黒古一夫BLOG

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原発を再考しよう!

2007-07-19 10:48:59 | 仕事
 まず、訂正を一つ。前回、新直木賞作家に「板東真砂子」が選ばれたと書いたが、「松井今朝子」の誤りでした。同じように「時代小説」を書いている人なので、ついつい間違ってしまったということである。それと、多分もう一つの理由としては、こんなことを書くと女性たちから総攻撃を受けるかも知れないが、「女性作家」についてはトラウマになっていることがあり、基本的に年上の女性作家以外は取り上げない、名前も覚えない、ということにしているので、それが今度の間違いを誘引したのではないか、と思っている。関係者にはお詫びする。
 それとは別に、時間が経つに従って次第に明らかになってきた「新潟県中越沖地震」の被害、とりわけ「柏崎刈羽原発」の様々な事故については、私たちは生活の根から考え直さなければならないのではないか、と思わざるを得なかった。「電力(エネルギー)の三分の一」は原子力発電所によって作り出されている、CO2の削減には原発が一番、といった電力会社のキャンペーンの裏にある「金儲け主義」が今回の地震によって明るみに出てしまった。
 つまり、地震の原因ともなる活断層の上に建物を造り、そして真実かどうか分からない「放射能漏れ」を小出しに発表する。原発の内部には、「危険」ということで外部の人間が簡単にはいることができない。何が実際起こっているのか。「低濃度放射能汚染物質=核廃棄物」を入れたドラム缶が100本以上倒れ、その内の何十本かのフタが空いてしまった、という。ならば、原発敷地内に貯蔵されているはずの「高濃度汚染核廃棄物」を入れた容器(ドラム缶)は、地震の後にどうなったのか。危険性の少ないドラム缶のことは報告しても、危険な核廃棄物がどうなったか、あるいは原子炉本体がどうなったのか、何も語らない。
 だから、反原発論者が言う「原発を建設するのは、電力需要のためではない、原発を一基建設すると、その環境整備もふくめて莫大な金(全部で5000億円ぐらいと言われるが、本当はいくらなのか)が動き、その金によって日本の資本主義は支えられている面がある。」という考え方、また「核保有国に負けないために、ゴーサインが出たらすぐに核兵器製造に取りかかれるように、プルトニウムを確保するため」という言葉が、何故か説得力を持つ今度の中越沖地震。
 核兵器の広島・長崎への投下を「しょうがない」と言って防衛大臣を辞任した人がいたが、僕らは原発について「しょうがない」と言って、本当に容認していいのか。僕は今、蛍光灯の下でパソコンをうっているが、水上勉ではないが、せめて「人間は極道だから」と思って、原発について電力会社や政府の言うことを真に受けず、いつかは核兵器も原発も必要ない生活を実現するという強う意思を持つ続けるしかないのではないか。
 まだまだ何が出てくるか分からない柏崎刈羽原発、とんでもないことにならなければいいが。不気味なのは、地震が発生した当初に火事が発生した際、誰もその消火作業に従事せず、火事を放置していたこと。職員はその時何をしていたのか。外の火事よりも重大なことが「内部」で起こっていたのでは、と勘ぐりたくなる。何もなかったのであれば、それでいいのだが。「公開」が原則の原発、本当に公開されているのだろうか。5000万件の年金記録不備問題が国会で議論されたとき、安倍首相は「やたら国民の不安をあおるような言い方は止めましょう」と言ったが、原発に関しても同じ対応を、まさかしているわけではないだろう。
 期待はしないが、注視はしていこう、と思う。

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