黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

少し落ち着きました。

2010-03-29 05:16:26 | 近況
 先週は、水曜日に会議があって、木曜日には卒業式、そして土曜日には「立松和平を偲ぶ会」、慌ただしい1週間でしたが、昨日グループホームで生活する義母のところを訪れ、帰りに日帰り温泉でゆっくりしたので、ようやく落ち着いた気分になることができた。
 それにしても、「立松和平を偲ぶ会」、実行委員として朝10時半に青山葬儀場の方に出かけ、準備状況をチェックしたり、役割分担の変更をしたりして、午後2時の開始を待ったのであるが、届けられた供花の数220余り、開始時刻前にすでに300席用意した会場から人があふれ、結果的に参会者数は正確に数は把握できなかったが、結果的に1000人余り、またその数に応じた供物香典の金額( )円、改めて立松がいかに多くの人に愛されていたかを知らされた。
 読まれた弔辞は、(読まれた順)
・福島泰樹(歌人・僧侶):導師として読経の合間に、立松との出会いと文学について。
・北方謙三(作家):実行委員会委員長として、若き日の出会いについて。
・黒井千次(作家):立松の文学的特徴を中心に。
・三田誠広(作家):同じ「団塊の世代」の作家としての思い出を。
・黒古一夫(批評家):27年間に及ぶ交友と『立松和平全小説』(全30巻)について。
・加藤宗哉(作家・三田文学編集長):立松との出会いと「晩年」の連載について。
・高橋伴明(映画監督):映画「光の雨」や句会のことなど。
・佐野博(知床の友人):長きにわたる交友と知床毘沙門堂・太子堂・観音堂について。
・辻井喬(作家):立松と中国との関係について。
・高橋公(ふるさと回帰支援センター):早稲田の学生だったころからの交友について。
 *辻井さんが僕らより後になっているのは、どうしても抜けられない別な会合を済ませて  からというので、後ろの方に予定せざるを得なかったのである。また、法隆寺や永平   寺、中宮寺、京都仏教界、など立松と親交のあった「仏教界」からも管長や高僧ら多数  が列席したが、「偲ぶ会」は「作家・立松和平」を偲ぶ会ということで、「弔辞」はも  らわなかった。
 いずれの弔辞も立松の幅広い活躍を証すもので、胸打たれ、自分の番が回ってきたとき、きちんと読めるかどうか覚束ない心理状態になってしまった。それでも口頭ではなく文章を読み上げればいいのだと言い聞かせ、何とか最後まで(途中で何度か言葉に詰まるところもあったが)滞ることなく読み終えることができた。弔辞を読み終えて席に座った時、ようやく立松の「不在」を実感することができ、その後はその「立松の不在」をめぐる思考に占有されることになった。ただ、時間的には沈思している余裕はなく、指名焼香が終わった後は記念品『追想集 流れる水は先を争わず』を渡す作業の責任者として、1000人以上の人に袋がきちんと渡されるか、見守ることに専念した。
 そんな帰路に立っていたからか、多くの懐かしい顔に出会った。お互い年をとったせいか、相手から声をかけられるまでわからないという人もいたが、大方は「久しぶりですね」と声をかけていただき、たちどころに往時を思い出すことができた。彼らの多くは、「偲ぶ会」のことを何らかの形で知り、駆け付けてくれたのである。大半は長くは話せず挨拶だけで終わってしまったのだが、「ご活躍ですね」などと言われ、嬉しかった。
 後始末の終わったのが4時半、それから新宿に移動し、関係者(お手伝いに来てくれた人も含む)だけの会費5000円の慰労会。多くは見知った顔であったが、その中に「偲ぶ会」の会場ではわからなかった懐かしい人もいて、立松との関係を酒の肴に大いに盛り上がった。「二次会に行こう」と誘われたのだが、酒が限界に来ていたのと、前日あまり眠れなかったということもあり、疲れ切ったので8時過ぎに新宿でみんなと別れ、つくばに着いたのが10時、そのままバタンンキュー。
 立松の「偉業」についての検証はこれからの作業ということになるが、翌朝(昨日)しみじみと思ったのは、もうあの独特な語り口の謦咳に触れることはなく、また立松の「新作」は読めないということであった(実は、立松が倒れる前まで連載したり、書き下ろしで準備していた『良寛』と『田中正造』(仮題)は、担当の編集者に聞くと、9割以上が書き終えていたので、近いうちに刊行されるとのこと、である)。なお、同時に思ったのは、改めて立松の文学がいかに人々の胸を打つものであったかということと、そのことに関連して『全小説』はなにがなんでも順調に刊行し続けなければならない、ということである。
 1冊4500円は高いかもしれないので(ただ、予約購入すると割引制度があり、3800円ぐらいで購入できるのではないかと思うが、詳細は版元の勉誠出版に問い合わせてください)、個人購入は無理だとしても、公共図書館にリクエスト(購入希望)して、できるだけ多くの人が立松の小説を読んでくれればいいな、と思う。
 なお、立松の文学については、その変遷や意義について来月刊行予定の『情況』誌に37枚書いたので、そちらを読んでくだされば、立松文学の大方は理解できるのではないかと思います。また、近いうちにNHKが1時間の「立松和平・追悼」の番組を作るということで、そこには僕も出演が予定されているので、確定しだいお知らせします。
 ついでに言えば、あと1本、追悼文が残っています。立松と僕が撰者になっていた「解放文学賞(小説部門)」の入選作が載る『解放』臨時増刊号に掲載予定のものです。まだまだ終わらない、というのが実感です。