから作家を目指していたわけではない。はじめからショートショート作家になろうとしていたわけでもない。直木賞候補となった年のインタビューでは、「ぼくはショート・ショート作家のレッテルを張られてしまったが、こんなブームはすぐ終わるでしょう。そしたら、本格的なものを書きますよ」(毎日新聞、昭和三十六年五月二十日夕刊)と語り、いつでもショートショート以外の「本格的なもの」長編小説でもなんでも書けることを示唆していた。
 ただ、世間はそうはさせなかったし、新一もまたショートショートに自分の居場所を確保した。やがて競争相手がだんだんいなくなり、自分の専門のようになってしまい、なおさらショートショートを書き続けた。(中略)あるときから、ショートショートを書き続けることは自分に課せられた逃れようのない宿命となり、責務となっていった。
(中略)
 乱歩が危惧した「量」が、新一を追い込んだ。「量」に目を奪われれば奪われるほど、「質」は曇り始めた。だが、人々が「量」を求め、新一もまた「量」が自分の存在理由だと考えた以上、途中で放棄するわけにはいかなかった。
 一〇〇一編達成は大きな節目となるはずだった。新一から親一への帰還、である。
(中略)
 しかし、新一は親一に戻ろうとして戻りきれない。戻りたくなかったし、戻れなかった。読者はいつまでも新一であることを要求し、何より新一自身がさらなる延命を欲した。一〇〇一編の業績が単なるギネスブック的な記録ではなく、文学的評価を得ていたならば、これまでの苦行の日々も報われたろう。賞賛の証ひとつで、人は人生を肯定的に総括できるはずである。表舞台から身を引いても安らかな余生を過ごすことができただろう。だがそれは、叶わなかった。一〇〇一編後も新一の「サービス」は続いた。(p529-531)

ここに書かれているように「ショートショート1001編」をなしとげてなお晩年の星さんには満たされない思いがあったのか。ファンの一人として信じたくはないが、それを否定することもできない。
私はただ10年後、20年後、いや100年後にも星新一の作品が読み続けられていることを願い、それを信じる。宇宙ステーションや火星で「おーい でてこーい」や「午後の恐竜」「処刑」を読み「20世紀の作品とは思えないほど新しい」と感激する読者がいることを疑わない。

星先生、どうか安らかにお眠りください。


以下は断片的に。

「星製薬の御曹司」という血筋の意味が昭和30年代まで大きかったことに驚いた。
私にとっては「星新一の父がやっていた会社」という認識しかないが、戦前は武田製薬や田辺薬品に並ぶ大手製薬会社だった。「作家・星新一」のデビューから新人時代にかけて「御曹司」の輝きが有形無形の助けになったのだろう。

父の急死で会社を引き継いだ星製薬社長時代、必死にあがいて悪戦苦闘していたのかと思っていたら案外そうでもなかったようだ。もちろん心労は激しかっただろうが「なにふりかまわず」という感じではない。考えてみれば、星さんは真珠湾攻撃のニュースを聞いたとき「これで受験科目から英語が外れる」と直感した(そして東大農学部に合格した)ほどの人である。状況判断と自己の能力の見極めが鋭い。星さんには会社の先行きに望みがないこと、自分に経営の才能がないことは明らかで、がむしゃらに頑張ることなど無意味としか思えなかったろう。

星新一には時代小説を集めた作品集がある。「殿さまの日」と「城のなかの人」の2冊だ。どちらも星さんらしい独自の視点と軽やかな文章が楽しく、何度となく読み返した。だが星さんに「時代小説のイロハを教えた」のが池波正太郎とは思いもよらなかった。池波さんのしわの多い風貌と星さんの童顔を思い浮かべると対照的である。だが、じつは生年月日でいえば3年8ヶ月ほどしか離れておらず、ほぼ同世代なのだ(池波=23年1月生 星=26年9月生)。

 「事前に何も聞かされていない池波は、新一からの予想外の質問の数々に困り果てた。二百三十年近く戦乱のなかった江戸時代の殿様は、いったいどんな一日を過ごしていたのか。微に入り細を穿ち、根ほり葉ほり、意外なことばかり聞いてくるのである。
 起きたら殿様はまずなにをするのか。伸びたヒゲは誰が剃るのか。寒い冬は火鉢に手をかざすのか。夏は扇子で涼をとるのか。武器庫の点検は毎日やるのか。借金でつぶれた藩はあるのか。幼児の死亡率が高いが、当時の子供観はどうだったのか。世代間の断絶はあったのか。今とどのように違っていたのか。十両盗めば首がとぶというのにおもしろ半分の泥棒がたくさんいたのはなぜなのか……。
 池波は戸惑いながらもあれこれと資料を調べつつ応じた。」(p415-416)

星さんのいかにも「若旦那」らしい遠慮のなさ、それに誠実に応える職人のような池波さんの優しさ。実に絵になる、魅力的な交流である。


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3 コメント

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星氏と日本人のギャップ (てんてけ)
2007-09-06 00:11:15
星氏の文庫本の「解説」を書いているうちの幾人かが、
会合などで一緒に飲んでいるときの星氏の発言の異様さを指摘しています。
しかし星氏は「SF作家とはキチガイのことである」と言われた時代に活躍していたのに筒井氏のように作品に反映させることをしなかったし、
(当時の)若手SF作家達はどんどん優等生になって、日常の異様さは異質な物として影響力が削がれていきましたし。
文化が浸透してしまった後の者には、開拓者の苦労なんて理解できませんって。
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1001編めのショートショート (nomad)
2007-09-06 00:18:52
星さんは999番目、1000番目、1001番目のショートショートを、同時に別々の雑誌に掲載し、どれが記念碑となる作品なのかわからないようにしたことを思い出しました。
僕も星さんにはずいぶんお世話になりましたが、結局この3編は読んでいません。
星さんが亡くなってから小松左京さんも老け込んでしまいました。
星さん、小松さん、筒井さん、大伴さんら、SF作家の対談集がありますが、腹を抱えて笑えるような話ばかりなのですが、しかし彼らの知識の豊富さ、視点の鋭さ、切り口の斬新さは、本当に素晴らしいものでした。SF作家たちはよると触ると分断での地位の低さを嘆いていましたが、ひょっとするとあのころのSF業界が一番輝いていたのかもしれません。
彼ら第一世代のSF作家の方々の重要性は褪せることがありません。
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Unknown (Unknown)
2007-09-19 23:51:01
伝記が出ていたのですね。
明日買いに行くことにします。

この方の作品は時代と地域を越えてますので、遠い将来古典になるだろうと個人的に思ってます。
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