黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「国威掲揚」の裏側に……

2010-03-01 04:12:25 | 仕事
 先週は、ずっと近々刊行される「『少女倶楽部・少女クラブ』総目次」(ゆまに書房)の「解説」を書くのに費やされた。この「『少女倶楽部・少女クラブ』総目次」は、「ゆまに書房」が何年も前から取り組んできた「書誌・書目シリーズ」の一冊で、2年前に刊行された「『少年倶楽部・少年クラブ』総目次」の姉妹編にあたる。この仕事は、基本的には今では手に入りにくくなっている「戦前」の雑誌(教養主義的な雑誌についてはすでにそのほとんどが終了し、現在は「大衆雑誌」に移っている)の「目次」を新組で残し、メディア研究に幾らかでも貢献したいという思いから行っているものだが、これまでに僕の「監修」(解説の執筆)ということで、「戦前『週刊朝日』総目次」(大学院博士課程在籍の山川恭子さんの労作)と「戦前『サンデー毎日』総目次」(同)と先の「『少年倶楽部・少年クラブ』総目次」の三冊(といっても、それぞれ上中下の三巻本)を出してきた。
 今回の『少女倶楽部』(戦後の1946年から『少女クラブ』と改題)の場合、1923(大正12)年1月に創刊され、戦後の1962(昭和37)年12月に廃刊されるまで、臨時増刊号を含めて全504冊、その「総目次」の執筆は別な人が行い、僕は「解説」を書いただけなのだが、送られてきた全504冊の目次ページのコピーを見ていて、これまでの時と同じなのだが、改めて戦時下において如何に「大衆」が大勢(国家権力)に組み込まれていったか、を痛感せざるを得なかった。
 というのも、時あたかもバンクーバーオリンピックの真っ最中で、女子フィギアの浅田真央選手の活躍を中心にして、マスコミ・ジャーナリズムは「メダル獲得」に一喜一憂し、浅田選手が銀メダルを取ったら、どこの新聞だかは知らないが「号外」まで出すという狂奔ぶりに、戦時下、つまり満州事変から太平洋戦争の終結(敗北)までの「十五年戦争」下における『少女倶楽部』の誌面を重ねざるを得なかったからである。「面白くてためになる」をモットーに刊行され続けた大日本雄弁会講談社の「大衆雑誌」(8種類)の1冊として刊行され続けた『少女倶楽部』であるが、満州事変以後は児童小説や童話、詩、童謡、漫画などの他、例えばグラビアページや「読みもの」や「特集」記事で、繰り返し「満州」(大東亜共栄圏建設のモデルとして)のことや「支那事変=日中戦争」のこと、また「太平洋戦争」のことが取り上げられ、「銃後の小国民」としてのいかに「戦争協力」をするか、を強いられた。太平洋戦争開始直後(昭和17年1月号)には、時の首相・東條英機の「大詔を拝し奉りて」が「大東亜戦争ニュース」や「進め1億火の玉だ」の記事と共にが載り、言ってみれば誌面全体が「戦時色」に染まり、「国威掲揚」を鼓舞される状態にあった。
 「威風堂々と満州に日の丸の旗が」、「大陸で活躍する兵隊さん」、「鬼畜米英をやっつけろ」といった『少女倶楽部』の記事と、オリンピック選手(特に、モーグルの上村選手やフィギアの高橋選手、浅田選手といったメダル獲得が期待された選手たち)に寄せられたマスコミ・ジャーナリズム(国民)の異常な期待、その裏側にあるのは紛れもなく「国威掲揚」で、もちろんこの「国威掲揚」は日本だけのものではなく、各国に共通するものだが、オリンピックという「スポーツの祭典」が実は「国威掲揚レース」に堕してしまったようで、何だか興を殺がれてしまったのは、僕だけだろうか。今やオリンピックは、その華々しさの裏側でいかに開催国や参加国に経済効果をもたらすか、が目的になってしまった観があるが、そこに「国威掲揚」が重なると、いささか感傷的ではあるが、クーベルタン男爵の「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉が何故か懐かしく思い出される。
 それは、「国威掲揚」がろくなことをもたらさず、せいぜい偏狭な「ナショナリズム」しか生み出さないとしたら、オリンピックは「参加すること=競技することに意義がある」という原点に帰るべきなのではないだろうか。メダルを獲得できなかった選手たちが流した涙は、もちろん純粋に「悔し涙」だったと思いたいが、果たしてそれだけだったのだろうか。「国威掲揚」の重圧から解放された涙、ということはなかったのか。スキーの滑降やフィギアの演技で転倒する選手の姿を見ていると、余計にそう思えてならない。
 それにしても、「『少女倶楽部・少女クラブ』総目次」の解説23枚は、結構きつかった。

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3 コメント

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Unknown (笹沼)
2010-03-01 13:03:06
黒古先生
お疲れ様です。
立松さんが亡くなって大変な時に原稿を次々と書かれて、あいかわらず頭が下がります。私は新学期が始まって忙しくなってきましたが、先生に見習って原稿をどんどん進めるつもりです。

ところで、海外で生活していると気付くのですが、日本のニュース番組というのは、なぜ普段からあれほどスポーツニュースに時間を割くのか、ということです。NHKまでがスポーツ報道ばかりで、他の国はわかりませんが、台湾のニュース番組と比べると少々異常な気がします。国民全体がスポーツに関心を持つことを強要されているような。私が物心ついた頃には既にそうだったような気がするのですが、いつからそうなったんだろう、という気がします。
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Unknown (三心庵)
2010-03-01 23:25:15
お疲れ様です
先日は手紙の返事をメールで有り難うございます。
嬉しく感謝の気持ちで一杯です。
原稿書き大変ですね。
自分なんかブログ作成だけでも大変です。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
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Unknown (通りすがり)
2010-03-22 20:12:45
国威というものは、「発揚」するものであって「掲揚」するものではないと思います。

まあ、この独特の日本語使用者であるブログ主の誤字、誤用をいちいちあげつらっていたらキリがないということは、ざっとブログを拝見した限りでもわかりましたが、こういうお方が「文芸評論家」を名乗っていることにこそ、「近代・現代の病理」があるのでしょう。

その意味で、自己紹介にある「近代・現代の病理と文学表現との関係を追求しています」というのは、まさにご自身が格好のサンプル例なのだなと感心した次第です。

楽しいブログ、これからもウォッチさせていただきます。
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